悠遊 PCライフを楽しむ

60歳台後半からパソコンを始め10年になる
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嵯峨野紅葉 その5 嵯峨野路散策 

2006年12月19日 13時36分54秒 | 時の話題

   厭離庵  (えんりあん)
嵯峨野路を紅葉を愛でつつ散策していると舞妓さんが車から降りた。
思わずシャッターを切る。背景の旗 「厭離庵」にあとで気付いた。

観光マップには無かったが、藤原定家ゆかりの尼寺だった。
普段は非公開 紅葉シーズンの一時のみ拝観できる。

定家が小倉百人一首を編纂のため住んだ庵「時雨亭」がある。
庭には千両万両が赤い実をつけ苔むす庭と紅葉が有名
「厭離」とは世を厭い離れるの意
 小倉山しくれの頃の朝な朝な
   昨日はうすき四方の紅葉葉 (藤原定家)

残念ながら、帰宅後写真整理中気づいたので、庭の撮影できず。

嵯峨野散策路には普通の民家の邸内、路傍に素晴らしい紅葉あり、
旅人の目を楽しませる一幅の絵画がそこかしこにある。


 


嵐山紅葉 天龍寺

2006年12月10日 20時22分56秒 | 時の話題

 上の写真は天龍寺庭園より雨にかすむ嵐山を望む
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  歴史の寺 天龍寺 (京都市右京区嵯峨)

臨済宗天龍寺派 大本山 1339年吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を
弔うため足利尊氏が夢想国師を開山として創建。京都五山第一位の寺格を
誇った。度々の火災に遭い、現在の堂宇は明治期の再建

  天龍寺北門手前の竹林

夢想国師による庭園(曹源池)は国の史跡.特別名勝第一号に指定
1994年世界文化遺産に登録
小雨模様の池面と紅葉は正に絶景であった。

 

 夢窓国師は堂塔 庭園建設費を調達するため「天龍寺船」
による中国元との外国交易を行ったという。

 

 これぞ もみじの名木が本堂脇にありました。


嵯峨野紅葉 その4 常寂光寺

2006年12月08日 22時49分06秒 | 時の話題

 

   常寂光寺の紅葉 (右京区嵯峨小倉山)

開山は文禄4年(1595年)当時歌人として有名な日(にっしん)上人が開祖

 苔衣きて住みそめし小倉山松にぞ老いの身知られける (日)
  
当時小倉山は歌枕の名勝であった。

落紅葉が一面に広がり草屋根、石灯篭の上にも積もっていた。

常寂光寺を出てしばらく歩くと、昼なお暗き竹のトンネルがあった

 次回は嵐山 天龍寺   


嵯峨野紅葉 その3 落柿舎

2006年12月05日 16時23分24秒 | 時の話題

 芭蕉 句碑 五月雨や色紙へぎたる 壁の跡 (落柿舎にて) 

 落柿舎 芭蕉が度々訪れた向井去来の遺庵

元禄の俳人 向井去来は芭蕉門下の高弟である。
去来は1687年以前に落柿舎を営んで、居とした。
現在の建物は1770年に再建したもであるが、園内に柿の古木、
有名俳人の句碑など多数がある。

  落柿舎 その名の由来
去来の「落柿舎記」によると庭に柿の木が40本あり、その柿の実が一夜のうちに
落ちつくした。

前日都の商人より受け取った柿代金一貫文は返却したと記されている。

本日柿の実は大半落ちていたが、門 本庵 次庵周辺の紅葉が見事に調和し
俳諧の地に相応しい風景であった。 11月27日

 柿残る 落柿舎たづね もみじ見る (詠み人しらず)

 


 昭憲皇太后 詩碑
加茂川のはやせの波の うちこえし ことばのしらべ世にひびきけり 


嵯峨野紅葉 その2 祇王寺

2006年12月03日 16時30分41秒 | 時の話題

     祇王寺(尼寺)

奥嵯峨にある現在の祇王寺は昔の往生院の境内である。往生院は
法然上人の門弟良鎮によって創められたと伝えられ、広い境内地を
持っていたが、いつの間にか荒廃してささやかな尼寺となり、後に祇王寺と
呼ばれるようになった。
平家物語に平氏全盛の頃平清盛と都に聞えた二人の白拍子の上手
祇王 祇女という姉妹の哀れな物語が出てくる。

晩秋の祇王寺の時雨、真紅に包まれた草庵、草屋根、庭に、路に紅葉が重なる。
正にピッタリのシーン撮影が出来た。


嵯峨野紅葉 1 化野念仏寺

2006年12月02日 22時25分59秒 | 時の話題

    化野念仏寺

寺伝によれば化野(あだしの)の地にお寺が建立されたのは
約1100年前、弘法大師が開創され、当時風葬で野ざらしとなって
いた遺骸を埋葬したと伝えられる。
境内に祀る八千体を数える石仏石塔は葬られた人のお墓である。
あだしのの「あだし」とは はかない、むなしいとの意である。
また「化」の字は生が化して死となり、この世に生まれ変わる
ことなどを意図している。

嵯峨野紅葉めぐりはあいにくの小雨模様の天候であったが、
最初に訪れた念仏寺のこの石仏群を見て、この世のむなしさ
はかなさを強く感じた次第である。
紅葉は丁度見ごろで灰色の石仏との対比が印象的だった。

トップのPHOTO は本尊阿弥陀如来座像で湛慶の作と伝えられる。