私の友人知人もたくさん移民して香港を離れた。
しかし、阿豪やその兄もあれやこれやと移民の努力をしながらも、結局最後には香港にとどまることを選択した。スタンレーも一度ハワイに様子を見に出かけたことがあるが、やはり移民は断念した。
「向こうに行ってゼロから始めるのはリスクが大きすぎるんだ」
スタンレーはふっきれたような顔をして結果をそう報告した。
阿ジョーの両親と兄、それと姉がカナダに移民したが、阿ジョー自身は結婚して香港に残り、柴湾に家を買い、夫婦共働きであくせく働きながらもそれなりに安定した日々をおくっている。
多くの企業が工場を大陸に移転したり、大陸の地方政府や現地企業と合弁で新しい会社を興したりしている。
また、ある新聞報道によると、大陸で働いている香港人の中には現地の生活が気に入りそのまま大陸で生活し続けてもいいと考えている人の比率が上がっているのだそうだ。
若者たちに関していえば、香港大学や中文大学、理工学院など香港の一流大学をねらうには成績が芳しくなく、かといって海外留学をするには経済的に無理がある場合は大陸の大学を受験したりするのだそうである。
これはまた聞いた話だが、大陸には香港人学生枠を設けている所があって、香港人学生は大陸の学生よりかなり合格ラインが低いらしい。もっとも学費の金額が両者同じかどうかはわからない。多分香港人学生のほうが高いのではないだろうか。
大陸の大学を卒業した学生がそのまま大陸で就職するケースも今では珍しくはないという。その方が大陸独特の人間関係や商習慣にすぐに溶け込めて、香港の大学を卒業した者より即戦力になるからだという話である。
こんな風に、香港と大陸の融合が進み、香港人が逆に大陸に活路を見出していくという状況も生れた。
映画「慕情」の原作者であるハン・スーインが香港を「借り物の土地 借り物の時間」と形容したのは有名な話だ。
だが、時代は変わり、今や香港は大陸から逃げ出す希望の目的地、あるいは外国へ移民するための基地ではなくなり、留まることも選択しうる土地となったのである。
返還を前に、多くの香港人にとって香港はすでに「借り物の土地」ではなくなっていたのではないだろうか。スタンレーやベリンダなど、香港で生まれ香港で育った香港人にとって、香港は自分のアイデンティティを置く場所なのだ。
しかし、阿豪やその兄もあれやこれやと移民の努力をしながらも、結局最後には香港にとどまることを選択した。スタンレーも一度ハワイに様子を見に出かけたことがあるが、やはり移民は断念した。
「向こうに行ってゼロから始めるのはリスクが大きすぎるんだ」
スタンレーはふっきれたような顔をして結果をそう報告した。
阿ジョーの両親と兄、それと姉がカナダに移民したが、阿ジョー自身は結婚して香港に残り、柴湾に家を買い、夫婦共働きであくせく働きながらもそれなりに安定した日々をおくっている。
多くの企業が工場を大陸に移転したり、大陸の地方政府や現地企業と合弁で新しい会社を興したりしている。
また、ある新聞報道によると、大陸で働いている香港人の中には現地の生活が気に入りそのまま大陸で生活し続けてもいいと考えている人の比率が上がっているのだそうだ。
若者たちに関していえば、香港大学や中文大学、理工学院など香港の一流大学をねらうには成績が芳しくなく、かといって海外留学をするには経済的に無理がある場合は大陸の大学を受験したりするのだそうである。
これはまた聞いた話だが、大陸には香港人学生枠を設けている所があって、香港人学生は大陸の学生よりかなり合格ラインが低いらしい。もっとも学費の金額が両者同じかどうかはわからない。多分香港人学生のほうが高いのではないだろうか。
大陸の大学を卒業した学生がそのまま大陸で就職するケースも今では珍しくはないという。その方が大陸独特の人間関係や商習慣にすぐに溶け込めて、香港の大学を卒業した者より即戦力になるからだという話である。
こんな風に、香港と大陸の融合が進み、香港人が逆に大陸に活路を見出していくという状況も生れた。
映画「慕情」の原作者であるハン・スーインが香港を「借り物の土地 借り物の時間」と形容したのは有名な話だ。
だが、時代は変わり、今や香港は大陸から逃げ出す希望の目的地、あるいは外国へ移民するための基地ではなくなり、留まることも選択しうる土地となったのである。
返還を前に、多くの香港人にとって香港はすでに「借り物の土地」ではなくなっていたのではないだろうか。スタンレーやベリンダなど、香港で生まれ香港で育った香港人にとって、香港は自分のアイデンティティを置く場所なのだ。