以下の文章は許可を得ずして翻訳及び掲載しているため著作権を侵害していますので、抗議等あり次第削除される可能性があります。
原文:文學世社出版「香港記憶」中の『港式奶茶瑣語』
著者:小航(編集者・香港資深文學工作者)
香港式ミルクティーあれこれ(4)
香港の労働者階級にはもともと午後3時15分に午後のお茶を飲む慣例があり、長い時間こき使われれば、いかに薄情な社長といえども使用人に一休みさせ、外へ出てほっと一息するのを許さないわけにはいかない。労働者は普通大牌[木當]か茶餐廳で一杯のミルクティーを楽しみ、トーストを一枚食べ、元気を取り戻して、また残りの長く辛い仕事をやり過ごすのである。
イギリス人もお茶を飲むのが好きなことが知られているが、彼の国の国情に詳しい学者の説によると、イギリス国民は無論お茶を愛するが、しかし風習は各々異なり、紳士が飲むのは紅茶そのものであり、中には何も加えない。そして砂糖やミルクをたっぷり入れるのは、鉱夫や沖仲士の類の労働者だと相場が決まっている。
これは簡単な話で、ミルクや砂糖はカロリーが高く、労働者の体力の回復を大いに助けるが、高貴な紳士方の贅沢で安逸な生活ではお茶を飲むのはその芳香を品定めすることにあるのであり、砂糖やミルクを入れてしまえば、紅茶本来の味をたしなむことはできなくなってしまう。
だから、高貴な場でお茶を飲む際に、もしせっせと砂糖とミルクを入れたりしてしまえば、まったくお里が知れてしまうことになる。香港は元はイギリスの植民地だったので、お茶を飲むことにおいては結構「宗主国」のスタイルを受け継いでいるのである。
香港式ミルクティーの飲み方は少しばかり独裁的だと言ったが、しかし自由も自分で勝ち取ることができるものなのだ。客が店員にミルクティーを注文し、もし別に何も言わなければ、調理場の調理師はもちろん自分の口に合ったものを客に調合するだろう。
客がもし他人任せにしたくなければ、店員に自分の要求を出すこともできる。お茶が甘すぎるのが嫌なら、「茶少甜」と言えばよく、調理師は当たり前のこととして砂糖を少なめにしてくれるだろう。「多奶少甜」と言うこともできるが、それはつまりミルクを増やして、砂糖を減らすということであり、逆に「少奶多甜」と言うことも当然ありである。(注:奶とはミルクのこと)
ここでちょっとミルクティーに使うのがいったいどんなミルクなのか言っておかねばならない。高級レストランで使うのは大抵牛乳か紅茶とコーヒー用の味を調えるためのミルク製品なのだが、茶餐廳で使うのはその多くがコンデンスミルクであって、この種のミルクはやや濃縮されており、紅茶に入れると紅茶の滑らかさを強めてくれる。当然のことながら、ミルクが多ければ多いほど、紅茶の苦味は抑えられ、口当たりがよくなるのだが、しかし紅茶の香と濃さはそれにつれて減じてしまうのである。
もし客がただミルク入りの紅茶を飲みたいだけで、砂糖を入れたくなければ、「茶走糖」と言えばいいことにならないか。だめ、である。それでは意味はちょうど逆になってしまう。砂糖を入れなければ、調理師は代って練乳を入れてしまうだろうが、練乳は濃く甘い再生ミルクであり、特別なミルクの香りと甘みがあって、だから紅茶の中に練乳を入れるのが好きな人は、一言「茶走糖」と言えば、その客が何を欲しているのか調理師はすぐにわかるのである。
南洋の華人は紅茶とコーヒーを飲むのが好きだが、入れるのはすべて練乳である。ちょっとした甘みも要らないならば、「茶走甜」と言うべきで、また「茶稀奶」と言ってもいい。稀とは淡(注:あっさりした)という意味である。
「飛砂走奶」に至ってはまたどんな飲み方なのだろうか。聡明な方はひょっとしたらもう察しがついているかもしれないが、「飛砂」とは砂糖を入れないことであり、「走奶」とは即ちミルクを入れないことだから、この場合は何も入れないただの紅茶一杯ということになる。
原文:文學世社出版「香港記憶」中の『港式奶茶瑣語』
著者:小航(編集者・香港資深文學工作者)
香港式ミルクティーあれこれ(4)
香港の労働者階級にはもともと午後3時15分に午後のお茶を飲む慣例があり、長い時間こき使われれば、いかに薄情な社長といえども使用人に一休みさせ、外へ出てほっと一息するのを許さないわけにはいかない。労働者は普通大牌[木當]か茶餐廳で一杯のミルクティーを楽しみ、トーストを一枚食べ、元気を取り戻して、また残りの長く辛い仕事をやり過ごすのである。
イギリス人もお茶を飲むのが好きなことが知られているが、彼の国の国情に詳しい学者の説によると、イギリス国民は無論お茶を愛するが、しかし風習は各々異なり、紳士が飲むのは紅茶そのものであり、中には何も加えない。そして砂糖やミルクをたっぷり入れるのは、鉱夫や沖仲士の類の労働者だと相場が決まっている。
これは簡単な話で、ミルクや砂糖はカロリーが高く、労働者の体力の回復を大いに助けるが、高貴な紳士方の贅沢で安逸な生活ではお茶を飲むのはその芳香を品定めすることにあるのであり、砂糖やミルクを入れてしまえば、紅茶本来の味をたしなむことはできなくなってしまう。
だから、高貴な場でお茶を飲む際に、もしせっせと砂糖とミルクを入れたりしてしまえば、まったくお里が知れてしまうことになる。香港は元はイギリスの植民地だったので、お茶を飲むことにおいては結構「宗主国」のスタイルを受け継いでいるのである。
香港式ミルクティーの飲み方は少しばかり独裁的だと言ったが、しかし自由も自分で勝ち取ることができるものなのだ。客が店員にミルクティーを注文し、もし別に何も言わなければ、調理場の調理師はもちろん自分の口に合ったものを客に調合するだろう。
客がもし他人任せにしたくなければ、店員に自分の要求を出すこともできる。お茶が甘すぎるのが嫌なら、「茶少甜」と言えばよく、調理師は当たり前のこととして砂糖を少なめにしてくれるだろう。「多奶少甜」と言うこともできるが、それはつまりミルクを増やして、砂糖を減らすということであり、逆に「少奶多甜」と言うことも当然ありである。(注:奶とはミルクのこと)
ここでちょっとミルクティーに使うのがいったいどんなミルクなのか言っておかねばならない。高級レストランで使うのは大抵牛乳か紅茶とコーヒー用の味を調えるためのミルク製品なのだが、茶餐廳で使うのはその多くがコンデンスミルクであって、この種のミルクはやや濃縮されており、紅茶に入れると紅茶の滑らかさを強めてくれる。当然のことながら、ミルクが多ければ多いほど、紅茶の苦味は抑えられ、口当たりがよくなるのだが、しかし紅茶の香と濃さはそれにつれて減じてしまうのである。
もし客がただミルク入りの紅茶を飲みたいだけで、砂糖を入れたくなければ、「茶走糖」と言えばいいことにならないか。だめ、である。それでは意味はちょうど逆になってしまう。砂糖を入れなければ、調理師は代って練乳を入れてしまうだろうが、練乳は濃く甘い再生ミルクであり、特別なミルクの香りと甘みがあって、だから紅茶の中に練乳を入れるのが好きな人は、一言「茶走糖」と言えば、その客が何を欲しているのか調理師はすぐにわかるのである。
南洋の華人は紅茶とコーヒーを飲むのが好きだが、入れるのはすべて練乳である。ちょっとした甘みも要らないならば、「茶走甜」と言うべきで、また「茶稀奶」と言ってもいい。稀とは淡(注:あっさりした)という意味である。
「飛砂走奶」に至ってはまたどんな飲み方なのだろうか。聡明な方はひょっとしたらもう察しがついているかもしれないが、「飛砂」とは砂糖を入れないことであり、「走奶」とは即ちミルクを入れないことだから、この場合は何も入れないただの紅茶一杯ということになる。