7月最後の土・日曜日に行なわれる羽田神社の夏季大祭、通称「羽田まつり」は
みこしの担ぎ手だけで3千人を超すにぎやかなお祭り。
日曜午後から行なわれる町内神輿連合渡御は、12町会12基の神輿が練り歩く。
毎年この祭りを写真仲間と一緒にモノクロで撮っている。
祭りそのものにはあまり興味はないのだが、
祭りの日の街や人は、羽田ならではのおもしろさで活気づいている。
祭りのみこしは、通称「ヨコタ」という担ぎ方で、
みこしを左右90度に傾け、ローリングしながら進む。
右の担ぎ手が跳ね上がると左の担ぎ手がしゃがむ。これを交互に繰り返す。
ダイナミックで荒っぽくてエネルギッシュな担ぎ方だ。
舟の上のみこしが波に揺れるさまからきているということで、
これはかって羽田が漁師町だったことに由来する。
今は羽田といえば空港。この祭りに行くまで漁師町だと知らなかった。
かって優良な漁場であった羽田浦周辺は、昭和30年から始まる東京湾の埋め立てと航路づくりのため、昭和37年に漁業権の放棄を余技なくされたという歴史があったのだ。
始めてここに写真を取りに来たのは、プリント教室の一環でだ。
教えてもらっていた人がここの祭りに関わっていたからだが、
集まっている人たちやみこしを担いでいる人たちを見て、
「お、すごい迫力」と、毎年訪れるようになった。
祭りとあって、男性はいきいきとしている。
各町内おそろいのカラフルなハッピ姿の女の子たちもみこしを担ぐ。
そこに混じっておばちゃんも。
真摯に担ぐ感動的な顔。
サングラスかけてこわもての男性、取るとめちゃめちゃ人のよさげな目。
あやしい面相。
背中一面クリカラモンモンの人が通りを歩いていることもあった。
もう、被写体だらけ。
「これはおおっぴらに人が撮れる!」。
カメラを向けても誰も何も言わない。むしろVサインに困るぐらいだ。
パレード前には各町内で担ぎ手が集まって飲食しているところへ案内され、ごちそうにあずかった。
みんな気さくな人たちばかり。
東京の下町といっても、浅草や深川、柳橋などとはまたちょっと雰囲気が違う。
育った大阪と似てると、地元の人に言うが、皆一様にノーコメントだったなあ。
2年前、この祭りの写真3人展を目黒のギャラリーで行なった。
そのあと、太田区役所と羽田公民館での展示依頼を受けて地元でも。
羽田の人たちが喜んでくれたことが、何よりうれしかった。
祭りそのものの写真が少なくて、期待とは少し違ったかもしれないが、
「みこし担いでるのはうちの息子の友達で」「この笛を吹いてる子はすぐ近所」と、
被写体となった人に写真を渡せたこともうれしかった。
今年からは宵宮風景に挑戦。
先週倒れられたのですか。しばらく大変だと思いますが、悔いのないよう看病してあげてください。
誰もが通る道ですが、いつまでも元気でいてほしいと思いますよね、子どもとしては。たまきさんも体に気をつけて。
ごめんなさいね。こんなコメントで。やよいさんには打ち明けやすくて、お話してしまいました。