ベリンダ姉妹は12日の朝早く空港バスで去って行った。彼女たちの滞在中、私たちの家に泊めてずっと一緒だったから、いなくなってしまうと、身体の中を隙間風が吹きぬけるような気分になってしまった。
少々疲れもしたが、おかげでその間は楽しく過ごせた。次に会うのはこの夏か、あるいは冬のクリスマスか。考えてみると我々の付き合いももう22年になる。
長続きの秘訣はひとえに私たちが性懲りもなく香港詣でを続けてきたからということにつきるのだが、それでも行く度にベリンダたちが毎度毎度歓迎してくれたからこそ私たちも飽きることなく香港へ出かけたのだと思う。それがなければ、さすがの私たちもいい加減なところで足が遠のいたはずである。
長い香港詣での間に、たくさんの友人ができたが、今でもつきあいのあるのはそう多くはない。移民して香港を離れた人もたくさんいるし、時間の経過と共に疎遠になった人もたくさんいる。
ベリンダやスタンレーたちとはこれからいったいいつまで付き合いが続くのだろうか。それはもちろん私たちが香港通いをやめるまではあるだろうが。
ベリンダたちが帰った後、私はふとそんなことを考えた。
私たちもお互い年をとる。病気をすることもあるだろうし、体力気力が衰えるということもあるだろう。定年退職をして経済的に贅沢もできなくなるような日だってきっと来るのである。
考えてみれば、行かなくなる理由はいくらでも思いつくことができる。
などと考えるうちに、反日運動のニュースを思い出した。
家にいる時は何となくテレビをつけて、おしゃべりしながら見るとはなく見ていたりするのだが、もちろんベリンダとクリスティーヌはテレビが何を言っているのかは聞き取れない。
だが、ニュース番組などは結構食い入るように見入っていたりしていて、そこで何度も中国の反日騒動を報道していた。
そして、ベリンダが聞いてきた。
「あれって、何やってるの?」
「何って、反日のデモじゃないか。プラカードとかに書いてあるじゃない」
「よく見ようとしても、すぐに場面が切り替わっちゃうから、わかんないのよ。それで、何に反対してんの?」
「何ってねぇ・・・」
私も言葉に窮した。何って、あんたも中国人やろ?
そういえば、中国人ではあるが、彼女たちは香港人で、意識の面では大陸の中国人とはかなりの違いがある。教育はイギリス植民地時代に受けているから、大陸ほど濃厚な反日教育は受けてはいないだろう。
もちろん香港も日本に占領された時代があり、その時に残された負の遺産は、例えば軍票の問題のように今でも未解決とされる問題も多いし、当時の経験から日本嫌いだという年配の人もたくさんいる。阿ジョーの親父さんは今ではカナダに移民してしまったが、戦争中は広州あたりで逃げ回っていたそうだ。
香港映画でも戦時中の日本軍をネタにしたストーリーのものを見たことがあるし、もちろんこの場合日本人はいうまでもなく悪役である。そういえば、ブルース・リーの映画にも日本人を敵役にしたのがあった。
だから、戦争中の話になれば当然日本人はばりばりの悪役である。
しかし、実際のところ一般の市民で戦時中のことで反日を振りかざすようなことを面と向かって言うような人に出会ったことはなかった。香港人は政治より経済、ということもあるだろうが、戦後生まれの人たちには自分の経験したことでない戦時中の話はもうひとつぴんとこないという面があるのではないだろうか。
とはいうものの私も居心地の悪い経験がなかったわけではない。
例えば、ある時「七三一黒太陽」とかいう映画があって、それを見た阿ジョーが無邪気な顔をして聞いてきたことがある。
「映画の中でマルタってしょっちゅう言うんだけど、マルタって何なんだ?」
うーん、と私は絶句した。
「七三一部隊」というのは旧日本軍の化学兵器を研究する細菌部隊の名前で、中国大陸で中国人捕虜に残虐な人体実験を行ったことで有名なのである。で、その「マルタ」というのはどうも「丸太」のことらしく、人体実験の際、実験対象の捕虜のことをそう呼んだのだ、と私は聞いたことがある。
しかし、当時の私の広東語でそんなややこしいことを説明するのは不可能に近かった。いや、今だって広東語で「丸太」を何と言うか知らないのである。
阿ジョーの顔はあっけらかんとしていて、私が日本人だからということで非難しようと言っているわけではなかった。ただ、日本人だったら知ってるかな、というごく単純な発想で聞いてきただけなのだ。
それにしたって、日本人の私としては言葉の障碍以前のこととして何ともばつが悪いというか、しどろもどろにならざるを得ない。
仕方なく、三十六計逃げるに如かず、で私はすっとぼけることにした。
「いやあ、何だろねえ、知らんなぁ」
また、ある時ベリンダの家で例のごとくマージャンをしていたら、私の背後にあるテレビがちょうど大陸の従軍慰安婦問題をやっており、香港から行った女性記者が農村で一人のお婆さんにインタビューをしていた。
私と老姑婆が参戦するマージャンは言うならば初級レベルである。ベリンダや阿ジョーたちは母親のお腹にいる時からマージャンをやっているという歴戦のつわものだから、実力的にはてんでお話にならないのだが、私たちに合わせて打ってくれるのだ。
しかし、当然私や老姑婆は牌を前にしばしば考え込むことになり、その間彼女たちは手持ち無沙汰になる。そんな時、ベリンダは首を思いっきり伸ばして私の背後のその番組を興味深そうに眺めるのである。
彼女に悪気はない。いやむしろすでに私たちが日本人であることすら意識していないのだと思う。私たちにとって彼女たちがそうであるように、彼女たちにとって私たちは長年の仲のいい友人以外の何者でもない。
それはよくわかっている。わかっちゃいるのだが、それでもやはり私としてはどうにも居心地が悪く、参るなぁ、と身のすくむような気がするのである。
少々疲れもしたが、おかげでその間は楽しく過ごせた。次に会うのはこの夏か、あるいは冬のクリスマスか。考えてみると我々の付き合いももう22年になる。
長続きの秘訣はひとえに私たちが性懲りもなく香港詣でを続けてきたからということにつきるのだが、それでも行く度にベリンダたちが毎度毎度歓迎してくれたからこそ私たちも飽きることなく香港へ出かけたのだと思う。それがなければ、さすがの私たちもいい加減なところで足が遠のいたはずである。
長い香港詣での間に、たくさんの友人ができたが、今でもつきあいのあるのはそう多くはない。移民して香港を離れた人もたくさんいるし、時間の経過と共に疎遠になった人もたくさんいる。
ベリンダやスタンレーたちとはこれからいったいいつまで付き合いが続くのだろうか。それはもちろん私たちが香港通いをやめるまではあるだろうが。
ベリンダたちが帰った後、私はふとそんなことを考えた。
私たちもお互い年をとる。病気をすることもあるだろうし、体力気力が衰えるということもあるだろう。定年退職をして経済的に贅沢もできなくなるような日だってきっと来るのである。
考えてみれば、行かなくなる理由はいくらでも思いつくことができる。
などと考えるうちに、反日運動のニュースを思い出した。
家にいる時は何となくテレビをつけて、おしゃべりしながら見るとはなく見ていたりするのだが、もちろんベリンダとクリスティーヌはテレビが何を言っているのかは聞き取れない。
だが、ニュース番組などは結構食い入るように見入っていたりしていて、そこで何度も中国の反日騒動を報道していた。
そして、ベリンダが聞いてきた。
「あれって、何やってるの?」
「何って、反日のデモじゃないか。プラカードとかに書いてあるじゃない」
「よく見ようとしても、すぐに場面が切り替わっちゃうから、わかんないのよ。それで、何に反対してんの?」
「何ってねぇ・・・」
私も言葉に窮した。何って、あんたも中国人やろ?
そういえば、中国人ではあるが、彼女たちは香港人で、意識の面では大陸の中国人とはかなりの違いがある。教育はイギリス植民地時代に受けているから、大陸ほど濃厚な反日教育は受けてはいないだろう。
もちろん香港も日本に占領された時代があり、その時に残された負の遺産は、例えば軍票の問題のように今でも未解決とされる問題も多いし、当時の経験から日本嫌いだという年配の人もたくさんいる。阿ジョーの親父さんは今ではカナダに移民してしまったが、戦争中は広州あたりで逃げ回っていたそうだ。
香港映画でも戦時中の日本軍をネタにしたストーリーのものを見たことがあるし、もちろんこの場合日本人はいうまでもなく悪役である。そういえば、ブルース・リーの映画にも日本人を敵役にしたのがあった。
だから、戦争中の話になれば当然日本人はばりばりの悪役である。
しかし、実際のところ一般の市民で戦時中のことで反日を振りかざすようなことを面と向かって言うような人に出会ったことはなかった。香港人は政治より経済、ということもあるだろうが、戦後生まれの人たちには自分の経験したことでない戦時中の話はもうひとつぴんとこないという面があるのではないだろうか。
とはいうものの私も居心地の悪い経験がなかったわけではない。
例えば、ある時「七三一黒太陽」とかいう映画があって、それを見た阿ジョーが無邪気な顔をして聞いてきたことがある。
「映画の中でマルタってしょっちゅう言うんだけど、マルタって何なんだ?」
うーん、と私は絶句した。
「七三一部隊」というのは旧日本軍の化学兵器を研究する細菌部隊の名前で、中国大陸で中国人捕虜に残虐な人体実験を行ったことで有名なのである。で、その「マルタ」というのはどうも「丸太」のことらしく、人体実験の際、実験対象の捕虜のことをそう呼んだのだ、と私は聞いたことがある。
しかし、当時の私の広東語でそんなややこしいことを説明するのは不可能に近かった。いや、今だって広東語で「丸太」を何と言うか知らないのである。
阿ジョーの顔はあっけらかんとしていて、私が日本人だからということで非難しようと言っているわけではなかった。ただ、日本人だったら知ってるかな、というごく単純な発想で聞いてきただけなのだ。
それにしたって、日本人の私としては言葉の障碍以前のこととして何ともばつが悪いというか、しどろもどろにならざるを得ない。
仕方なく、三十六計逃げるに如かず、で私はすっとぼけることにした。
「いやあ、何だろねえ、知らんなぁ」
また、ある時ベリンダの家で例のごとくマージャンをしていたら、私の背後にあるテレビがちょうど大陸の従軍慰安婦問題をやっており、香港から行った女性記者が農村で一人のお婆さんにインタビューをしていた。
私と老姑婆が参戦するマージャンは言うならば初級レベルである。ベリンダや阿ジョーたちは母親のお腹にいる時からマージャンをやっているという歴戦のつわものだから、実力的にはてんでお話にならないのだが、私たちに合わせて打ってくれるのだ。
しかし、当然私や老姑婆は牌を前にしばしば考え込むことになり、その間彼女たちは手持ち無沙汰になる。そんな時、ベリンダは首を思いっきり伸ばして私の背後のその番組を興味深そうに眺めるのである。
彼女に悪気はない。いやむしろすでに私たちが日本人であることすら意識していないのだと思う。私たちにとって彼女たちがそうであるように、彼女たちにとって私たちは長年の仲のいい友人以外の何者でもない。
それはよくわかっている。わかっちゃいるのだが、それでもやはり私としてはどうにも居心地が悪く、参るなぁ、と身のすくむような気がするのである。