ぽっぽぶろぐ

まだまだ謎の田園主婦・ぽっぽ(水須ゆき子)です。
題詠blog2008参加中。

【028:おたく】水都 歩さん

2006年04月11日 | 宝石箱
おたくとか引きこもりとかねくらとか変な物差しあてるの止せよ/水都 歩


こういう角度で「おたく」を歌にしたのは、
現時点では水都さんお一人ではないでしょうか。

皮肉な感じは受けませんでした。
たぶん本気で真っ正面から抗議している。

それだけに、
一種の清々しさがある。
と同時に偏見をなくせというのも偏見なんだろうな、と。

えーとつまり、
おたくというのは、
引きこもりやねくらと同列なのね、
と思ったわけです。(^^ゞ

変なものさしの「変」。
これはつまり「色眼鏡で人を見るな」ということですけれど、
読みようによってはおたくもひきこもりもねくらも変なんだ、
ということにもなってしまう。

もちろん、
作者が言いたかったのはそういうことではないでしょう。
でも「この人は無意識にそう見てるんだな」とも思える。

言葉って、
意識って難しいですねえ。(しみじみ)

それでもこの歌は、
説教臭さよりも正義感の方が強い。
だから「うん、そうですよね」と素直にうなづけます。

正しいことが、
いつも通るとは限りませんが。
そんなことはとっくにご存じでしょうね。作者さまも。

【028:おたく】まつしまさん

2006年04月11日 | 宝石箱
奪われてみたい心がありまして辞書で「おたく」の種類調べる/まつしま


好きだなあ、まつしまさん。
この歌もいい味出してます。(^^)

「奪われてみたい心がありまして」
おたくというとその偏狭さが嫌われがちですけれども、
そこまで何かに夢中になれることが作者は羨ましいのでしょう。
そんな余裕もないくらい忙しい日常を過ごして来られたのかも。

そして下の句。
おたくの「意味」ではなくて、
「種類」というところが及び腰っぽくてすごくイイ。(笑)

残念ながら、
私の辞書は「おたく」の意味止まりで、
「おたく」の種類までは載っていませんでした。
たぶん作者の辞書にも載っていなかったのでは。

でも、
それでいいんでしょうね。
実際に載っていたかどうかは問題じゃない。

辞書で調べようとしたところが大事で、
すごく可笑しくて、ちょっぴり切ない。

オタクになんかならなくていいんですよ、
と肩を叩いて言ってあげたくなりますし、
じゃあ今度一緒にコミケ行きましょうか?
と誘ってあげたくもなる。好きな歌です。

【028:おたく】西中眞二郎さん

2006年04月11日 | 宝石箱
市町村人口動向気になるは我も一種のおたくなるべし/西中眞二郎


「おたく」
最も困ったお題の一つでした。(笑)

念のため、
語句の意味など。

おたく【御宅】
1.相手の家の尊敬語。
2.相手の夫の尊敬語。
3.相手または相手方の尊敬語。
4.<多く片仮名で書く>特定の分野・物事にしか関心がなく、
  その事には異常にくわしいが、社会的な常識には欠ける人。
  仲間内で相手を「御宅」と呼ぶ傾向に注目しての称。(by 広辞苑)

そうそう、
普通は片仮名書きですよね。<秋葉系オタク
今回は平仮名なので物名的にこなした歌もありました。

さて、西中さん。
自分も一種のおたくであろう、
ということをさらりと正しく書いている。

だからどうした!でもなく、
変に卑屈にもなっていない。
その背筋の美しさに惹かれました。

これはやはり、
「市町村人口動向」だからでしょうね。
マニアックというよりは作者の来し方を感じます。
興味の方向が開かれている、とでも言うのかしら。

【027:嘘】おとくにすぎなさん

2006年04月10日 | 宝石箱
エイプリルフール最後の一瞬に嘘にもみえるメール送るね/おとくにすぎな


4月1日、
23時59分ごろのメールでしょうか。

嘘だよん、
と言ってしまえるからこそ、
本当のことがやっと書けたりする。

そんな切ない、
でも明るい歌だと思いました。

おとくにさんの歌は優しいな。
消えてしまいそうな一瞬の歌。

【027:嘘】春畑 茜さん

2006年04月10日 | 宝石箱
嘘あらむ真(まこと)やあらむひらかれて傘のさまざま木屋町をゆく/春畑 茜


京都・木屋町は高瀬川に沿った南北の道筋。
四条河原町や祇園ほどの派手な賑やかさはなく、
繁華街でありながら落ち着いた佇まいを持つとか。

そんな雨の木屋町に、
さまざまな傘が行き交っている。

傘の内の人々には、
嘘もあるだろうし真もあるだろう。
そもそも人間というものは嘘と真で出来ている。

嘘の傘も真の傘も、
雨を弾いてそれぞれに美しい。

そんな風に読みました。

第三句の、
「ひらかれて」の明るさが好きです。

【027:嘘】しゃっくりさん

2006年04月10日 | 宝石箱
臨終の父に嘘つき誉められしみかんの苗は植え終わったと/しゃっくり


「嘘」
楽しみに読んでみたのですが、
ぼんやりと観念的な歌が多かったような。
具体的なら良いというわけじゃないですけれど、
本当に言いたいことが分からないのは良くないよね。

さて、しゃっくりさん。
「大阪の水」もそうでしたが、
これも「みかんの苗」が巧いなあと思います。
巧いと言ってしまっては失礼に思えるくらい。

第二句から三句の、
「父に嘘つき誉められし」は、
もう少し整理できそうな気もします。語句の繋ぎとか。
たぶん誉めてくれたのは父ではなくて周囲の人でしょうね。

嘘を誉められたことを、
作者は誇ってはいないのです。
むしろ苦々しいとまでは行かなくても、
おそらく皮肉まじりに思い返している。

しかしその皮肉さを、
みかんの苗の素朴な明るさが救っています。

結果としてこの一首は、
いくら遠くなっても決して消えない悲しみを、
それ以上の懐かしさで覆っているような気がしました。
だから全然しめっぽくない。

かつて昭和天皇が崩御の少し前に、
「今年の稲の実り具合はどうか」と尋ねたという記事が、
当時の新聞に載ったことがありました。

その時は、
ずいぶん時代錯誤なことを、
と思いましたが今は少し違う感想を持っています。

私はまだ死んだことがありませんから、
これから死んでゆく人の気持ちは分かりませんが、
最後にみかんの苗を思うというのは悪くなさそうです。

そういえば、
橘の古名は非時香菓(ときじくのかくのこのみ)でした。
お父様の黄泉路を明るく照らしてくれたかも知れません。
こんなことを書いたら作者さまに笑われてしまうかしら。

【026:垂】謎彦さん

2006年04月09日 | 宝石箱
韮色に萌えいでよかしアエネアス忌をいはばしる脳下垂体/謎彦


あああ、
なんでこんな難しい歌ぬすんじゃったんだろ…。

と、
いつも思いますがとにかく読んでみます。(笑)

「韮色」は「にらいろ」明るい緑。
「萌えいでよかし」の「かし」は念押しの強調。
「アエネアス」はホメロスの叙事詩「イリアス」に登場するトロイアの英雄。
トロイア落城後イタリアに渡りローマの基礎を築いたという伝説の人。
「忌」が付きますからその「アエネアスの命日」ということですね。
「いわばしる」は岩に水があたってしぶきが飛び散る様子。
「滝」「垂水」「近江」に掛かる枕詞です。
そこから「脳下垂体」が最後に導き出されるわけですが…。

…語句の解説だけで終わっちゃいそうだよ~(^^ゞ

意味云々ではなくて、
次々と煌めき流れるイメージを味わう歌なのかも知れません。
でも結局シュールなんだよね。<萌え出でよ脳下垂体

いつもながら、
届かない読みですみません。
あとは直接謎彦さんのブログをご覧下さいまし。

【026:垂】春畑 茜さん

2006年04月09日 | 宝石箱
朱の箸にひき上げらるる春昼を三輪索麺はひかり垂れたり/春畑 茜


この歌も綺麗で美味しそう…。(じゅる)

第三句の「春昼を」の入れ方が絶妙。
朱の箸は素麺と共に春の陽差しも掬っています。

きっと作者は、
春の光を食べたのでしょうね。
ごちそうさまでした。(*^_^*)

【026:垂】丹羽まゆみさん

2006年04月09日 | 宝石箱
いづくかは陰となるこの水球のおもてにわれは垂直に立つ/丹羽まゆみ


「垂」
このお題を見たときから、
ずっと頭の中をグルグルしている歌がありまして…。

 夕光(ゆふかげ)のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝(かがやき)を垂る/佐藤佐太郎

すごい歌だよな~(しみじみ)

この歌のせいで枝垂れ系はなかなか盗めませんでした。
すみません。(^_^;)

さて、丹羽さん。
いつもながら気持ちの良い歌ですが、
今までの気持ち良さとはちょっと違うような。

なんていうのかしら。
心地良さではなくて決意の爽やかさがあります。

水惑星とも呼ばれる地球。
この球体はいつもどこかに必ず陰を持っている。

その水球の表面に、
作者は垂直に立っている。

陰の夜も、
光の朝も、
私はこの水の星にいる。
この揺らぐ水面に真っ直ぐに立つのだ。

そういう歌だと思いました。

私はすぐ斜めになってしまうけれど、
丹羽さんはいつも真っ直ぐなんですね。
その理由がようやく分かった気がします。(^^)

【025:とんぼ】ハナさん

2006年04月08日 | 宝石箱
飛びたくて飛んでるわけじゃないとんぼ わたしのおうちいつも夕焼け/ハナ


歌の言葉自体は全く平明なのですが、
その繋がり方が不思議で考えてしまいました。

飛びたくて飛んでるわけじゃない。
生き物はみんなそうかも知れませんね。
魚も泳ぎたくて泳いでるわけじゃなさそうだし、
人間だって生きたくて生きてるわけじゃなかったり。

気がついたら飛んでて、
気がついたら泳いでて、
気がついたら生きてた。そんな感じ。

そして下の句。
「いつも夕焼け」なおうちってどんなだろう。
みんなが帰って来るおうち?
みんなさみしいおうちかな?

とても幸せなような、
とても不幸せなような、
おうちはいつもそこにある。

作者も、
そこへ帰ってゆくのでしょう。

とんぼはどこに帰るのかな。
帰るのってうれしくてさみしいね。

【025:とんぼ】丘村トモエさん

2006年04月08日 | 宝石箱
突きだした指に止まったとんぼだけ わたしがいるのを許してくれた/丘村トモエさん


目に見えるような歌です。

ぶっきらぼうに突きだした指の先に、
とんぼが止まっている。

このとんぼだけは、
わたしをきらわない。
わたしがいるのを許してくれた。

とんぼだけしか味方がいない淋しさと、
とんぼだけでいいんだという強さを感じました。

第三句の後の空白は、
なくてもいい気がしますがどうなんでしょうね。

やっぱり必要かな。
ここで深呼吸したのかも知れないし。

【025:とんぼ】しゃっくりさん

2006年04月08日 | 宝石箱
ベランダの竿にとんぼの止まり来て大阪の水美味くなりてふ/しゃっくり


「とんぼ」
ノスタルジックな歌が多かったです。

もったいないなと感じたのは、
思い出をとりあえず書いただけだったり、
途中で照れて変にちゃかしてしまう歌があったこと。
照れ屋さんが多いのかな~(^^ゞ

さて、しゃっくりさんの歌。
「大阪の水」が効いています。

何気ない光景なんですけど、
上の句のとんぼから街の水に思いを馳せた、
その跳び方がとてもさりげなくて気持ち良かった。

全く無理がないんですね。
この力の抜き方は手練れの技でしょう。(^^)

ちょっと読むのに苦労したのが最後の「てふ」。
「と言ふ」が変化した形。「衣干すてふ天の香具山」とか。
いわゆる伝聞なんですが「なるてふ」ではありませんよね?

「なりて」+「ふ」かと思ったんですが、
どうも違うようなので考えてしまいました。
この「なり」は助動詞の終止形じゃなくて、
動詞「なる」の連用形だと思いますし…。(悩)

その辺り、
ご教示いただけたら有り難いのですが。すみません。

【024:牛乳】斉藤そよさん

2006年04月07日 | 宝石箱
とつとつと書いては消して牛乳を温めて飲むそして眠るよ/斉藤そよ


やっと盗んで来ましたよ!(笑)>そよさん

この歌を選んだのは、
この三句には一番「牛乳」がふさわしいと思ったからです。
コーヒーとかじゃ駄目なのよ。変にかっこよすぎちゃって。

温めて飲むんだし。
それから眠るんだし。
やっぱり牛乳でしょう。

牛乳の優しさと質実剛健さ。
歌には描かれていないけど肌寒さも感じました。

おやすみなさい。
明日もがんばろうね。

【024:牛乳】かっぱさん

2006年04月07日 | 宝石箱
牛乳とむかし呼ばれたものだけが残されている春の教室/かっぱ


このお題の中で、
私には一番不思議な歌でした。
いろんなこと考えちゃうのよ。

近未来短歌なのかしら、
と最初は思ったのですけれど、
いやもしかしたら腐ってるってこと?とか。(笑)

牛乳星人とかね。
牛乳アメーバとか。(謎)

よく分からないんですけど、
とにかくガラーンとしててぽっかり明るいの。

春の明るさと腐敗のイメージを、
二枚重ねにしてうまく使っているなと思いました。
怖い歌かも知れないけどあんまり怖くない。だから怖いのかなあ。

【024:牛乳】船坂圭之介さん

2006年04月07日 | 宝石箱
コーヒーを牛乳に入れただひとりカフェ・オ・レと為す その鬱のいろ/船坂圭之介


「牛乳」
この言葉自体はもう崩せないので、
そこからどう発展させていくかなんですけど、
その連想の手の伸ばし方が人それぞれで面白かったです。

さて、船坂さん。
カフェ・オ・レの薄茶色を、
「その鬱のいろ」と詠んだところに惹かれました。

カフェ・オ・レの色って、
中途半端だけど穏やかじゃないですか。
それを鬱と捉えてしまう作者の心の重さが見える。

四句までは、
カフェ・オ・レの作る手順を淡々と描いていますが、
結句から振り返ると「ただひとり」が効いています。

それと、
「コーヒーに牛乳を入れ」じゃなくて、
「コーヒーを牛乳に入れ」なんですね。
ちょっとした違いだけど。より侘びしい感じがしました。