鈴木道彦・著 「越境の時 1960年代と在日」
この本の著者はフランス文学者。1960年代から70年代にかけて在日の人権運動に関わった。
1958年に二人の日本人女性を殺害し死刑となった在日が、獄中で支援者と交わした往復書簡集から衝撃を受けた著者の、以後、1968年、金嬉老事件(ライフル銃を持って旅館に立てこもり日本人による在日差別を告発)の8年半に及ぶ裁判支援までの回想記だ。
60年代に、なぜ在日の問題を日本人の問題として自ら関わったのか、その過程がていねいに書かれていて、引き込まれる。
同じ時期に私は大阪で、住んでいた駅から4駅目が‘鶴橋’という在日の人たちが多い場所の近くで育った。
在日という言葉は当たり前のごとく存在し、なぜ在日問題があるのかといったことには、皆目関心がいかなかった。すごく鈍感だったと思う。
学校の歴史授業にしても、江戸時代まではていねいに進み、近代史は時間がないからとさわりだけ、日本の中国、朝鮮半島支配はすっぽ抜け。故意に教えなかったのではとも思えるが。だから、自分から知ろうとしない限り空白だった。
私が子どものころ、父は時々在日への差別用語を口にすることがあった。
当時の大阪の風潮としては、さほどめずらしいことではなかった、と思うのだが‥‥。
韓流ブームが起こる前、韓国映画に魅せられて周りにそのよさを説いていたが、まったく反応が鈍く、私と同世代、同じ大阪で育った人の中には、子どものときの在日に対する感覚が尾を引いて、興味がもてないという返事もあったぐらい。
しかし「冬ソナ」が劇的に変えた韓国への関心度。
この本で書かれている時代は、一昔前のこととなってしまった。
著者は「パッチギ!」を見て、金嬉老事件と同じ時代設定なのに、そこに流れている明るい空気は信じられないぐらいだった、と書いている。
かって著者が困難な状況の中で乗り越えようとした日本人と在日の境界線。
「冬ソナ」から韓国に夢中の人たちにも、より広範な韓国及び朝鮮人と日本人の関係を知る上で、辿ってほしい本だ。