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香港独言独語

長らく続く香港通い。自分と香港とのあれやこれやを思いつくままに語ってみる。

マフィアのアイスクリーム

2007-11-19 21:04:30 | Weblog
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博益出版集團有限公司出版
彭浩翔著「一種風流」より『雪糕Mafia』


マフィアのアイスクリーム


子供の頃アイスクリームを食べるのに、いちばん好きな銘柄は甄沾記のだった。けれども、少し大きくなってからはクラスメイトから味音痴だと馬鹿にされてしまった。食べるんなら、もちろん牛乳公司の三色アイスクリームでなくちゃ、とみんなが言った。スプーンでひとすくいすると三種類の違った味が味わえて、食べ終わったら、四角いプラスチックの箱が、今度はおもちゃ入れに使える。これは僕が小学生の時の最も贅沢な楽しみだった。

中学に上がり、成長すると西洋かぶれになってしまった。Dreyer’s の出現は僕を狂喜乱舞させたけれど、Ben & Jerry’s と同じように、この種類のアイスクリームはミルクの味がとても重たくて、食べると少し味がくどい。そうして、だんだんDreyer’s からHaagen-Dazs になびいていった。Haagen-Dazs は英語じゃないから、どこかヨーロッパ貴族の味がした。ただ、後になって実際にヨーロッパに行って、特にイタリアでHaagen-Dazs を食べると言ったら、おたくはアイスクリームというものがどういうものか全くわかっとらんね、という顔をされてしまった。イタリア人の友人は僕に、こういったブランドのアイスクリームは、正統なイタリアの伝統あるアイスクリームとは全然比べ物にならない、と言った。

イタリアのアイスクリームは僕らが普通食べ慣れた硬いアイスクリームとはかなり違う。それはアイスクリームとミルクシェイクの間ぐらいのもので、口に入れるとちょっと軟らかく、フルーツの味がやや濃い。イタリアでは、いつもブルーベリーの大袋入りを買う外に、アイスクリームショップを通りがかると、コーヒーショップと店構えが同じだから、必ず腰を下ろして食べながらおしゃべりすることになる。

銅鑼湾広場第2棟の角に、中にテーブルが3、4台あるだけの小さなイタリアアイスクリームショップのGusto Gelato がある。オーナーは正真正銘のイタリア人で、そこのアイスクリームは僕が食べたうちでいちばんイタリアの味を保っているものだけど、中でもドリアンアイスクリームが最もイタリアの味を思い起こさせてくれた。ドリアンじゃ冷え性に悪いって?なら向かいの蛇王二に行けば蛇羹を食べられるよ。

前を通る時、いつも好奇心が抑えられない。イタリア人がなんでまた銅鑼湾に来て小さな店を開いたりしたんだろう。その裏には昔何か渡世の事情があったように思えてくる。まるで故郷を離れたイタリア人みんなが足を洗ったマフィアみたいに。

果物屋

2007-11-16 21:57:16 | Weblog
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博益出版集團有限公司出版
彭浩翔著「一種風流」より『生果檔』


果物屋

果物屋がますまず少なくなってきた。

印象にあるのは、新鮮な果物を買うとしたら、子どもの頃はいつもあの士多(注①)のやってる果物屋に行ってたことだ。どの店でも必ず果物屋の入口に山の棚田みたいに果物を積み上げて並べていた。

各段にひとつの種類の果物だけ置き、上には赤いビニールの覆いをつけた電球があって、まるで果物も卵みたいに電球で照らして品定めするようだった。(注②)環境には優しくないけれど、やっぱり果物を買う時は伝統的な赤いビニール袋に入れてこそ、しっくりくると思う。オレンジを買う時は、おまじないみたいな訳のわからないことが書いてある赤紙が上に貼ってある紙袋を使ってもらわなくちゃいけないことは別として。

もちろん、それからあの、その場で絞ってくれるホットさとうきびジュースと竹篭に山と盛られたさとうきびカスがある。僕はやっぱりさとうきびジュースの方が好きだ。だって、オレンジジュースを注文したら、あの冷蔵ケースに入れられた縁を切ったオレンジは、もう何日間そうやって置かれたままなのか分からないからだ。

きっと新鮮じゃないと思って、しばらくはスーパーマーケットに果物を買いに行くのに抵抗があった。なぜなら、果物屋では人の流れがとても多くて、品物がはけるのが早いから、店主はいつも卸屋から補充していて、どうやらスーパーマーケットの中で積んで置かれている果物よりずっと新鮮なようだと、伝統的に記憶していたからだ。ただ、この頃は市内の気温は高止まりのままだから、新鮮な果物を道端の果物屋に置いていたら、砂埃はもうもうだし、むっとした湿気が果物を熱く蒸してしまう。そのおかげで、朝はまだ仕入れだちで新鮮だったものが、黄昏時にはもう蒸し上げられてふにゃふにゃになってしまって、手にとってみると、まるで一週間置いてたみたいだ。ということは、やっぱりあの低温の陳列棚に置かれているスーパーマーケットの果物の方がもっと衛生的なんだろう。

経済の変化のために果物屋が全体に勢いを無くしてるけれど、地球温暖化がこんな伝統的な店が徹底的に淘汰されてることの主な原因だ。


注①:英語のストアーのこと。街角などにある小さな店。主に雑貨店を指す。
注②:街市(市場)で卵のばら売りをしている場合、一個一個電球で中身を透かして見て、新鮮さを確かめる。





正しい字を正確に

2007-11-13 20:50:05 | Weblog
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博益出版集團有限公司出版
彭浩翔著「一種風流」より『正字正確』


正しい字を正確に

最近香港人の中国内地との往来が頻繁になっていて、いつも内地のお役人と接触しなければならないが、そこでぜひ気にとめておく必要のある事柄がある。それは香港人としては慣れっこになっている言葉が、実は内地の人にしてみると、結構耳障りな場合があるということだ。例をあげて読者にもっと気をつけてもらうことにしたい。

例1:「張社長、私ここんとこ香港の方の仕事がちょっと忙しくて、国内にあまり来られないんですよ」

香港人は1997年以前には深圳河以北をずっと「国内」と呼んでいたけれど、実のところこれはイデオロギー的な国土分裂だった。97年の返還以後香港は中華人民共和国の一部になったんだから、深圳河以北は「国内」じゃない。なぜなら、それを「国内」と呼ぶなら、我香港は「国外」を意味することになるからで、香港から北上するなら、「内地」へ行くと言うべきだろう。

例2:「ここ数年いつも上海に行って商談してるもんで、私の国語が大分進歩しましてねぇ」

基本的に僕らが今言っている「国語」とは、昔中華民国時代だったころ、中華民国政府による投票で北京官話を全国の標準語に選定したものだ。ついでに言っておくと、あの当時広東語は一票の差だけで国語になることができた。もし、もう一票多かったら、今ごろは多くの香港人がずいぶん気楽な思いをしてるだろうし、有線テレビの娯楽チャンネルも香港のタレントをいじめずにすんでいたろう。だから、「国語」とは国民党時代の言い方だ。中華人民共和国が成立したら、僕らがしゃべるのは「普通話」に変わってしまった。

植民地教育が民族国家意識のないこの年代の人間をたくさん作り出したおかげで、不適切な用語を使ったため、途端に「筆禍事件」に落ち込んでしまい、そのうえ自分ではそのことに気がつかないでいたりする。

考え込む

2007-11-11 12:54:32 | Weblog
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博益出版集團有限公司出版
彭浩翔著「一種風流」より『拉扯』



考え込む


釜山の街をぶらぶらしていたら、ずいぶん歩いてもゴミ箱がないのに気がついた。さらに不思議なことに、たとえゴミ箱がなくても、街はとても清潔で、街角にもゴミの山はない。これは現地の清掃員が特に仕事に精を出しているためじゃなく、彼らの一般的な民族性なんだろう。人々はみんな飲み終えたペットボトルや、食べ終えた物の包装紙は持っておいて、ゴミ箱のある所へ来てはじめてそれを捨てるわけで、こんなことは香港ではちょっと想像し難い。

香港のすべての街角、はたまた1ブロックに少なくとも2個ゴミ箱がある。なぜかというと、もしこうした施設がないと、市民は何のためらいもなくゴミをあたりかまわず捨ててしまい、その上胸を張って、それは公共施設の不備のためで、「お上のせいだ」と主張するだろう。

わが民族の自己抑制力は強くない。もちろん、いい風に考えれば、また僕たちの自己抑制力が弱いから、膨大な数の清掃員が清掃作業を行う必要があるわけで、逆に下層階級のためにかなりの就業機会を創出していることになる。ちょうど空港で荷物用カートを元の場所に戻すのに人手を雇う必要があるのと同じだ。

外国のファーストフード店やスターバックスやハーゲンダッツなどの露天レストランでは、食べたり飲んだりした後は、みんな自分でゴミをゴミ箱に捨てていて、こうやってかなりの清掃員を減らしている。
 
けれども、もし香港のマクドナルドのお客さんが全部こんなことをしたら、大量の中年女性の就業機会を奪ってしまうだろう。いったい僕たちは韓国人に学ぶべきなんだろうか、それとも中年の人にチャンスを与えるべきなんだろうか。いつもこんな風な思考上の問題で考えこんでしまい、最後はやっぱりお持ち帰りを注文することに決めて、この煩わしい問題から逃げてしまう。ボランティアで僕のカウンセリングをしてくれる、このコラムを読んでいる精神科のお医者さんはいないかな。

鶏蛋仔(がーいだんちゃい)

2007-11-08 21:59:25 | Weblog
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博益出版集団有限公司出版
彭浩翔著「一種風流」より『雞蛋仔』



雞蛋仔
湾仔のロックハートロードの人民入境事務所の方へ行く横断歩道橋の下にえらくうまい鶏蛋仔を売る店がある。同僚が買ってくる度にみんな喜んで食べている。最後にはみんなで取り合いになってしまうので、毎回誰かが鶏蛋仔を買いに行くと提案すると、取り合いにならないように、いつも一人一枚ずつ注文することにしている。

けれど、どうしてあそこの鶏蛋仔が特にうまいのだろうか。実のところ、鶏蛋仔には別に何か特別な調理技術があるわけじゃない。その後ようやく分かったのが、もともとその秘訣というのが、鶏蛋仔自体にあるんじゃなくて、鶏蛋仔を入れる紙袋にあるということだった。

鶏蛋仔のうまさは、そのぱりぱりとした食感にある。ただ、焼きたての熱くぱりぱりした鶏蛋仔を、もし紙袋に入れてお持ち帰りにしたら、会社に着くまでに少なくとも5分以上かかる。本来のパリッとした鶏蛋仔と鶏蛋仔をつなぐふちはすぐにしなしなと軟らかくなり、もともとのあの食感がなくなってしまう。熱気が紙袋の中にこもり、逃げ場がないから、しまいには湿気となって鶏蛋仔が軟らかくなってしまうのだ。

その温度を保つのは当然重要だけれど、しかしまたそれで軟らかくなるのも防がなければならない。それはまるで、僕らがマクドナルドに行ってフライドポテトを買って帰り、長い間放っておいたら、フライドポテトも蒸されて軟らかくなるのと同じだ。

そこでマクドナルドでのお持ち帰りに長けた人は、きっと食べ物を受け取ったら、フライドポテトの紙袋を開けて、むしろその熱気を早めに逃がしてでも、しなしなにするよりはましだと考えるだろう。このためこの店の鶏蛋仔の特色はコーヒー色の紙袋にあり、数十個の小さな穴があけてあって、こうすれば鶏蛋仔の新鮮さとぱりぱり感を保てるというわけだ。

鶏蛋仔売りはたくさんいるが、この店はちょっとした気配りをするだけで食品の質を上げることができた。成功するか失敗するかは、時としてこんな小さな努力にかかっていることがある。