My Tokyo Sight Seeing

小坂やよい

My Sight Seeing in Cebu]

2007-05-20 21:41:40 | Weblog

フィリピンの南部には島がいっぱい。
マニラから飛行機乗換えて、レイテ島の隣、セブ島にリゾートしたことがある。
10年ほど前のことではあるが。

飛行場からホテルまでは送迎バスで30分ほど。
10分ぐらい走ったところで人家が見え出し、バスはその中を通り抜けていく。
日が暮れかけ、人家に灯りがつき出して、家の内部がバスの車窓からはっきり見える。
皆一様に小さな粗末な平屋建て、裕福とは言い難い様子の生活。
それまでアジアへの旅行は台湾、韓国、香港のみで、しかも街中の観光。
前年にミクロネシアのロタ島で初めてリゾートなるのを体験して、それなりに楽しかったから、着いて真っ先に目に入ったこの光景にちょっとびっくりした。

そこを通り抜けるとホテルで、入口にガードマンがいて、ゲートを開ける。
ホテルの客室前は、旅行パンフによるとプライベートビーチという、海。
その海岸から幅の狭い桟橋が沖合に向かって続いていた。
「着いたー。みんな、ちょっと海を見にいこ」というノリで夜の海に出て、真っ暗な中、桟橋を歩いていった。
途中、かすかなライトが灯っているボックスにはガードマンがいた。
大きな銃を持って。

翌日、プライベートビーチの海は狭くて、シュノーケルをするには適切でなく、
プライベートビーチから出ると、海の自然条件が危険というより、ビーチ付近での治安上の問題の方が大きいということが分かった。
桟橋のガードマンも、夜に沖合いの桟橋に舟をつけて、ホテルに侵入してくる窃盗の見張りだったらしい。
しかたなく、シュノーケルができる島へのツアーを申し込む。
説明のときに、係の人が「途中、何があっても大丈夫ですから、心配しないでください」みたいなことを付け加えていた。

ツアー客は私たちを入れて日本人ばかり10名ほど。
目指す島が前方近くに現れ、その周りはサンゴ礁が太陽に反射してきらきら輝いている。
「さすがにここまで来たら海の色も違うね」と、喜んでいたとき、船が止まった。
それまで景色に見とれて気がつかなかったが、3,4艘の小さな舟が私たちの船近くに寄ってきていた。
「この船、あの島につけられへんから、乗り換えるのかな」と友人が言っていたとき、
周りを取り囲んでいた舟から、私たちの船に男たちが乗り込んできた。
みんな眼光鋭く、こわもての顔つき。
そして、片言の日本語で「ミヤゲモノ、アルヨ」と手にした貝殻細工や何やらをかざした。

なんやみやげもの売りかと、なんでこんなとこでとうんざりしたが、船は一向に動く気配がない。
しかも引率の男の子二人は、海に飛び込んで遊び出す。
男たちとは合意の上、これが何があっても大丈夫ですからということだったのだ。
それからみやげものを売ろうとする男たちと、買わない私たちの間で、気まずい、沈黙気味の30分間ほどが過ぎた。

結局誰も何も買わなかった。
男たちは引き上げて、船は動いたが、島に着く前に、予期せぬ訪問者で私はすでに憤慨していた。

島は30分も歩けば反対側の海岸に出るぐらいの小さな島。
島の内部を通ってビーチまで行くのだが、またもやここでもその生活を覗き見ることとなった。
ホテルの回りの家より、更に小さな家が点在する。
生活用水の大きな甕(カメ)が置いてある家もあった。後で本を読んで知ったのだが、大きな甕のある家は、島ではお金持ちになるのだという。

ここらあたりから、リゾート気分が吹っ飛んできていた。
リゾートをエンジョイしに来ているのに、なんでこんなやりきれない気分にならないといけないのかと。リゾートなら現実的なノイズには触れたくない。
それに輪をかけたのが、ホテルの従業員たちの、明るく、フレンドリーとはいいがたい表情だった。なんか日本人にうんざりしているようにも思えたのだ。
同行者の中でインドを旅したことのある人が、「インドの方がもっと貧しいけど、表情は明るかったよ」と言っていたのが、印象に残った。

当時、セブ島は日本で人気のリゾート地だったように思う。セブに現地工場を持つ日本企業もある。
私たちの滞在中に限っていえば、ホテルで西洋人を見かけなかったし、日本人旅行者ばかりだった。
バブルの最後期あたりで、お金を持った日本人が大挙して押し寄せた後だったのかなとも。その日本人たちはどんな行状だったのだろうかと引っかかった。
船に乗り込んできたみやげ売りにしても、日本人なら買うだろうという雰囲気だったし、ホテルでも、ウエルカムという感じではなかった。

友人の事務所の社員旅行に仲間が加わって、毎年3泊ぐらいであちこち近場に海外旅行していた私たちはケチケチ旅行だったので、利用するのはホテル付滞在フリー型激安パックツアーばかり。
「安もんのリゾートするからや」とはなった。
しかし、西欧人とは違って、同じアジア人として、厳しい生活環境のすぐ側でリゾートを楽しむには、つわもの揃いのおばちゃん引率ツアーといえども、タフな精神がいるようで。
以後、リゾートは沖縄に落ち着いた。




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