
昨日で震災から丸2週間。 被災者の方々には長く辛い時間であっただろうが、なぜか短く感じた。身辺には直接の人的被害はなかったが、この間、情報収集や会社としての支援の取りまとめなどに追われた。 本社からの支援(グループで250万ユーロ、従業員組合の募金活動)が決定されたのは23日、12日目という状況だった。
最初の一週間は、従業員の安全が第一であり、東京事務所は自宅待機、本国からの駐在者(Expatsと呼ばれる)とその家族は、チャーター便で他のドイツ系企業と乗り合いでその多くが帰国した。 被災地の支援の具体化はそのあとであり、他の企業がどんどん義援金や支援を発表する中、もどかしさと焦りを感じたのも事実だ。
日本サイドでも何かやらなければと、社内募金の展開や本社地元のマラソン大会での募金活動など幾つか実施に移すことができた。 昨日は、芝大門の日本赤十字社にマルチバン3台を届け、被災地での救援活動に提供した。 災害対策本部で24時間体制で被災地の救援活動を支えるメンバーには若い男女が多かった。 本社が救急車の提供を打診してきてそのニーズを確かめるために電話したのが先週の土曜日。 被災地に送るスタッフと寝袋と物資を積む3列シートのバンタイプがすぐにも欲しいといわれ、会社に5台あるマルチバン(日本未発売)のうち3台を提供することをトップが最終的に了解してくれたのが木曜日だった。スタッドレスタイヤに履き替えた黒のマルチバンを、赤いユニフォームを着たスタッフの人たちに、昨日昼過ぎに届けることができた。一台は今日既に被災地に向け出発したという。
被災地は、水や食料は既にかなりいきわたっており、燃料事情も徐々に改善しつつあるようだ。 被災地の県庁などの掲示板に寄せられている支援物資の希望リストは、下着やトイレタリーなどの身の回りのものや、菓子や子供のおもちゃに変わってきている。
2週間がたち、行方不明者がまだ1万人以上いるが、身元の判らない死者は土葬に付されたりして、大きな悲しみのうちにも、被災者はそれを受け入れ、静かに自分を律して生きていく姿がメディアでは報じられている。 海外からは、日本人の忍耐強さ、規律の高さが賞賛されているようだが、「さっきまでそばにいた人が死んで自分が生き残る瞬間には言葉は無力であって、その偶然性に人は寄り添うしかない(山折哲雄 AERA4/04号)」というのが本当のところだろう。
直接被災しなかった地域から、また海外からも多くの同情の言葉と支援がよせられている。人間が人間らしいのは、このように人の痛みを感じるSympathyとCompassionの力を持つからだ。 生と死を分ける瞬間には、貧富も職位も吹き飛び、老若問わず命の重さは全く平等になる。そんな時でも、自分より弱い者や幼い命を救いたいという本能的意識が人間の行動を律するのを見るとき、人間の尊厳とは何かを思い知らされる。 16歳の孫と80歳の祖母が9日ぶりに救出されたが、低体温症で命が危なかったのはむしろ孫のほうで、自分より体力のない祖母に気遣ったからであろう。
今瓦礫の中で呆然としている被災者たちは、自分の家族や家が本当に無くなってしまったとは未だに信じられないに違いない。 いつも慣れ親しんでいた街、一緒に暮らしていたと思っていた海が、牙をむいて自分たちの生活を破壊してしまったとは思えないであろう。 しかし、100数十年前の明治三陸地震、さらにいえば、貞観年間(9世紀)の大津波の痕跡が海岸から数キロ内陸まであるというから、何百年に一度、こうした大地震と津波は起こっているのだ。 人間の生きる時間と地球の時計はあまりにペースが違いすぎて、自然にとっては当たり前でも人には想像もできなかった事態ということになる。
福島原発の今後
海外のメディアには、福島の原発事故と最前線で戦う日本人50数人を「福島フィフティーズ」と英雄のように語るものがあるようだが、そうするうちにも、原子炉の加圧水プールが損傷したらしい2号機のタービン建屋の水溜りから、1000ミリシーベルト以上の極めて放射能が検出されたという深刻なニュースが伝わってきた。 先日、3号機のタービン建屋の作業員が床に溜まった水で100~200ミリシーベルトの被爆をしたが、2号機の数値は遥かに高い。 これでは2号機の冷却システムの復旧作業は見込めないだろう。 検知された汚染された水は、初期の損傷による一時的なものだったのか、それとも原子炉内の高濃度の放射性物質が今も流出し続けているのか。後者なら事態は深刻だ。 いずれにしても2号機内の作業は決死の覚悟が必要になる。
先にAERAから引用した宗教学者の山折氏は、「福島フィフティーズを犠牲にして日本国民を守るのか。もしくは日本的な「無常」の心で全員撤退させて、日本国民全体で被害を引き受けるのか、選択を迫られるかもしれない。アングロサクソンなら迷うことなく犠牲者が出ても放射能と戦うだろう」と言う。 多分、今の政府に死ぬとわかっているミッションを与えることは不可能であろう。 かつて日航機乗っ取り事件のときにも、故福田赳夫首相は「人命は天より重い」と言って、政治犯を釈放して人質を解放した。 現実的に原子炉の冷却系を修復するシナリオが立てられるならまだ危険を冒す価値もあろうが、その見込みも全く立たないのでは、死にに行くのはあり得ない選択だ。
東京消防庁ハイパーレスキュー隊は、ほぼ一週間前の19日の深夜、建屋が爆発し使用済み核燃料プールの温度が上昇して水蒸気と放射線を出し続けていた3号機に、屈折放水車で2450トンもの水を注水したミッションを無事終えた。 瓦礫のためにホースを人力でポンプ車から放水車に繋ぐ危険な作業を無事終えた同隊の高木統括隊長は、「自分の身を守れないやつが人を助けることはできない。 自分の身を捨てるのは美学ではない。それが自分の哲学です」と語ったという。 毎朝職場まで8キロを走って通勤して体を鍛え、スマトラやニュージーランドの地震の救援など多くの修羅場をくぐってきた54歳の隊長の言葉である。 「無常」ではなく、生き抜くすべを全力で絞りださないといけない。
もし2号機の炉が高温の核燃料で破れ、放射性物質が土壌に浸透して海を汚染し続ける事態になれば、福島第一原発の周辺何キロかは半永久的に人が立ち入れず、その近郊の農業や漁業は壊滅するだろう。 今手立てを持っている人、アイデアのある人を結集して、あらゆるオプションを駆使してなんとか事態の悪化を食い止めてもらいたい。 今の政府首脳にその力がどこまであるのかわからないが、組織が党がどうのと言っている場合ではない。