新井さんは見込み違いをしたのだろう。
香港は確かに制度的にはイギリスの植民地であり、政治的に制約がまったくないわけではないが、現実には言論は極めて自由であり、多くのメディアが大陸批判を堂々とやっていた。例えば新井さんが寄稿していた『九十年代』編集長の李怡氏のように中国共産党批判の論陣を張る人もたくさんいた。
しかし、97年の返還が近づくにつれ、香港の雰囲気はじわじわと変わっていたのである。
それに何はともあれ、香港人も中国人であった。私はベリンダの家でみんなと一緒にオリンピックをテレビで見たことがあった。もちろんみんなは香港が出れば大騒ぎだが、中国選手団が登場すればやはりやんやの声援を送るのである。
香港人たちの中にも中国人という民族感情は存在するのであり、また97年の返還を前に、香港を出られなかった人々は逆に中国人としてのアイデンティティを強めていったのだろう。そうすることに香港に残り「祖国の胸に帰って行く」自分たちの人生の正当性を確認できる心理的効果があったのではないだろうか。
新井さんの言ったことは香港人たちの痛いところをついたのだろう。しかし、問題は新井さんが外国人、しかも日本人だったことだ。この時点で新井さんは香港人の当時の心理状況を見誤ったのだ。
新井さんとて悪意や揶揄でその記事を書いたのではないはずだ。
だが、私たち現代の日本人は一般に民族とか国家に対する意識が薄い。
まして新井さんは日本を出て中国へ留学し、さらにカナダに移民し、次に香港へ移住したような、いわゆる「国際人」だ。自分の民族とか国家とかに対する意識は薄いというより、むしろそうしたものを否定したいという考えが強かったのではないだろうか。
だからこそ、新井さんは当時の香港の状況を鋭く見抜き、「怖くていえない」ところの話を言わないではおられなかったのだろうし、また逆にそうだからこそ当時の香港人の民族的感情を過小評価してしまったのだろう。
結果、新井さんはとばっちりを受けたのではなく、喧嘩を売った形となった。
香港は確かに制度的にはイギリスの植民地であり、政治的に制約がまったくないわけではないが、現実には言論は極めて自由であり、多くのメディアが大陸批判を堂々とやっていた。例えば新井さんが寄稿していた『九十年代』編集長の李怡氏のように中国共産党批判の論陣を張る人もたくさんいた。
しかし、97年の返還が近づくにつれ、香港の雰囲気はじわじわと変わっていたのである。
それに何はともあれ、香港人も中国人であった。私はベリンダの家でみんなと一緒にオリンピックをテレビで見たことがあった。もちろんみんなは香港が出れば大騒ぎだが、中国選手団が登場すればやはりやんやの声援を送るのである。
香港人たちの中にも中国人という民族感情は存在するのであり、また97年の返還を前に、香港を出られなかった人々は逆に中国人としてのアイデンティティを強めていったのだろう。そうすることに香港に残り「祖国の胸に帰って行く」自分たちの人生の正当性を確認できる心理的効果があったのではないだろうか。
新井さんの言ったことは香港人たちの痛いところをついたのだろう。しかし、問題は新井さんが外国人、しかも日本人だったことだ。この時点で新井さんは香港人の当時の心理状況を見誤ったのだ。
新井さんとて悪意や揶揄でその記事を書いたのではないはずだ。
だが、私たち現代の日本人は一般に民族とか国家に対する意識が薄い。
まして新井さんは日本を出て中国へ留学し、さらにカナダに移民し、次に香港へ移住したような、いわゆる「国際人」だ。自分の民族とか国家とかに対する意識は薄いというより、むしろそうしたものを否定したいという考えが強かったのではないだろうか。
だからこそ、新井さんは当時の香港の状況を鋭く見抜き、「怖くていえない」ところの話を言わないではおられなかったのだろうし、また逆にそうだからこそ当時の香港人の民族的感情を過小評価してしまったのだろう。
結果、新井さんはとばっちりを受けたのではなく、喧嘩を売った形となった。