先に書いた「瀬戸内少年野球団」の原作は阿久悠である。 惜しくも今年8月に亡くなったが、言うまでもなく作詞家として第一人者で、彼の作詞した歌謡曲は5000曲を超え、レコードも通算4000万枚以上売れており、2位の松本たかしを大きく引き離しているそうだ。 70年代に10代を過ごした者にとっては、ピンクレディー、岩崎ひろみ、沢田研二といった当時流行った歌手の曲でその名前はお馴染みだし、「舟唄」とか「津軽海峡冬景色」とか演歌の名曲も一杯あって、時代は阿久悠一色だったと言ってもいい。 その阿久悠は小説も書いており、「瀬戸内少年野球団」は昭和54年に上梓され、大ヒットとなった。
映画に感動したから原作を読もうとamazon.co.jpを探したが絶版なのか結構いい値のついた古本しか出ていない。 仕方なく図書館にいったら、同じように終戦直後の淡路島での生活を綴った小説「ラチ゛オ」というのがあって、これを借りて来て読んだ。 ストーリーは、瀬戸内少年野球団に類似しており、映画の竜太が「合田走(ハシル)」、ガキ大将の三郎が丹下左膳こと「丹下甲介」で、「武女」にあたるきれいな同級生の女の子が、飲み屋をやっている母親と二人で暮らす色っぽい娘の「磯野香」と、村の医者の娘で優等生の「野口百合子」の二人になる。 小学校の先生の方は、夏目雅子の駒子先生がやはり二人のキャラクターにわかれ、宝塚に在籍したことのあるちょっと進歩的な「華子」先生と、鉢山校長先生の娘で愛嬌のある「コバチ」先生となる。 そして、男先生として、生真面目な文学青年肌だが、甲介の17歳の姉を孕ましたと疑われる「塚本修身先生」が登場する。 作者自身の少年期の分身である走は、「少年クラブ」を愛読し、ラジオから流れるドラマに見知らぬ世界への夢を膨らませる。 物語は、映画と同様、戦後の島の日常に起こる様々な出来事を軸に展開するが、東京の空襲で母が焼け死ぬのを見て言葉を失い、島の祖父に引き取られた「卓」が、走のクラスに迎えられ、走の書いたラジオ劇をクラスで演じることを通して、その閉ざされた心を開いて行くところで終わる。
この小説の書き出しは、淡路島の四季の描写で始まる。 「淡路島は、瀬戸内海の東端にあるから、温暖と思われがちだが、北西の季節風が吹きつける西海岸は寒く、冬の海は日本海のように荒れる」のである。 これは瀬戸内の地方都市て生まれ育った私にも意外だった。確かに、数年前に始めて明石海峡を渡って淡路島を一周したとき、豪華なホテルが建って開けた東海岸に較べて、西海岸は山が迫り、波も荒いと感じた。 その分、西の海に沈む夕日は美しかったが。
この小説は、「瀬戸内少年野球団」よりはるかに後年の2000年に発表されている。 大ヒットした原作より20年も遅れて、なぜ作者がもう一度淡路島を舞台にしたこの心温まる物語を書こうと思ったか。2000年といえば、神戸の少年Aの小学生殺人事件など少年犯罪が社会問題として大きくクローズアップされ出した頃だ。 「あとがき - かつて子供であった大人から」において作者は、現代の社会では大人も子供も「社会全体がコミュニケーション不全」に陥っており、「社会が単一の価値観、経済至上主義に固まり、勝ち組と負け組しか作らなくなり、勝ったけど卑しい人、負けたけど美しい人という評価が存在しなくなった」と述べている。
「自分の思うことを、相手も気遣いながら伝えるコミュニケーションが、子供のときから身についていたら、周辺の人間の値打ちを二つ以上の条件で評価でき、もっと生きるに値する社会と見ることが出来るはずである。 二つ以上の条件とは、『あの人は金儲けは下手だけど、立派な人なんです』とか、『あの人は成績は悪いけど、頭はいい人です』とか、『流行には無頓着だけど、センスはいい人です』とか、『不良だけと心は優しいひとです』とかである」
しかし作者は、必ずしもこうした現代の『コミュニケーション不全』を嘆いて「ラチ゛オ」を書いたわけではなく、「時代の中で迷い子にならなかった子どもの、タフさとやさしさを、詩情として再現してみたかった」と述べている。そして「ラチ゛オ」は、映画と同様な素晴らしさでその再現に成功している。
しばらく前、娘の中学受験中に、国語では最近の学校のいじめなどを題材にした重松清などの小説が良く出題されるということで、そうした作品も読んでみた。 感じたのは、現実はここまで酷くはないのではないか、こんな本を読んでいてはそれこそ子供たちは「道の彼方の闇を知る」ことになってしまい、人間関係に希望を持てないのではないか、ということだった。戦争直後の淡路島の子供たちの情感と行動が、今の子供らにどこまで理解できるのか正直わからないところもあるが、この「ラチ゛オ」のような作品こそ教材に取り上げるべきではないか。
阿久悠は、散文家としても、詩情あふれる一流の文章を残した人のようだ。 自然の中で人間同士がやさしく逞しく生きるという、当たり前だったはずの光景が、ここには生き生きと確かな存在としてある。
映画に感動したから原作を読もうとamazon.co.jpを探したが絶版なのか結構いい値のついた古本しか出ていない。 仕方なく図書館にいったら、同じように終戦直後の淡路島での生活を綴った小説「ラチ゛オ」というのがあって、これを借りて来て読んだ。 ストーリーは、瀬戸内少年野球団に類似しており、映画の竜太が「合田走(ハシル)」、ガキ大将の三郎が丹下左膳こと「丹下甲介」で、「武女」にあたるきれいな同級生の女の子が、飲み屋をやっている母親と二人で暮らす色っぽい娘の「磯野香」と、村の医者の娘で優等生の「野口百合子」の二人になる。 小学校の先生の方は、夏目雅子の駒子先生がやはり二人のキャラクターにわかれ、宝塚に在籍したことのあるちょっと進歩的な「華子」先生と、鉢山校長先生の娘で愛嬌のある「コバチ」先生となる。 そして、男先生として、生真面目な文学青年肌だが、甲介の17歳の姉を孕ましたと疑われる「塚本修身先生」が登場する。 作者自身の少年期の分身である走は、「少年クラブ」を愛読し、ラジオから流れるドラマに見知らぬ世界への夢を膨らませる。 物語は、映画と同様、戦後の島の日常に起こる様々な出来事を軸に展開するが、東京の空襲で母が焼け死ぬのを見て言葉を失い、島の祖父に引き取られた「卓」が、走のクラスに迎えられ、走の書いたラジオ劇をクラスで演じることを通して、その閉ざされた心を開いて行くところで終わる。
この小説の書き出しは、淡路島の四季の描写で始まる。 「淡路島は、瀬戸内海の東端にあるから、温暖と思われがちだが、北西の季節風が吹きつける西海岸は寒く、冬の海は日本海のように荒れる」のである。 これは瀬戸内の地方都市て生まれ育った私にも意外だった。確かに、数年前に始めて明石海峡を渡って淡路島を一周したとき、豪華なホテルが建って開けた東海岸に較べて、西海岸は山が迫り、波も荒いと感じた。 その分、西の海に沈む夕日は美しかったが。
この小説は、「瀬戸内少年野球団」よりはるかに後年の2000年に発表されている。 大ヒットした原作より20年も遅れて、なぜ作者がもう一度淡路島を舞台にしたこの心温まる物語を書こうと思ったか。2000年といえば、神戸の少年Aの小学生殺人事件など少年犯罪が社会問題として大きくクローズアップされ出した頃だ。 「あとがき - かつて子供であった大人から」において作者は、現代の社会では大人も子供も「社会全体がコミュニケーション不全」に陥っており、「社会が単一の価値観、経済至上主義に固まり、勝ち組と負け組しか作らなくなり、勝ったけど卑しい人、負けたけど美しい人という評価が存在しなくなった」と述べている。
「自分の思うことを、相手も気遣いながら伝えるコミュニケーションが、子供のときから身についていたら、周辺の人間の値打ちを二つ以上の条件で評価でき、もっと生きるに値する社会と見ることが出来るはずである。 二つ以上の条件とは、『あの人は金儲けは下手だけど、立派な人なんです』とか、『あの人は成績は悪いけど、頭はいい人です』とか、『流行には無頓着だけど、センスはいい人です』とか、『不良だけと心は優しいひとです』とかである」
しかし作者は、必ずしもこうした現代の『コミュニケーション不全』を嘆いて「ラチ゛オ」を書いたわけではなく、「時代の中で迷い子にならなかった子どもの、タフさとやさしさを、詩情として再現してみたかった」と述べている。そして「ラチ゛オ」は、映画と同様な素晴らしさでその再現に成功している。
しばらく前、娘の中学受験中に、国語では最近の学校のいじめなどを題材にした重松清などの小説が良く出題されるということで、そうした作品も読んでみた。 感じたのは、現実はここまで酷くはないのではないか、こんな本を読んでいてはそれこそ子供たちは「道の彼方の闇を知る」ことになってしまい、人間関係に希望を持てないのではないか、ということだった。戦争直後の淡路島の子供たちの情感と行動が、今の子供らにどこまで理解できるのか正直わからないところもあるが、この「ラチ゛オ」のような作品こそ教材に取り上げるべきではないか。
阿久悠は、散文家としても、詩情あふれる一流の文章を残した人のようだ。 自然の中で人間同士がやさしく逞しく生きるという、当たり前だったはずの光景が、ここには生き生きと確かな存在としてある。