
宮崎というと、昭和40年代頃は、青島あたりが新婚旅行のメッカであったらしいが、今は賑やかな観光地というほどではない。 クルマや鉄道で行くには便があまりよくないし、飛行機で行くにしても、ゴルフ(フェニックストーナメント)やJリーグやプロ野球のキャンプの時期を除くと、なかなか話題になりにくい場所だ。
しかし、食べ物は結構美味しいものもある。 宮崎牛は松坂牛と同じ但馬牛が種だそうで、全国に出荷されているし、地鶏は美味。 野菜や果物類だと、プチトマトに金柑、キュウイ、イチゴ、日向夏みかんなど。 ピーマンの出荷は全国一だと娘が塾で習って教えてくれた。 日向夏みかんは、種無しのものを、中の白い皮も果実と一緒に食べると美味しい。 この果物は、日向市で最初に発見されたのでこの名がある。 日向市は、宮崎から南に約一時間。近くに飫肥という伊藤家の小さな城下町の址があり、なかなか風情があるところだ。
金曜日の午後、イベントを終えて、宮崎に住む母方の叔父と10数年ぶりに会った。 叔父は、通信社の勤務で転勤が多かったが、宮崎や大分支局、最後は松山で定年を迎えたが、家は通算20年以上住んだ宮崎に構えている。 教師をする娘夫婦と孫娘の家の近くに自宅を構えて悠々自適な引退生活だったが、残念なことに昨年、長年連れ添った伴侶をガンでなくした。 宮崎市は、市の中央を流れる大淀川の南は昔は薩摩藩であったらしく、明治以降の廃藩置県によって誕生した町だと叔父が教えてくれた。 薩摩藩の殿様として有名な島津家も元は都城(今は宮崎県)の出身で、都城は鹿児島市以上に、薩摩の風情や気質を残しているらしい。

(青島に続く橋)
叔父の自宅で叔母の霊前にお参りし、その後、叔父の運転で青島に出かけた。向かう途中の道路の両側の水田には既に水が張ってあるところもあって、叔父に聞くとこの一帯は二期作地帯で、3月中に田植えをし、8月には稲刈りで収穫をするという。 子供のころ、教科書でならった二期作に出会えてなんとなくうれしかった。
巨人軍の宮崎キャンプは3月始めには終わっているが、青島周辺のホテルには、「歓迎 ジャイアンツ」の垂れ幕がまだかかっている。 われわれが今回のイベントの基地にしたシェラトンホテル(シーガイア)は、確かJリーグのどこかのチームが宿舎に使ったと聞いたような気がするが大抵のチームは青島や練習のできる運動公園周辺に宿を構えている。 青島は、海岸線からほんのわずか沖に浮ぶ小さな島だが、ここは全体が亜熱帯の樹林に覆われている。 南方からこれらの樹木の種が流されてきたという説と、太古の昔、日本が亜熱帯気候であった時期から、気候に恵まれたこの島は、その植生を維持してきたという説があるそうだ。
73歳になる叔父は、銀座に本社のあるN社のセダン(AT)を運転しながら「ずっとマニュアル車を乗ってきたが、昨年の買い替えでは、このクラスのセダンでマニュアルを売ってくれるメーカーはなかったんだ」と言う。 なんでも、マニュアル車は手と足を使うので、ボケ防止にうってつけらしい。 シニアには、運転が簡単が方が親切と思うのが普通だが、どうもそうではない人もいるらしい。 一人暮らしの叔父にとっては、ボケてしまうのが一番怖いだろうし、そうしたシニアのニーズに応えずにAT王国にしてしまった責任は、メーカーにあるかもしれない。
今回、昨年12月に下見を含めて9年ぶりの宮崎訪問だった。 暖かい太陽と海、広々とした家と、豊かな食物。 ゆったりと第二の人生を過ごすには悪くない場所かもしれない。
しかし、食べ物は結構美味しいものもある。 宮崎牛は松坂牛と同じ但馬牛が種だそうで、全国に出荷されているし、地鶏は美味。 野菜や果物類だと、プチトマトに金柑、キュウイ、イチゴ、日向夏みかんなど。 ピーマンの出荷は全国一だと娘が塾で習って教えてくれた。 日向夏みかんは、種無しのものを、中の白い皮も果実と一緒に食べると美味しい。 この果物は、日向市で最初に発見されたのでこの名がある。 日向市は、宮崎から南に約一時間。近くに飫肥という伊藤家の小さな城下町の址があり、なかなか風情があるところだ。
金曜日の午後、イベントを終えて、宮崎に住む母方の叔父と10数年ぶりに会った。 叔父は、通信社の勤務で転勤が多かったが、宮崎や大分支局、最後は松山で定年を迎えたが、家は通算20年以上住んだ宮崎に構えている。 教師をする娘夫婦と孫娘の家の近くに自宅を構えて悠々自適な引退生活だったが、残念なことに昨年、長年連れ添った伴侶をガンでなくした。 宮崎市は、市の中央を流れる大淀川の南は昔は薩摩藩であったらしく、明治以降の廃藩置県によって誕生した町だと叔父が教えてくれた。 薩摩藩の殿様として有名な島津家も元は都城(今は宮崎県)の出身で、都城は鹿児島市以上に、薩摩の風情や気質を残しているらしい。

(青島に続く橋)
叔父の自宅で叔母の霊前にお参りし、その後、叔父の運転で青島に出かけた。向かう途中の道路の両側の水田には既に水が張ってあるところもあって、叔父に聞くとこの一帯は二期作地帯で、3月中に田植えをし、8月には稲刈りで収穫をするという。 子供のころ、教科書でならった二期作に出会えてなんとなくうれしかった。
巨人軍の宮崎キャンプは3月始めには終わっているが、青島周辺のホテルには、「歓迎 ジャイアンツ」の垂れ幕がまだかかっている。 われわれが今回のイベントの基地にしたシェラトンホテル(シーガイア)は、確かJリーグのどこかのチームが宿舎に使ったと聞いたような気がするが大抵のチームは青島や練習のできる運動公園周辺に宿を構えている。 青島は、海岸線からほんのわずか沖に浮ぶ小さな島だが、ここは全体が亜熱帯の樹林に覆われている。 南方からこれらの樹木の種が流されてきたという説と、太古の昔、日本が亜熱帯気候であった時期から、気候に恵まれたこの島は、その植生を維持してきたという説があるそうだ。
73歳になる叔父は、銀座に本社のあるN社のセダン(AT)を運転しながら「ずっとマニュアル車を乗ってきたが、昨年の買い替えでは、このクラスのセダンでマニュアルを売ってくれるメーカーはなかったんだ」と言う。 なんでも、マニュアル車は手と足を使うので、ボケ防止にうってつけらしい。 シニアには、運転が簡単が方が親切と思うのが普通だが、どうもそうではない人もいるらしい。 一人暮らしの叔父にとっては、ボケてしまうのが一番怖いだろうし、そうしたシニアのニーズに応えずにAT王国にしてしまった責任は、メーカーにあるかもしれない。
今回、昨年12月に下見を含めて9年ぶりの宮崎訪問だった。 暖かい太陽と海、広々とした家と、豊かな食物。 ゆったりと第二の人生を過ごすには悪くない場所かもしれない。