ぽっぽぶろぐ

まだまだ謎の田園主婦・ぽっぽ(水須ゆき子)です。
題詠blog2008参加中。

【025:とんぼ】ハナさん

2006年04月08日 | 宝石箱
飛びたくて飛んでるわけじゃないとんぼ わたしのおうちいつも夕焼け/ハナ


歌の言葉自体は全く平明なのですが、
その繋がり方が不思議で考えてしまいました。

飛びたくて飛んでるわけじゃない。
生き物はみんなそうかも知れませんね。
魚も泳ぎたくて泳いでるわけじゃなさそうだし、
人間だって生きたくて生きてるわけじゃなかったり。

気がついたら飛んでて、
気がついたら泳いでて、
気がついたら生きてた。そんな感じ。

そして下の句。
「いつも夕焼け」なおうちってどんなだろう。
みんなが帰って来るおうち?
みんなさみしいおうちかな?

とても幸せなような、
とても不幸せなような、
おうちはいつもそこにある。

作者も、
そこへ帰ってゆくのでしょう。

とんぼはどこに帰るのかな。
帰るのってうれしくてさみしいね。

【025:とんぼ】丘村トモエさん

2006年04月08日 | 宝石箱
突きだした指に止まったとんぼだけ わたしがいるのを許してくれた/丘村トモエさん


目に見えるような歌です。

ぶっきらぼうに突きだした指の先に、
とんぼが止まっている。

このとんぼだけは、
わたしをきらわない。
わたしがいるのを許してくれた。

とんぼだけしか味方がいない淋しさと、
とんぼだけでいいんだという強さを感じました。

第三句の後の空白は、
なくてもいい気がしますがどうなんでしょうね。

やっぱり必要かな。
ここで深呼吸したのかも知れないし。

【025:とんぼ】しゃっくりさん

2006年04月08日 | 宝石箱
ベランダの竿にとんぼの止まり来て大阪の水美味くなりてふ/しゃっくり


「とんぼ」
ノスタルジックな歌が多かったです。

もったいないなと感じたのは、
思い出をとりあえず書いただけだったり、
途中で照れて変にちゃかしてしまう歌があったこと。
照れ屋さんが多いのかな~(^^ゞ

さて、しゃっくりさんの歌。
「大阪の水」が効いています。

何気ない光景なんですけど、
上の句のとんぼから街の水に思いを馳せた、
その跳び方がとてもさりげなくて気持ち良かった。

全く無理がないんですね。
この力の抜き方は手練れの技でしょう。(^^)

ちょっと読むのに苦労したのが最後の「てふ」。
「と言ふ」が変化した形。「衣干すてふ天の香具山」とか。
いわゆる伝聞なんですが「なるてふ」ではありませんよね?

「なりて」+「ふ」かと思ったんですが、
どうも違うようなので考えてしまいました。
この「なり」は助動詞の終止形じゃなくて、
動詞「なる」の連用形だと思いますし…。(悩)

その辺り、
ご教示いただけたら有り難いのですが。すみません。

【024:牛乳】斉藤そよさん

2006年04月07日 | 宝石箱
とつとつと書いては消して牛乳を温めて飲むそして眠るよ/斉藤そよ


やっと盗んで来ましたよ!(笑)>そよさん

この歌を選んだのは、
この三句には一番「牛乳」がふさわしいと思ったからです。
コーヒーとかじゃ駄目なのよ。変にかっこよすぎちゃって。

温めて飲むんだし。
それから眠るんだし。
やっぱり牛乳でしょう。

牛乳の優しさと質実剛健さ。
歌には描かれていないけど肌寒さも感じました。

おやすみなさい。
明日もがんばろうね。

【024:牛乳】かっぱさん

2006年04月07日 | 宝石箱
牛乳とむかし呼ばれたものだけが残されている春の教室/かっぱ


このお題の中で、
私には一番不思議な歌でした。
いろんなこと考えちゃうのよ。

近未来短歌なのかしら、
と最初は思ったのですけれど、
いやもしかしたら腐ってるってこと?とか。(笑)

牛乳星人とかね。
牛乳アメーバとか。(謎)

よく分からないんですけど、
とにかくガラーンとしててぽっかり明るいの。

春の明るさと腐敗のイメージを、
二枚重ねにしてうまく使っているなと思いました。
怖い歌かも知れないけどあんまり怖くない。だから怖いのかなあ。

【024:牛乳】船坂圭之介さん

2006年04月07日 | 宝石箱
コーヒーを牛乳に入れただひとりカフェ・オ・レと為す その鬱のいろ/船坂圭之介


「牛乳」
この言葉自体はもう崩せないので、
そこからどう発展させていくかなんですけど、
その連想の手の伸ばし方が人それぞれで面白かったです。

さて、船坂さん。
カフェ・オ・レの薄茶色を、
「その鬱のいろ」と詠んだところに惹かれました。

カフェ・オ・レの色って、
中途半端だけど穏やかじゃないですか。
それを鬱と捉えてしまう作者の心の重さが見える。

四句までは、
カフェ・オ・レの作る手順を淡々と描いていますが、
結句から振り返ると「ただひとり」が効いています。

それと、
「コーヒーに牛乳を入れ」じゃなくて、
「コーヒーを牛乳に入れ」なんですね。
ちょっとした違いだけど。より侘びしい感じがしました。

【023:結】末松ちひろさん

2006年04月06日 | 宝石箱
髪の毛を結うとき右手が知っている力加減でドアノブまわす/末松ちひろ


末松さんの身体感覚は、
ものすごく独特ですねー。(感心)

頭が身体を動かしているんじゃない。
まずは身体が先に動いて、
それを頭が後から追いかけているような。

神経の連絡網が、
何となく自然に切れているところが、
私には非常にツボなのです。なんでだろ。

髪の毛を結うときの力加減は、
林檎を握りつぶすほど強くはないけれど、
かといって蟻も殺せないほど弱くはない。
けっこう力仕事ですよね。髪を結うのは。

それは右手が知っている。
毎日のように繰り返しているから。

その力でドアノブを回す。
これもたぶん毎日やっていること。

もしかしたら、
玄関のドアかな。
朝の登校風景とか。

右手に任せて髪を結い、
右手に任せて玄関を出る。
心は少し後からついてゆく。

動作はいつもと全く変わらない。
でも心の遅れは少しずつ大きくなっているような。
だから作者は自分がよく見えるのかも知れません。

【023:結】西宮えりさん

2006年04月06日 | 宝石箱
鈍行の連結 蛇腹がひらいたりとじたりするたびこの世に酔った/西宮えり


電車の連結部分の歌もいくつかありました。
これはその中の一首。

二句の半ばにある空白。
ブツリと切れて電車が大きく揺れたみたい。

前半に固まっている漢字表記を、
ひらがなの羅列がたどたどしく正しく繋いで、
読み手を結句まで連れて行きます。

「この世に酔った」という結論(?)は、
特に「この世」は大げさな表現ですけど私は納得しました。

電車に酔っているだけではない。
たぶん混んだ電車に無理矢理乗って、
こんな風に日々を生きなければならない、
現在の状況に揺さぶられて作者は酔っている。

電車から降りれば、
乗り物酔いは治まりますけれど、
この世からはなかなか降りられない。
作者の酔いはまだまだ続くのです。

【023:結】丹羽まゆみさん

2006年04月06日 | 宝石箱
あららぎの枝に結ばれ春の陽に大吉の字を透かすお御籤/丹羽まゆみ

「結」
幸せそうな歌が多くて、
なんだか不安になりました。(笑)

丹羽さんの歌も、
陽差し明るい春の一日。

あららぎは櫟(いちい)の別名だとか。
音も景色も明るくゆったりとしています。
全く破綻がない。丁寧に作られた歌ですね。

ただ、
私はへそ曲がりだから、
こんなに幸せでいいのかなと思ってしまう。
あまりにも言葉の歩調が揃いすぎているというか…。

これはもう、
好みの問題でしかないのかも知れませんが。
せめて「中吉」か「小吉」くらいにして欲しかったかも。

優しく柔らかく整っているだけに、
出来過ぎた明るさに見えてしまうんですよ。
ホームドラマの大団円に流れるセットの町並みのように。
失礼なことばかり言ってしまってごめんなさい。

【022:レントゲン】花夢さん

2006年04月05日 | 宝石箱
レントゲン検査の放射能でなんか死ねない。心は見透かされない。/花夢


花夢さんの歌は、
もう盗まないようにしようと思ってたんですが、(笑)
この歌はどうしても好きで。持って来てしまいました。

難しい歌ではないです。
(と最初は思いましたが実は難しかった)
読んだまんま。心に突き刺さります。

抵抗しているんですね。
全身全霊で。体も心も負けないって。
レントゲンの機械の向こうにいる全てのものに。

言い切った強さと、
言い切らずにはいられない脆さに共感しました。

二つの句点(。)も、
この歌には合っていると思います。
思いっ切り息を吸って言い返しているみたい。



どうも自分勝手に読みすぎたので、
もっと他の可能性も考えてみました。

二つのポイントというか、
読みの分岐点があると思います。
まず「死ねない」
次に「見透かされない」。

というより、
この歌をポジティブに捉えるか、
ネガティブに捉えるかなのかな?

私はポジティブに、
「レントゲンの放射能なんかで死ぬわけにはいかない。
 心だって絶対に見透かされたりしない」と強気に読みました。

しかし同時に、
「レントゲンの放射能では死にたくても死ねない。
 心を見透かしてもらうこともできない」と受身に読むことも、
可能性としては充分あるのではないかと。

うーん、
どっちかなー。

でも、
句点が二つもあるからねえ。
この勢いを考えるとやっぱり前者かしらん。(∂∂)♪

【022:レントゲン】翔子さん

2006年04月05日 | 宝石箱
無言にて医師が掲げるレントゲン写真の黒白八ヶ岳想う/翔子


これもレントゲン撮影の後、
担当医師と向き合って診断を待つシーンだと思うのですが、
いきなり結句で「八ヶ岳」が出て来て驚きました。(笑)

ただ、
その前に「写真の黒白」がありますから、
そこから来た連想だろうというのは何となく想像できる。

初句に「無言にて」から察するに、
もしかしたら良い結果ではなかったのかも知れない。
そうした重い緊張感の中で唐突に八ヶ岳を想うわけです。

この病が癒えるまでは、
もう八ヶ岳には行けないと思ったのか、
黒地に白のレントゲン写真が八ヶ岳の尾根に見えたのか。

残念ながら私には分かりませんが、
レントゲン写真から飛び出して来た八ヶ岳の悠然たる姿が、
目の中に深く残りました。不思議な歌。



…と書きましたが、
もしかしたら八ヶ岳=剣が峰と読むべきなのかしら?

えーとつまり、
私はちょっと先回りしすぎて、
「良い結果ではなかったのかも」と思ってしまいましたが、
そうではなくて今まさに結果が出る瞬間(=山場)であると。

そう読むと、
分かりやすくなりますけど、
オチが着きすぎちゃうかな。(^_^;)

剣が峰(富士山頂、事が成るか成らぬかの分かれ目)より、
八ヶ岳の方が広々としていますしね。

どちらにしても、
歌のこの位置に八ヶ岳が出て来るのはすごい。
私は慣用句的ではなく山容を味わいたいです。

【022:レントゲン】まつしまさん

2006年04月05日 | 宝石箱
レントゲン疑いつつもじっと見る我がものらしき透かし絵の奥/まつしま


「レントゲン」
言葉自体が強いお題でした。
レントゲン室、レントゲン技師など。

レントゲンというと、
胸の病気というイメージが強いのかしら?
(実際はそうでもないですが。どこでも撮るし)
あとは心も透かせるか透かせないか、とか。

何となく、
ぼんやりとした手触りのまま、
思いつきで作った歌が少なくなかったような。
それはそれでいいと思うし、
ファンタジーでもSFでも何でもアリだと思いますが、
どうせやるなら徹底して欲しい。読み手が混乱しちゃうから。

さて、まつしまさんの歌。
そのまんまと言えばそのまんまですけれど、
どこかで聞いたようなそのまんまさではないところがある。
「疑いつつもじっと見る」や「我がものらしき」や結句の、
「透かし絵の奥」病魔を必死に探しているのが「奥」で分かる。

借り物の歌じゃないっていうのかな。
自分に蓄積された言葉を使って何かを懸命に表そうとしている。
その気持ちが歌からにじんで来るようで。

この歌のような経験は、
みんなしていると思います。だから共感できる。
でもありきたりの言葉では濃い共感はしづらい。

結局のところ、
作者が歌に籠めた(技術も含めた)覚悟の分しか、
読者には伝わらないのかも知れないです。
いくら思いが強くても表現が伴わなければ歌は空回りしちゃう。
短歌は難しいなあといつもしみじみ思います。