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香港独言独語

長らく続く香港通い。自分と香港とのあれやこれやを思いつくままに語ってみる。

桜見物(7)

2005-05-22 15:45:57 | Weblog
新井さんは見込み違いをしたのだろう。

香港は確かに制度的にはイギリスの植民地であり、政治的に制約がまったくないわけではないが、現実には言論は極めて自由であり、多くのメディアが大陸批判を堂々とやっていた。例えば新井さんが寄稿していた『九十年代』編集長の李怡氏のように中国共産党批判の論陣を張る人もたくさんいた。

しかし、97年の返還が近づくにつれ、香港の雰囲気はじわじわと変わっていたのである。

それに何はともあれ、香港人も中国人であった。私はベリンダの家でみんなと一緒にオリンピックをテレビで見たことがあった。もちろんみんなは香港が出れば大騒ぎだが、中国選手団が登場すればやはりやんやの声援を送るのである。

香港人たちの中にも中国人という民族感情は存在するのであり、また97年の返還を前に、香港を出られなかった人々は逆に中国人としてのアイデンティティを強めていったのだろう。そうすることに香港に残り「祖国の胸に帰って行く」自分たちの人生の正当性を確認できる心理的効果があったのではないだろうか。

新井さんの言ったことは香港人たちの痛いところをついたのだろう。しかし、問題は新井さんが外国人、しかも日本人だったことだ。この時点で新井さんは香港人の当時の心理状況を見誤ったのだ。

新井さんとて悪意や揶揄でその記事を書いたのではないはずだ。

だが、私たち現代の日本人は一般に民族とか国家に対する意識が薄い。

まして新井さんは日本を出て中国へ留学し、さらにカナダに移民し、次に香港へ移住したような、いわゆる「国際人」だ。自分の民族とか国家とかに対する意識は薄いというより、むしろそうしたものを否定したいという考えが強かったのではないだろうか。

だからこそ、新井さんは当時の香港の状況を鋭く見抜き、「怖くていえない」ところの話を言わないではおられなかったのだろうし、また逆にそうだからこそ当時の香港人の民族的感情を過小評価してしまったのだろう。

結果、新井さんはとばっちりを受けたのではなく、喧嘩を売った形となった。

桜見物(6)

2005-05-21 22:03:31 | Weblog
ところが、先日私はインターネットのとあるサイトで、私の推測を後押しするコラムを発見した。いやあ、インターネットってすごいですね、なのである。こんなマイナーな問題でもちゃんと何らかの回答が得られるのだ。科学は偉大なり。

それは香港在住の富柏村氏(日本人です)がネット日記に書いていたもので、著作権料を請求されたらどうしようか心配しながら、無許可で引用してみる。


ところで香港では人気のエッセイストであった著者は96年の尖閣列島の領有問題での反日運動で「日本人だという理由でとばっちりを受け」連載を全て止めたばかりか日常生活でも障害ありマカオに避難したほど、と書いている。「日本人だという理由でとばっちり」というよりも、著者がそれに続いて述べているが香港市民が翌年の中国返還をまえにこの尖閣列島の問題で愛国熱が高まった事実があり、それを著者は「日本を侵略者という立場に置くことで、中国人の民族意識が高まり、結果的に中央政府への支持が確認されるという歴史的パターン」と指摘し、「中国ではない」香港だったはずが、そのあまりにも簡単に「中国人としての」にシフトしたことに、香港の社会なりアイデンティティの脆弱さがあるか、と著者は歯に衣を着せぬ指摘。これが誰かわかっていてもとても怖くていえぬ事で、それを言った、しかも日本人にそれを言われた、ということだった、と余はあの当時の顛末を理解。


これは氏が「中国語はおもしろい」の読後感を記する際に書いた文章である。

何だか野坂昭如の亜流のような文体だが、新井さんが書いた文章そのものではないにしろ、新井さんが具体的にどのようなことを書いたのか、初めて知ることができ、私はようやく胸のつかえが下りたのだった。

富柏村氏は新井さんとは20年来の付き合いで、新井さんが香港にいる間もずっと親しく交流していたそうである。

だが、中で新井さんが、香港の雑誌『八十年代』から『九十年代』に毎月寄稿し好評を得る、と書いているが、これはちょっと記憶違いだと思う。

雑誌『九十年代』は元は『七十年代』と称していて、それが『九十年代』と改名したのであり、香港には『八十年代』という雑誌はなかったはずである。『八十年代』という雑誌は確か台湾にはあったと思うが。

まぁ、どうでもいいようなものだが、私は意地悪じいさんなので、こんな具合に重箱の隅をつついてはささやかな快感を得るのが無上の喜びなのである。

話が横道にそれてしまった。もっとも私のこのブログの内容自体がいつも横道にそれっぱなしで要領を得ないこと眼に余るところがある。ベリンダたちの桜見物の話がいつの間にやらこんなとこまで発展してしまって収拾がつかなくなりそうで、私自身も不安になってきた。

ま、とにかく、新井さんはとばっちりどころか、正面きって言いたいことを言ってしまったのだ。

桜見物(5)

2005-05-20 22:13:56 | Weblog
いわゆる知識人という人たちはとかくきれいごとや理想論が好きなものである。個人と個人の人間的な草の根レベルの交流を広げることで国家間の友好と理解までも円滑に進めることができうる、という言葉は確かに耳に心地よい。

しかし、何らかの利害が絡めば、あっという間に昨日の友が今日の敵になるのが国家と国家という関係であり、それはこれまでの歴史が証明している。そして、一旦紛糾すれば、その前では個人レベルの善意などまったく無力で簡単に吹っ飛んでしまうものなのだ。

人間は厄介な生物で、国家や民族という共同体的観念の方が個人の価値観より強いものだ。旧ユーゴスラビアでの民族紛争もその例に挙げられる。昨日までの隣人が、今日は銃を手にして殺しあったのである。

2003年に西安大学での日本人留学生の行動から勃発した反日騒動があった。

確か3人の留学生が着衣の上に女性のブラジャーをつけて大学の文化祭の舞台で踊ったのが中国人民を愚弄したととられたことが発端だった。

私は年寄りなので、昨今のノリさえよければ少々のおふざけは許すべきだという日本の風潮が好きではないから、外国でそれが通用するかどうかすら考えないアホな若者に同情する気はさらさらない。

だが、彼らだって悪意でそれをしたわけではなく、それこそ友好のために良かれと思ってしたことなのだ。

いくら何でもその程度のことを反日問題にリンクさせ、それをもって退学処分にするとか、さらにそれをネタにデモを組織し、日本人女子留学生に暴力をふるうなどの行動にまで発展してしまう民族感情は異様で、私の理解の範囲を超えている。

だが、異様でも何でも民族感情とはそんなもので、現にそれが存在しているのが我々の生きているこの人間世界なのである。

ナチスドイツは「世界に冠たるドイツ」とか「ゲルマン民族の優越性」とかをスローガンにしたし、わが日本にも「大和魂」なんてのがある。先だってのワールドカップで、韓国の応援団が「てーはーみんごっ」と叫ぶ声が地鳴りのようにサッカー場に響き、それが私には熱狂よりむしろ不気味な怨念のように聞こえて寒々しい気分になったものだ。

民族感情というのは実に困ったものなのである。

こう書いているうちに、私は以前書いた新井一二三さんのことを思い出した。

新井さんは「中国語はおもしろい」の中で、尖閣列島の領有問題のため香港で反日運動が起こった時の経験をこう書いている。


この時、ちょうど香港に住んで中国語メディアの仕事をしていた私は、日本人だという理由でとばっちりを受け、連載をすべてやめなければならなくなったばかりか、日常生活にも差し障りが出て、しばらくは近隣のマカオに避難したほどである。


この文章に対して、私はそれはちょっと違うんじゃないの、とクレームをつけたのだった。

私が知る限りでは、新井さんは何らかの意見を自分のコラムで発表し、それが香港の「中国人の民族感情」に火をつけてしまったのであり、決して「とばっちりを受けた」のではなく、新井さんの主体的な言動が引き起こした筆禍事件だったはずなのだ。

ただ、香港に住んでいるわけではない私には、それがどんな文章なのか知るすべがなかった。

桜見物(4)

2005-05-19 23:17:53 | Weblog
私個人としては、あの反日運動は中国当局による「間接的な」自作自演だと思う。

あの国においてあれだけ組織立って運動を行うことを当局が事前に把握できないはずはないし、また当局の意に反した運動が行いうるとは考えられない。

そのことは民主化活動家への徹底的な取り締まりや法輪功に対する弾圧からもよくわかることだ。

暴力行為に走るデモ隊の群衆をへらへら笑いながら何の抑制行動もとろうとせず、国際法で守られるべき外国の領事館への投石を止めることもなく、それは日本が悪いから仕方ないのだと外務大臣が公言する。このあたりは「法治国家ではなく人治国家だ」といわれる中国の面目躍如の感がある。

デモ隊のスローガンである「愛国無罪」という言葉は私に文革時代の「造反有理」というスローガンを思い出させた。要するに「自分たちは正しいんだから何をやってもいいんだもんね」という論理なのだ。

そうして日本でも反日運動に比例して嫌中感が高まっていく。

新聞やテレビの報道以外に私自身がとっているメールマガジンでもこの反日騒動に対する情報や批評が伝わってきている。

それらの中でも、この騒動についての見方はいろいろある。

あれはごく一部の人々がやったもので、実際には何の影響もなくさして気にする必要はないという見方もあれば、デモに遭遇してとても怖かったとか、いやがらせをされたという話もあった。

また、広東省東莞の企業で働いている人は日本人社員に対して外出禁止令が出てゴールデンウィークも家でDVDばかり見てすごしたという経験談を披露していた。

ジャーナリストの視点からメールマガジンを発行している人の意見としては、反日デモ騒動は現実にはそれほど気にするほどのものではないが、日中間における歴史問題は否応なく存在し、中国とは今後も付き合いをせざるを得ない。お互いの交流を深めるためには国家間というより、日中の人々が草の根レベルで交流し、個人個人のレベルでお互いの友好を高めていくことこそが最良の方法だ、というのが多いように見受けられた。

なるほど、それなら私たちがやっていることこそそうだろう。私たちとベリンダたちは長年こつこつと付き合いを積み重ねてきた。私たちは日中人民の友好の先端を走っていたのであった。知らなかったけれど。

だが、と私は疑問符をつけたい。ことはそんなに単純なものだろうか。

桜見物(3)

2005-05-18 22:35:53 | Weblog
さて、反日運動のニュースのことだ。

私の広東語は日常会話でおぼえたものだから、堅い話になるとさっぱり役に立たない。だから、ニュースの反日運動をベリンダに説明したが、何とも幼稚な表現しかできず、要領を得ないことおびただしい。

ベリンダも首を傾げてわかったようなわからないような顔をしている。そこで私は北京語で説明しようかと思った。

ベリンダも北京語は聞くぐらいならある程度できるだろうし、私の北京語は日常会話はだめだが、本読み中心の勉強で鍛えたものだから、こういうと変に聞こえるかもしれないが、逆に堅い話の方が話しやすい。だが、私たちの間で北京語を使うというのは何だかひどく他人行儀な感じがしてそぐわない気がした。

思い返してみても我々の20年以上の長い付き合いの中でベリンダに北京語で話をしたことは記憶にない。

うーむ、どうしようかと思案しているうちに、ベリンダはこの問題に興味を失ったような顔をして、違う話題に話を移してしまい、私は拍子抜けするとともにややほっとした。

国と国との間に問題が生じるということは避けられないだろう。だが、個人と個人の間においてはそうした問題は「敬してこれを遠ざける」、つまり避けて通らざるを得ないのではないかと私は思う。

中には、そうした問題をとことん話すのが真の友人である、なんていう人もいるだろうが、それは学者なりジャーナリストなりのそれを飯の種にしている人たちだけが言えるきれいごとにすぎない。

日中間には、さらに尖閣列島の領有権、ガス田の試掘問題など目の前だけでもややこしい問題が山積みである。国家や民族間の問題をとことん突き詰めていけば、やはり最終的には個人と個人でさえぶつからざるを得なくなるのではないか。

ひょっとして、ベリンダもそのあたりを察知して、その話題を深追いしたくなかったのかもしれない。まぁそこはなんといってもお互い大人である。