
先日、アメリカ出張の飛行機の中で、1984年に製作されたこの日本映画を初めて観た。あまりの素晴らしさに往きに2度、帰りも2度観てしまった。 この映画は篠田正浩の代表作で、キネマ旬報やら日本アカデミー賞で随分評価されたはずだから、既に過去の記憶になっている人も多いかもしれない。 私は、敗戦直後の日本の島を舞台に、占領軍のアメリカ人と日本の瀬戸内の少年達がベースボールをするというプロットをなんとなく胡散臭く感じて、これまで見る機会を持たずにいた。
作品は、子供たちが校庭で聞く玉音放送で始まり、小学校での教科書の墨塗り、復員、未亡人など、敗戦が日本にもたらした出来事や精神的価値の転換をたどりながら展開される。小学5年生の竜太や三郎といった逞しい子供たちの姿と、戦争ですべてが変わってしまい戸惑う島の大人達の姿がリアルに描かれている。
何よりも観るものを虜にするのは、教壇に立つ駒子先生を演ずる夏目雅子の圧倒的な美しさ。 この映画が公開された翌年、急性白血病で28歳の若さで惜しまれて世を去った女優は、この映画で永遠にその姿をスクリーンに残したといえるだろう。 単に容姿がきれいだというのではない、日本女性の品格、感情の豊かさ、抑制された輝きをこれほどまでに捉えた作品は稀である。 そして淡路島の丘陵(実際のロケは小豆島あたりらしいが)や瀬戸内の海、斜面に沿って密集する家々の甍の連なりとそこに暮らす人間を、軽妙かつ鮮やかな色彩でフィルムに収めたのは、日本を代表するカメラマン宮川一夫である。 出征して一度は死んだはずの駒子先生の夫役は郷ひろみ。 彼女に横恋慕する不良の弟役は若き日の渡辺謙。 惚れっぽい床屋の女房役には、監督の妻でもあり日本を代表する大女優である岩下志摩。 そしてともすれば重くなりがちな大人の話に抜群のヒューモアと奥行きを与えているのは、この映画の真の主人公といっていい子供たち。ガキ大将の三郎、その一の親友で級長の竜太は、駐在所の所長の孫。 島に現れた海軍提督役は、自殺してしまった伊丹十三で、その娘の武女(ムメ、佐倉しおり)は三郎や竜太と同じ小学5年生。 大きくつぶらな瞳を持つ武女は瞬時に島の子供たちの憧れの的となるが、カメラは思春期を迎える直前の少女の明るく清涼な美しさを捉える。父の提督がB級戦犯としてシンガポールで処刑されたという報に、響き渡る武女の悲痛な咽び声。 でも子供たちは、憎いはずの米兵とのベースボールの試合は止めない。
この映画は、日本人の育んできた風習、伝統、価値観、美徳に溢れている。 日本人はかくして敗戦を迎え、それを受け入れた、受け入れざるを得なかった。 そして、そこから今日に繋がる日本の戦後が続いている。 この映画を観て感じたのは、日本の戦後はまだ終わっていない、ということだ。 父や息子を殺したアメリカが憎いはずでありながら、それを受け入れ克服していかねばならなかった日本の戦後がここには愛情を持って描かれている。 そして、その屈折した心理の捩れはまだ解消されてはいない。
23年も昔の映画なのに、今だにこれほど魅力に溢れているとは正直驚きだ。 誰かがどこかのサイトに書き込んでいたが、正に日本戦後映画の「金字塔」というべき作品だ。 戦争を知らない若い世代にこそ、日本の戦後史を知る意味でもこの映画を見て欲しいと思った。
作品は、子供たちが校庭で聞く玉音放送で始まり、小学校での教科書の墨塗り、復員、未亡人など、敗戦が日本にもたらした出来事や精神的価値の転換をたどりながら展開される。小学5年生の竜太や三郎といった逞しい子供たちの姿と、戦争ですべてが変わってしまい戸惑う島の大人達の姿がリアルに描かれている。
何よりも観るものを虜にするのは、教壇に立つ駒子先生を演ずる夏目雅子の圧倒的な美しさ。 この映画が公開された翌年、急性白血病で28歳の若さで惜しまれて世を去った女優は、この映画で永遠にその姿をスクリーンに残したといえるだろう。 単に容姿がきれいだというのではない、日本女性の品格、感情の豊かさ、抑制された輝きをこれほどまでに捉えた作品は稀である。 そして淡路島の丘陵(実際のロケは小豆島あたりらしいが)や瀬戸内の海、斜面に沿って密集する家々の甍の連なりとそこに暮らす人間を、軽妙かつ鮮やかな色彩でフィルムに収めたのは、日本を代表するカメラマン宮川一夫である。 出征して一度は死んだはずの駒子先生の夫役は郷ひろみ。 彼女に横恋慕する不良の弟役は若き日の渡辺謙。 惚れっぽい床屋の女房役には、監督の妻でもあり日本を代表する大女優である岩下志摩。 そしてともすれば重くなりがちな大人の話に抜群のヒューモアと奥行きを与えているのは、この映画の真の主人公といっていい子供たち。ガキ大将の三郎、その一の親友で級長の竜太は、駐在所の所長の孫。 島に現れた海軍提督役は、自殺してしまった伊丹十三で、その娘の武女(ムメ、佐倉しおり)は三郎や竜太と同じ小学5年生。 大きくつぶらな瞳を持つ武女は瞬時に島の子供たちの憧れの的となるが、カメラは思春期を迎える直前の少女の明るく清涼な美しさを捉える。父の提督がB級戦犯としてシンガポールで処刑されたという報に、響き渡る武女の悲痛な咽び声。 でも子供たちは、憎いはずの米兵とのベースボールの試合は止めない。
この映画は、日本人の育んできた風習、伝統、価値観、美徳に溢れている。 日本人はかくして敗戦を迎え、それを受け入れた、受け入れざるを得なかった。 そして、そこから今日に繋がる日本の戦後が続いている。 この映画を観て感じたのは、日本の戦後はまだ終わっていない、ということだ。 父や息子を殺したアメリカが憎いはずでありながら、それを受け入れ克服していかねばならなかった日本の戦後がここには愛情を持って描かれている。 そして、その屈折した心理の捩れはまだ解消されてはいない。
23年も昔の映画なのに、今だにこれほど魅力に溢れているとは正直驚きだ。 誰かがどこかのサイトに書き込んでいたが、正に日本戦後映画の「金字塔」というべき作品だ。 戦争を知らない若い世代にこそ、日本の戦後史を知る意味でもこの映画を見て欲しいと思った。