元Wall Street Journalのデトロイト支局長で、90年代前半のデトロイト自動車産業の復活を書いてピューリッアー賞を受賞しているPaul Ingrassiaもその一人だ。 4/15号のNewsweekで、”Saturn was supposed to save GM. Instead, GM crushed Saturn and here is how.”と題した記事を書いている。
http://www.newsweek.com/id/192458
GMのF. ヘンダーソン 新CEOは、昨年末、2011年モデルをもってGMはサターンへの製品の供給を止め、ブランドを売却すると発表した際に、「Simply, Saturn was not successful」と簡潔すぎるコメントしているが、GMがサターンを見殺しにした、GMを救う可能性を持った唯一のブランドがサターンであったがGMはそれを育てられなかったという論調は、このNewsweekの記事を含め、米メディアの中には多い。
4月16日付けのNYタイムズによれば、サターンの今年1-3月の販売は、前年同月比で59%も減少し、年初に425店あったリテーラー(販売店)も、375店へと減っている。 販売の減少は避けがたく、90年のローンチ時からのフランチャイズも、涙を呑んで閉店している。
http://www.nytimes.com/2009/04/16/business/16saturn.html?_r=2&scp=2&sq=saturn&st=cse
サターン社はGMの100%子会社として1985年に設立。日本車と対抗すべくゼロから開発されたSシリーズは1990年に米国で発売。 91-92年の自動車不況が後を引いたせいもあり、小型車が売れた94、95年には、テネシーの工場はフル生産で年30万台近くを販売し、期間黒字を達成している。しかし、その後のアメリカのいわゆる未曾有の好況「New Economy」の到来とともに、SUVや大型ピックアップトラックのバブル発生。 99年にオペル べクトラをベースにやっと出た2番目の中型車 Lシリーズ〔セダン、ワゴン〕は、時代の波に乗れなかった。2000年前後には、サターンは年間1000億近い赤字を出したといわれ、1997年に進出した日本市場からも早々に撤退が決まった。 その後、2001年に出たコンパクトSUVの「Vue」は樹脂パネルを使ってテネシーで生産されかなり売れたが、Sシリーズの後継の「ION(アイオン)」と合わせても何とか年産30万台に達するかどうかで、採算は改善しないままだった。
サターンは、ビジネスとして成功しなかったというヘンダーソン CEOの言葉は、経営的には正しいが、「アメリカで小型車を開発・販売し、アメリカの創造力、技術力、生産性によって、再び世界のモデルとなる」と打ち上げた故Roger Smith元会長の意思が、経営陣にしっかりと受け継がれたとはいえない。 サターンは、GMの文化やプロセスとはあまりに異なる会社であっただけに、結局GMの中枢に入り込み、その経営や文化を根本から変えるには到らなかった。 というか、当初のミッションには、GMと経験をシェアするとはあったが、変革するとまでは書かれていなかったから、そこまで求めるのは無理ともいえた。 あくまでも実験的なプロジェクトであったことは否めないし、その後のミッションの進化が十分でなかったのだ。 そして、サターン側にも責任はあるだろう。 自らの初期の成功に酔い、その幸福のリング(輪)の中に留まって、ビジネスとして永続させるための車種拡大への貪欲な努力や、GMへの影響力を獲得することができなかった。
しかし、より本質的な問題は、GMが80年、90年と二度の自動車不況と経営危機を経験し、ガソリンの高騰や地球温暖化などの環境問題の高まりの足音を背後に聞きながら、小型車や燃費の良いクルマこそが、次世代に必要になるというヴィジョンをしっかり持ち得なかったということだろう。 サターンを構想し、初めて市販電気自動車「EV1」を企画したR. Smith元会長は、そうした意味ではVisionaryであったといえる。それを継いだJack. Smith やR. Wagonerは、株主価値と配当を重視するという伝統的な意味でのアメリカの経営者としては優秀だったかもしれないが、石油の世紀の終りの始まりと、大量消費社会の終焉という21世紀の新たな課題に向けて、自動車産業を変革するヴィジョン と行動力に欠けていたということなのだろう。 しかし、金融資本主義バブルを誰も止め得なかったように、SUVやピックアップのブームから目をそらすことなど、実際は不可能だったかもしれない。 現にトヨタでさえも、GMの後追いをして大型トラックを作り始めた途端、今回の自動車危機に見舞われ、大損害を受けている。
この危機があと10年早く来ていれば、サターンはGMの救世主となりえたかもしれない。しかし、この10年間で、サターンは徐々に骨抜きにされた。 2003年、サターンとUAWの画期的な労働協約は破棄され伝統的なGMとの協約に戻った。 かつて見学する顧客に手を振っていた従業員の笑顔にあふれたテネシー州スプリングヒルの工場は、2007年3月に一度閉鎖され、今はシボレーのSUVの生産工場に転換され、サターンは一台も作っていない。 サターンの独立した開発部隊も、販売マーケティング組織も完全にGMの中に取り込まれ、その一部門となってしまった。 現在の車種は、オペル車の完全なリバッチである「Saturn Astra」から、中型車の「Aura」,2シータースポーツカーの「Sky」、第二世代の「Vue」までは全てオペルベース。 ミニバンの「Outlook」は、シボレーなどの北米生産車のサターン版である。 オペルベースだから、クルマはしっかりしている。 しかし、もはや北米開発車とはいえない。
値引き交渉をしない販売や顧客との優れたRelationshipの構築で、一時はレクサスと並んで、J Dパワーの顧客満足度でトップだったサターンの真のイノベーションは、その組織文化と販売プロセスであった。 アメリカが自信をなくしていた92年秋、アーカンソーの田舎で育ち、少年の頃、J.F.ケネディーと握手をして大統領を目指したビル・クリントンが42代アメリカ大統領に当選した。 こうした社会状況の中、サターンは、アメリカの良心と創造力の発露として熱狂的なファンを生み、高いブランドロイヤルティーを獲得した伝説的ブランドへの高みを短時間に駆け上がった。 ちょうど2008年秋、100年に一度の経済危機に瀕したアメリカ市民が、正直さ、チャレンジ、他人への思いやりといった価値感を説き、分断された人種と階層を再び紡いで「ひとつのアメリカ」を再生しようと唱えたバラク オバマに熱狂したことと、重なって見える。
サターンは今後、リテーラー組織が運営する独立会社、SDC(Saturn Distribution Company)として自立し、2011年以降は、GM以外の会社から製品の供給を受けながら、販売フランチャイズとして存続することを目指すという。 既に、Black Oak cityというオクラハマシティーのファンドを含め、複数の投資家から買収のオファーもあるようだ。 作り手と売り手と顧客が三位一体になってブランドを共有するという稀有なリングの存続はもはや望めない。 しかし、商売の基本である、顧客との信頼に基づいた販売サービスという理念は、どの世界でも普遍的なものであり、サターンほどそれをブランドの根幹に据えて徹底して行った例は少ない。 事実、サターンフランチャイズは、驚くほど民主的な手法で運営されていた。 製品やマーケティングの重要な決断も、メーカーと販売店代表が全く対等にフランチャイズ オペレーティング チーム(FOT)で話し合い、双方の合意に基づいて運営されていた。 これは、自動車流通販売ばかりでなく、生産者と販売者という分業が生まれて以降、その関係のあり方の変革において全く革命的だった。
久しぶりにサターンのUSのホームページを覗いてみたら、「Experience Saturn」という項目に、サターンの顧客や販売店を登場させたビデオクリップが、いくつも掲載されていた。その中で、Saturn of Indianapolisの経営者である、Ms. Lynn Kinnmelの話が強く心を打つ。(”This isn’t the car business. It’s about relationships.”) 彼女の話を聞こう。
「私の家族は、母から娘まで3代に渡って、女性で自動車販売店を経営しています。サターンは、この州に3店舗もっています。 何よりも顧客とのrelationshipを築きあげることが、この仕事のすべてなのです。 私のお店には、リンダという女性販売コンサルタントがいます。彼女のお客の一人の男性は、週に何度も、大した用もないのに販売店を訪れていました。私のお店では、お客用に毎日クッキーを焼いているのですが、この男性はこのクッキーが大好物でした。 ある日、この男性の奥さんから電話があり、主人は糖尿病だからもうクッキーを上げないで、と言われました。 それからだいぶして、また奥様から電話があり、主人が入院していて病状がよくない、でもあのクッキーが食べたいと言っているといわれました。 もちろんリンダはすぐにクッキーを病院にもっていきました。 2週間後に、その男性は亡くなりました。 奥様は、最後の日々のうち、あのクッキーを口にしたときほど、主人がうれしそうに笑ったのを見なかった、と言われました。 これが自動車販売という仕事なのです。 私の娘も大学を卒業して、今度サターンの店の店長になります。」
http://www.saturn.com/pages/mds/experience/landing.do (ビデオタイトル:more than cars)
うそのような話と思われるかもしれないが、こんなことがサターンの販売店では日常茶飯事でおきていたのだ。 サターンは文化だとか宗教だとか、メディアや外部の人にも言われることも多かったが、それは実際、ビジネス以上のものだった。 販売店はそれでビジネスもできたのに、GMはそれをビジネスとして継続させられなかった。 そのことが残念でならない。
したがって、今やGMの中よりも、販売店の経営者やセールスコンサルタント一人一人の中に、サターンの精神はより強く息づいているといえるかもしれない。 SDCは、全く新しい自動車流通フランチャイズとして、今後も存続し続けるかもしれない。
4月27日発表の追加リストラプランで、ヘンダーソン会長は、2009年モデルを持ってサターンの生産をやめると、スケジュールを大幅に前倒しした。 土星は地球からあまりに遠い惑星なのか。 サターンの理想はあまりに遠大すぎたのか。 土星のリングを形どったあの赤いブランドロゴが、全米から消えていくとしたら、さびしい限りである。
私もインティアナポリス店の小母さん経営者のビデオを見ながら、涙を禁じえませんでした。
世にあるすべてのものは定まらず、移りゆく理なのだと思わずにはいられません。