脳死が人の死として法律で決められているらしい。私は今年心臓手術をした際、心肺を停止して、人工心肺を使って手術した。
よく事故や事件で死亡した際、「すでに心肺停止状態だった」と報道されるが、ということはつまり心臓と肺が止まっているのは生物学的には死んでいることになるんじゃなかろうか。で、私は手術の間死んでいたことになる。
だが、1時30分に開始した手術は無事に終わり、深夜10時に眼が覚めて、死に損なって今も生きているわけだ。
自分でも予想していなかったが、この手術のおかげで人生観が変わった。例えば、一昨年作詞家の阿久悠が70歳で亡くなった時の私の感じ方はこうだった。
「ああ、70までならまだ十何年あるなぁ」
しかし、手術後はそれが「もう十何年しかないなぁ」に変化した。
人生の見方の角度が180度転換して、死を実態として意識するようになったわけである。死ぬことが身近になった。
私のケースの手術では手術中の死亡率が5%とか7%とかいわれていた。それが高いか低いか受け取り方は様々だろう。だが、医師もスタッフも人間だからミスということもあるだろう。胸をばっさり切り開き、心臓も肺も止めるわけだから、大手術と言えば大手術だし、される側としては楽観はできない。ひょっとしたら死ぬかもしれんなぁ、とさすがにしんみりした。
ではあるけれど、まあええか、手術中なら眠ったままあの世行きや、苦痛もなしで極楽大往生やな、と達観することにした。
これは、手術をなめていたのか、病院を信頼していたからか、それとも鈍感だからか、またそれとも自分でも意外なことだが、私にもいささかなりとも潔いところがあったからか、それは我ながらよくわからない。
私は無宗教だから、現時点では、死んだらそれは電源のスィッチがオフになるのと同じで、意識も消え、ただ真っ暗になるだけだ、と考えている。
それにしても年をとれば、誰しも死ぬわけで、それは避けようがない。それが早いか遅いかという問題は残るが、やりたいこともそこそこやってきたから、凡人としては、俺の人生こんなもんちゃうか、と特別思い残すこともないのである。これ以上もう伸び代もないだろうし。
若さを取り戻したいか、と問われると、めっそうもない、としか答えようがない。
私のことだ、若い頃に戻っても、また同じように、わっと顔を覆いたくなるような失敗を何度も繰り返すだろう。それに何よりも貧乏暮らしだったから、もうごめんである。お金持ちの家に生まれるなら、考え直してもいいかもしれないが。
とはいうものの、最近邦画のDVDをあれこれ観ているが、ほとんどが若い俳優さんの主演するものばかりで、彼らの若さを見るにつけ、やはり若いということはいいもんだなぁ、と思ったりもするのである。
彼らも出始めの頃は、監督にだめ出しをくらい泣きそうになったり、NGを何度も繰り返して、多くのスタッフに囲まれ、いたたまれないような思いをしたこともあるだろう。
そんな経験を繰り返しながら、天才的な人も努力家型の人も、有名な人もそうでない人も、一段一段階段を上って俳優として演技力を獲得していっているのに違いない。
プライベートではいやなやつ、鼻持ちならない生意気なやつもいるだろうが、演技の現場ではみんな真剣に必死の思いでやっているだろう。映画を観終えると、そういった若さの良さのようなものが心地いい残像としてしばらく私の中に留まるのである。
おっと、ここで訂正しておかねばならないことがある。
前回、「青と白で水色」について書いた時、宮崎あおいと蒼井優が17歳だったと書いたが、これはある方のコメントをいただいて間違いだったことが判明した。
コメントを読んでいただくのがいちばんだが、このドラマは2001年の12月にテレビで放送されたのだそうだ。だから、製作している時点では11月生まれの宮崎あおいは15歳で、蒼井優は多分16歳となり、17歳と書いたのは私のミスである。
往生際の悪いことを言うようだが、DMMの作品紹介では製作年は2002年とあるので、まず責任の半分をDMMに転嫁することをお許し願いたい。で、月日を考慮せず、同じ年生まれやからええやろ、と二人とも17歳で括ってしまったのは私がずぼらなせいである。
女性にとって年は重要なものだし、17歳と15歳ではこれは大違いだ。責任の残り半分を謹んで宮崎蒼井両ファンの皆様に深くお詫びします。
いやぁ、それにしてもディープなファンもおられるのでうかつなことは書けないなぁ、と反省しているのだが、私のことだから2度あることは3度あるで、またやってしまいそうだ。このブログの内容は話半分に読んでくださるとありがたい。また、できれば前回分のコメントにも目を通していただきたい。
それにしても宮崎あおい、15歳であれか。す、すごい、としか言いようがない。
「青と白で水色」では、蒼井優のいじめに耐え切れず、宮崎あおいはとうとう校舎の屋上の鍵を開け飛び降りようとする。そこを小栗旬に引きとめられることになる。このあたりの場面は作品を見て欲しい。(こんなこと書くとDMMから何か送ってくれるかな。ぜひそうして欲しい。宣伝してあげてます。けど閲覧者数が少ないからねぇ。それは無理だな。こういうのをゴミブログとか呼ばれるんだろうが)
その後屋上に大の字に寝て空を見上げながら、宮崎が言う。
「屋上から見る空って青いんだね」
すると、小栗が答える。
「空なんてえ・・・、どこから見たって青いよ」
宮崎が微笑む。
「そうか」
そこにチャイムが鳴る。宮崎は立ち上がり、屋上の手すりに手をつく。小栗が坐ったままで声をかける。
「どうすんの」
その声は、さっぱりしたトーンで、もう小栗が宮崎は昆虫が脱皮するように一段成長したことを感じ取っている声だ。
宮崎は手すりに手を置いて外を向いたまま、わずかに微笑を混ぜて、決心したようにきっぱりと答える。
「わたしぃ、教室もどるね」
小栗が少し顔を傾け、小さく微笑む。
「そう」
宮崎の横顔がアップになり、決意を含んだ笑みで、自分にも言い聞かすように力を込めて頷く。
「うん」
小栗が微笑んだ時からロック調の曲のイントロが流れ始める。この曲がとても効果的だ。
その曲に押されるかのように宮崎が花を挿したガラスの小さな花瓶を両手で持って廊下を教室へ向かって歩いていく。これまで嫌がらせで置かれていた花瓶だ。(それをこの時どこで手に入れたのかは、こんな場合聞かないのが約束である)
教室に入ると、同級生たちの中を顔を上げて最後列窓際の自分の机まで歩き、花瓶を置く。そして椅子に坐り、しゃんと背を伸ばし、それまでのおどおどしたものとは違うしっかりした目でまっすぐに正面を見つめる。
その視線は、いじめられていた女の子が成長したことを表すと同時に、15歳の宮崎あおいの、女優としてやっていくんだ、という強い意志をも放っているように見えた。
よく事故や事件で死亡した際、「すでに心肺停止状態だった」と報道されるが、ということはつまり心臓と肺が止まっているのは生物学的には死んでいることになるんじゃなかろうか。で、私は手術の間死んでいたことになる。
だが、1時30分に開始した手術は無事に終わり、深夜10時に眼が覚めて、死に損なって今も生きているわけだ。
自分でも予想していなかったが、この手術のおかげで人生観が変わった。例えば、一昨年作詞家の阿久悠が70歳で亡くなった時の私の感じ方はこうだった。
「ああ、70までならまだ十何年あるなぁ」
しかし、手術後はそれが「もう十何年しかないなぁ」に変化した。
人生の見方の角度が180度転換して、死を実態として意識するようになったわけである。死ぬことが身近になった。
私のケースの手術では手術中の死亡率が5%とか7%とかいわれていた。それが高いか低いか受け取り方は様々だろう。だが、医師もスタッフも人間だからミスということもあるだろう。胸をばっさり切り開き、心臓も肺も止めるわけだから、大手術と言えば大手術だし、される側としては楽観はできない。ひょっとしたら死ぬかもしれんなぁ、とさすがにしんみりした。
ではあるけれど、まあええか、手術中なら眠ったままあの世行きや、苦痛もなしで極楽大往生やな、と達観することにした。
これは、手術をなめていたのか、病院を信頼していたからか、それとも鈍感だからか、またそれとも自分でも意外なことだが、私にもいささかなりとも潔いところがあったからか、それは我ながらよくわからない。
私は無宗教だから、現時点では、死んだらそれは電源のスィッチがオフになるのと同じで、意識も消え、ただ真っ暗になるだけだ、と考えている。
それにしても年をとれば、誰しも死ぬわけで、それは避けようがない。それが早いか遅いかという問題は残るが、やりたいこともそこそこやってきたから、凡人としては、俺の人生こんなもんちゃうか、と特別思い残すこともないのである。これ以上もう伸び代もないだろうし。
若さを取り戻したいか、と問われると、めっそうもない、としか答えようがない。
私のことだ、若い頃に戻っても、また同じように、わっと顔を覆いたくなるような失敗を何度も繰り返すだろう。それに何よりも貧乏暮らしだったから、もうごめんである。お金持ちの家に生まれるなら、考え直してもいいかもしれないが。
とはいうものの、最近邦画のDVDをあれこれ観ているが、ほとんどが若い俳優さんの主演するものばかりで、彼らの若さを見るにつけ、やはり若いということはいいもんだなぁ、と思ったりもするのである。
彼らも出始めの頃は、監督にだめ出しをくらい泣きそうになったり、NGを何度も繰り返して、多くのスタッフに囲まれ、いたたまれないような思いをしたこともあるだろう。
そんな経験を繰り返しながら、天才的な人も努力家型の人も、有名な人もそうでない人も、一段一段階段を上って俳優として演技力を獲得していっているのに違いない。
プライベートではいやなやつ、鼻持ちならない生意気なやつもいるだろうが、演技の現場ではみんな真剣に必死の思いでやっているだろう。映画を観終えると、そういった若さの良さのようなものが心地いい残像としてしばらく私の中に留まるのである。
おっと、ここで訂正しておかねばならないことがある。
前回、「青と白で水色」について書いた時、宮崎あおいと蒼井優が17歳だったと書いたが、これはある方のコメントをいただいて間違いだったことが判明した。
コメントを読んでいただくのがいちばんだが、このドラマは2001年の12月にテレビで放送されたのだそうだ。だから、製作している時点では11月生まれの宮崎あおいは15歳で、蒼井優は多分16歳となり、17歳と書いたのは私のミスである。
往生際の悪いことを言うようだが、DMMの作品紹介では製作年は2002年とあるので、まず責任の半分をDMMに転嫁することをお許し願いたい。で、月日を考慮せず、同じ年生まれやからええやろ、と二人とも17歳で括ってしまったのは私がずぼらなせいである。
女性にとって年は重要なものだし、17歳と15歳ではこれは大違いだ。責任の残り半分を謹んで宮崎蒼井両ファンの皆様に深くお詫びします。
いやぁ、それにしてもディープなファンもおられるのでうかつなことは書けないなぁ、と反省しているのだが、私のことだから2度あることは3度あるで、またやってしまいそうだ。このブログの内容は話半分に読んでくださるとありがたい。また、できれば前回分のコメントにも目を通していただきたい。
それにしても宮崎あおい、15歳であれか。す、すごい、としか言いようがない。
「青と白で水色」では、蒼井優のいじめに耐え切れず、宮崎あおいはとうとう校舎の屋上の鍵を開け飛び降りようとする。そこを小栗旬に引きとめられることになる。このあたりの場面は作品を見て欲しい。(こんなこと書くとDMMから何か送ってくれるかな。ぜひそうして欲しい。宣伝してあげてます。けど閲覧者数が少ないからねぇ。それは無理だな。こういうのをゴミブログとか呼ばれるんだろうが)
その後屋上に大の字に寝て空を見上げながら、宮崎が言う。
「屋上から見る空って青いんだね」
すると、小栗が答える。
「空なんてえ・・・、どこから見たって青いよ」
宮崎が微笑む。
「そうか」
そこにチャイムが鳴る。宮崎は立ち上がり、屋上の手すりに手をつく。小栗が坐ったままで声をかける。
「どうすんの」
その声は、さっぱりしたトーンで、もう小栗が宮崎は昆虫が脱皮するように一段成長したことを感じ取っている声だ。
宮崎は手すりに手を置いて外を向いたまま、わずかに微笑を混ぜて、決心したようにきっぱりと答える。
「わたしぃ、教室もどるね」
小栗が少し顔を傾け、小さく微笑む。
「そう」
宮崎の横顔がアップになり、決意を含んだ笑みで、自分にも言い聞かすように力を込めて頷く。
「うん」
小栗が微笑んだ時からロック調の曲のイントロが流れ始める。この曲がとても効果的だ。
その曲に押されるかのように宮崎が花を挿したガラスの小さな花瓶を両手で持って廊下を教室へ向かって歩いていく。これまで嫌がらせで置かれていた花瓶だ。(それをこの時どこで手に入れたのかは、こんな場合聞かないのが約束である)
教室に入ると、同級生たちの中を顔を上げて最後列窓際の自分の机まで歩き、花瓶を置く。そして椅子に坐り、しゃんと背を伸ばし、それまでのおどおどしたものとは違うしっかりした目でまっすぐに正面を見つめる。
その視線は、いじめられていた女の子が成長したことを表すと同時に、15歳の宮崎あおいの、女優としてやっていくんだ、という強い意志をも放っているように見えた。