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香港独言独語

長らく続く香港通い。自分と香港とのあれやこれやを思いつくままに語ってみる。

死に損ないと若さ

2009-09-04 16:39:30 | Weblog
脳死が人の死として法律で決められているらしい。私は今年心臓手術をした際、心肺を停止して、人工心肺を使って手術した。

よく事故や事件で死亡した際、「すでに心肺停止状態だった」と報道されるが、ということはつまり心臓と肺が止まっているのは生物学的には死んでいることになるんじゃなかろうか。で、私は手術の間死んでいたことになる。

だが、1時30分に開始した手術は無事に終わり、深夜10時に眼が覚めて、死に損なって今も生きているわけだ。

自分でも予想していなかったが、この手術のおかげで人生観が変わった。例えば、一昨年作詞家の阿久悠が70歳で亡くなった時の私の感じ方はこうだった。

「ああ、70までならまだ十何年あるなぁ」

しかし、手術後はそれが「もう十何年しかないなぁ」に変化した。

人生の見方の角度が180度転換して、死を実態として意識するようになったわけである。死ぬことが身近になった。

私のケースの手術では手術中の死亡率が5%とか7%とかいわれていた。それが高いか低いか受け取り方は様々だろう。だが、医師もスタッフも人間だからミスということもあるだろう。胸をばっさり切り開き、心臓も肺も止めるわけだから、大手術と言えば大手術だし、される側としては楽観はできない。ひょっとしたら死ぬかもしれんなぁ、とさすがにしんみりした。

ではあるけれど、まあええか、手術中なら眠ったままあの世行きや、苦痛もなしで極楽大往生やな、と達観することにした。

これは、手術をなめていたのか、病院を信頼していたからか、それとも鈍感だからか、またそれとも自分でも意外なことだが、私にもいささかなりとも潔いところがあったからか、それは我ながらよくわからない。

私は無宗教だから、現時点では、死んだらそれは電源のスィッチがオフになるのと同じで、意識も消え、ただ真っ暗になるだけだ、と考えている。

それにしても年をとれば、誰しも死ぬわけで、それは避けようがない。それが早いか遅いかという問題は残るが、やりたいこともそこそこやってきたから、凡人としては、俺の人生こんなもんちゃうか、と特別思い残すこともないのである。これ以上もう伸び代もないだろうし。

若さを取り戻したいか、と問われると、めっそうもない、としか答えようがない。

私のことだ、若い頃に戻っても、また同じように、わっと顔を覆いたくなるような失敗を何度も繰り返すだろう。それに何よりも貧乏暮らしだったから、もうごめんである。お金持ちの家に生まれるなら、考え直してもいいかもしれないが。

とはいうものの、最近邦画のDVDをあれこれ観ているが、ほとんどが若い俳優さんの主演するものばかりで、彼らの若さを見るにつけ、やはり若いということはいいもんだなぁ、と思ったりもするのである。

彼らも出始めの頃は、監督にだめ出しをくらい泣きそうになったり、NGを何度も繰り返して、多くのスタッフに囲まれ、いたたまれないような思いをしたこともあるだろう。

そんな経験を繰り返しながら、天才的な人も努力家型の人も、有名な人もそうでない人も、一段一段階段を上って俳優として演技力を獲得していっているのに違いない。

プライベートではいやなやつ、鼻持ちならない生意気なやつもいるだろうが、演技の現場ではみんな真剣に必死の思いでやっているだろう。映画を観終えると、そういった若さの良さのようなものが心地いい残像としてしばらく私の中に留まるのである。

おっと、ここで訂正しておかねばならないことがある。

前回、「青と白で水色」について書いた時、宮崎あおいと蒼井優が17歳だったと書いたが、これはある方のコメントをいただいて間違いだったことが判明した。

コメントを読んでいただくのがいちばんだが、このドラマは2001年の12月にテレビで放送されたのだそうだ。だから、製作している時点では11月生まれの宮崎あおいは15歳で、蒼井優は多分16歳となり、17歳と書いたのは私のミスである。

往生際の悪いことを言うようだが、DMMの作品紹介では製作年は2002年とあるので、まず責任の半分をDMMに転嫁することをお許し願いたい。で、月日を考慮せず、同じ年生まれやからええやろ、と二人とも17歳で括ってしまったのは私がずぼらなせいである。

女性にとって年は重要なものだし、17歳と15歳ではこれは大違いだ。責任の残り半分を謹んで宮崎蒼井両ファンの皆様に深くお詫びします。

いやぁ、それにしてもディープなファンもおられるのでうかつなことは書けないなぁ、と反省しているのだが、私のことだから2度あることは3度あるで、またやってしまいそうだ。このブログの内容は話半分に読んでくださるとありがたい。また、できれば前回分のコメントにも目を通していただきたい。

それにしても宮崎あおい、15歳であれか。す、すごい、としか言いようがない。

「青と白で水色」では、蒼井優のいじめに耐え切れず、宮崎あおいはとうとう校舎の屋上の鍵を開け飛び降りようとする。そこを小栗旬に引きとめられることになる。このあたりの場面は作品を見て欲しい。(こんなこと書くとDMMから何か送ってくれるかな。ぜひそうして欲しい。宣伝してあげてます。けど閲覧者数が少ないからねぇ。それは無理だな。こういうのをゴミブログとか呼ばれるんだろうが)

その後屋上に大の字に寝て空を見上げながら、宮崎が言う。

「屋上から見る空って青いんだね」

すると、小栗が答える。

「空なんてえ・・・、どこから見たって青いよ」

宮崎が微笑む。

「そうか」

そこにチャイムが鳴る。宮崎は立ち上がり、屋上の手すりに手をつく。小栗が坐ったままで声をかける。

「どうすんの」

その声は、さっぱりしたトーンで、もう小栗が宮崎は昆虫が脱皮するように一段成長したことを感じ取っている声だ。

宮崎は手すりに手を置いて外を向いたまま、わずかに微笑を混ぜて、決心したようにきっぱりと答える。

「わたしぃ、教室もどるね」

小栗が少し顔を傾け、小さく微笑む。

「そう」

宮崎の横顔がアップになり、決意を含んだ笑みで、自分にも言い聞かすように力を込めて頷く。

「うん」

小栗が微笑んだ時からロック調の曲のイントロが流れ始める。この曲がとても効果的だ。

その曲に押されるかのように宮崎が花を挿したガラスの小さな花瓶を両手で持って廊下を教室へ向かって歩いていく。これまで嫌がらせで置かれていた花瓶だ。(それをこの時どこで手に入れたのかは、こんな場合聞かないのが約束である)

教室に入ると、同級生たちの中を顔を上げて最後列窓際の自分の机まで歩き、花瓶を置く。そして椅子に坐り、しゃんと背を伸ばし、それまでのおどおどしたものとは違うしっかりした目でまっすぐに正面を見つめる。

その視線は、いじめられていた女の子が成長したことを表すと同時に、15歳の宮崎あおいの、女優としてやっていくんだ、という強い意志をも放っているように見えた。


青と白で水色

2009-09-01 19:04:15 | Weblog
レンタルビデオ屋さんへ行くと、旧作がどんどんなくなっていっている。

ちょっと前ツタヤに行って池脇千鶴の「丘を越えて」をさがしてもらった。すると、

「すみません。もう在庫がないんです」

「えっ、1週間ぐらい前棚にあった気がするんやけど」

「2、3日前に整理したみたいで、申し訳ありません」

との返事。

まぁ店側としても、新作がガンガン入ってくるから、置き場に困るわけで、借りられないDVDをいつまでも在庫で抱えているわけにはいかないのだろう。その辺の商売事情はよくわかる。たまにあまりにもぎゅうぎゅうに棚に並べられてるもんで、引っ張り出してみて元に戻そうとしても、窮屈すぎて中に入らないこともあるしね。

だからとうとうDMMに加入した。別にツタヤでもいいんだが、DMMの方がホームページで作品の探し方が簡単なような気がしたからで、テレビの宣伝の「ネットで借りてポストに返却~」という宣伝にひっかかったわけじゃない。いや、ちょっとそれもあるか、深層心理では。

ホームページで見るとかなり以前の作品も充実しているから、現在邦画での遅れを取り戻すべく奮闘努力している身としてはかなり助かる。それにレビューがたくさん載っていて、それも参考にできるため、知らない役者さんの作品でもその評価の星の数を基準にいっちょう観てみるか、という気も起こったりすわけである。

もちろん、レビューはあくまでも評価する人の好みにかかっているので、星の数が少ないからといって、必ずしも私に合わないというわけではないし、逆もまた言える。星は多いが、いやあちょっとなぁ・・・、というのもあるのである。

でも、五つ星が満点のところで四つ星がついていると、かなりの確率で当りがある。星三つの場合は完全に観る者の好みで分かれる。例えば、自分が好きな役者さんだとそれだけで少々の欠点には目をつむれたりするからだ。

ただ、ネットで借りる場合の欠点は観たい作品が即観られるというわけにはいかないところだ。レンタル店の場合だと、棚にあればすぐに借りられるが、ネット注文では、一応自分のリストを作って、その中で在庫があれば送ってくるシステムになっているから、次に何が来るかは相手任せということになってしまう。人気作品は競争率も激しいらしくなかなか来ない。

そこで、近作でどうしてもすぐ観たい場合はツタヤの店舗に行って借り、待てる分、あるいは、旧作で店舗にない作品はひたすら待つ、という二刀流で行くことにしたわけである。

現在のところ池脇千鶴と蒼井優の線を中心に注文を入れているわけだが、今回蒼井出演の「青と白で水色」が届いた。レビューでは星5個の満点だが、たった一人しか投稿がなかったので、一抹の不安はあったけれど、これがなかなかよかった。

日本テレビシナリオ登龍門2001大賞受賞作品とタイトルに書いてあったが、時間も46分と短くテンポもいい、かといって短編というほど短くは感じない。新人でこんな脚本を書ける人がいるとは、世の中には才能のある人はごまんといるんだなぁ、と恐れ入った。

内容は高校のいじめをテーマにしたもので、主演は宮崎あおいだ。恥ずかしながらいい年をして蒼井優ファンのおじさんとしては、蒼井優がいじめ役というのが、う~んそんな役やって欲しくないなぁ、となるところだけれど、まぁ仕事ですからねえ、仕方ない。

しかし、蒼井も宮崎も共に1985年生まれで、2002年製作だから両者ともに17歳の時に、高校生が高校生を演じたということだが、いやぁ宮崎あおいはうまいです。17でこれか、というぐらい熱演してます。これからは宮崎あおいも自分のファンリストに入れることに決定した。

「篤姫」はNHKの時代劇だから演技にも制約があったんだろうし、ちらちらと観たぐらいであまり感心しなかったが、このドラマでの演技力はほんと保証します。ま、私が保証しても何の価値もないけれどね。

それに較べ、蒼井はどういうかなぁ、まぁ役柄仕方ないんだろうけど、いまいちだったな。生意気な女子高生というオーラはがんがん出てたし、憎たらしいいじめっ子という役は十分伝わってきて、こういう女子高生のガキは近所にもおるなぁ、と思ったら、おじさん蒼井優のファンのくせに一発しばきたくなったほどだ。

観るものに憎たらしいやっちゃなぁ、と思わせたということは、一応演技としては成功と言える。

しかし、二人は中学時代にはかなり仲の良いい友達同士だったという設定だから、いじめる際にも何かそうした背景を示唆するものがあってしかるべきだろうと思う。

けれど、顔がアップになった時、表情にもう一ひねりアクセントがない。いじめながら、いじめられ役の宮崎と目を合わせた時に、視線をついそらす、といったあたりに、ある種の後ろめたさを表していると解釈できないこともないが、もうちょっと微妙な振幅が欲しいなぁと思ってしまった。

池脇千鶴ならあんな場面でももうちょっと何か付け加えるような気がする。もっとも池脇にはいじめ役は回ってこないだろうけど、絶対。何しろあの顔だからね。

ま、外野ではいろいろ言えるが、17歳なら監督さんの指示通り動くだけで精一杯だったんだろうなぁ。

ただ、思うのは蒼井優は緻密な演技派ではないんじゃないか、ということだ。だから、どう言ったらいいか、前に池脇千鶴は変化球投手だと言ったが、蒼井優はストレート主体のピッチャーではないだろうか。

つまり蒼井優は細かな演技よりも、各シーンでの存在感で表現するタイプじゃないだろうか。そのシーンシーンで独自の雰囲気を自分にまとわらせて、それをまるごとぽんとそこに置いて見せる。惜しむらくは、この映画の場合はストレートがちょっと一本調子だったんじゃなかろうか。宮崎あおいが熱演してるだけに余計そう思わされるのかもしれないが。

もっとも宮崎が主演で、蒼井はサブの立場だから、フルに力を発揮できなかったとしても無理はない。あまり多くを要求するのも酷な話ではあるな。

蛇足になるけど、小栗旬が結構おいしい役をもらって、うまい演技をしている。日頃テレビのドラマは観ない主義なので、なんかチンピラっぽいやっちゃなぁ、という偏見を持っていたが、このたび心を入れ替えました。

小栗も結構やりますな。そんなん、ちょっとかっこ良過ぎるで、と冷かしたいぐらい、いい味出してます。小栗旬の女性ファンの方なら観て損はないと思う。あ、もちろん男性ファンの方もどうぞ。

アルフィー最後の夏イベ

2009-08-28 11:31:48 | Weblog
アルフィーが1982年以来続けてきた恒例の夏イベントである野外コンサートが今年で終わった。周辺への騒音問題などで野外活動が難しくなったというのが一番の理由らしい。

という話は実はメリーアンからのメールで知ったのである。メリーアンはもちろん本名は中国名だ。以前も書いたが、生まれも育ちも香港の中国人で長年アルフィーの追っかけをしている。

友人からの紹介で知り合い、15、6年くらい前初めてのアルフィーのチケットを私たちが手配してやった。それ以後毎年のようにコンサートを見に来ていたが、1回目の会場で知り合った同じ追っかけの日本人たちと友達になり、2度目からは彼らがチケットの世話をしてくれている。

しがないOLなんだから、そんなことに金を使わずに少しは貯金しろよ、とおせっかいなことを言ったことも1度や2度ではないが、その都度へらへら笑って話をはぐらかしゃがるのである。

しかし、5、6年前にファイゴーと付き合い始めてからはさすがに将来のことを考え始めたようで、コンサートに行きたいけどお金がね、と殊勝な口振りをするようになった。まぁ結婚は何かと物入りだ。お金がなければ始まらない。

ただ、私たちが香港へ行っても、スケジュールが合わなかったりで、もう3年くらい会ってない。それにメールも途絶えていたから、ひょっとして「掟煲(鍋を投げる)」してしまった、つまり別れたんじゃないかと内心心配していたのである。

そこへ突然この12月に結婚式をすることになったから、式に出てくれないか、とメールがきた。そして最後だから今回のアルフィーの夏イベに来るが、会社をあまり休めないので、8月の8日、9日、10日しか滞在できない。申し訳ないが、大阪まで来られない、と書いてあった。

いや、こっちも体調がいまいちなので来てもらっても接待できないから、それはそれで都合がいいわけだし、体調の説明をして、式には残念ながら出席できない、と返信した。

しかし、まぁとにかくおめでたいことではある。彼女ももうすぐ40になる。昨今は大陸妹と結婚する香港男性が増えているから、早いとこ片付かないとそれこそ「老姑婆」になってしまうところだ。

長年アルフィーの追っかけばかりに夢中になり、一時は人生を棒に振るんじゃないかと心配していたが、人間結局落ち着くところに落ち着くものである。よかったよかった。

今後は家庭を持ち、融通も独身時代ほどはきかなくなるだろうから、今回はいよいよ最後の最後で、これで足を洗って堅気に戻るなんて決死の覚悟で来たのかもしれない。

メリーアンという名前はもちろんアルフィーの歌の最初のヒット曲「メリーアン」からつけたものだ。アルフィー命なのである。新聞記事によると、今回のコンサートではアルフィーが「メリーアン」を歌い始めた瞬間、会場のボルテージが一気に盛り上がったそうだ。当然、メリーアンも血圧計が測定不能になるぐらい頭に血が上ったに違いない。いい年をして絶叫して失神した可能性も考えられなくはない。

今のところ、そのコンサートでどうだったかの報告メールは届いていないのだけれど、アルフィーのコンサートで外国人が脳内出血で死んだというニュースは流れてないし、多分無事だったんだろう。いや、まぁその程度の事件なら新聞にも出ないだろうけれど。

それにしても、今年の2月にも阿豪の結婚式があり、退院直後だったためこれにも出席できず、不義理のしっぱなしやなぁ、と心が痛い。いつか何かでお返ししないといけない、と若干プレッシャーがかかっているところだ。

そうそう、阿豪からの式への招待状にはぴんぴんの10香港ドル札の入った赤い利是袋(いわばお年玉袋みたいなものだ)が同封されていた。これは縁起物で、結婚式の招待状には必ずつけるものだという。

それは我家の壁に飾ってあり、一応我々としても日夜阿豪の新婚生活の平穏を祈ったりしてもいるのである。

池脇千鶴とマダックス

2009-08-25 10:03:43 | Weblog
メジャーリーグ屈指の技巧派投手グレッグ・マダックスは昨年引退した。5008回と三分の一イニングス投げ、355勝上げた。与えた四球はわずか999個という恐るべきコントロールの持ち主だった。

私は特に野球ファンでもなく、メジャーの試合も、よほど閑な時にたまに見るか、スポーツニュースで見るぐらいだ。それでも1度マダックスの投球は見たことがある。とにかくテレビで見ていても球の切れと、正確無比のコントロールはびんびん伝わってきた。

例えば、2ストライク1ボールの場面で、カーブがストライクゾーンいっぱいの外角低めぎりぎりに鋭く曲がってすとんと落ちる。バッターはピクリとも動けず見逃しの三振だ。いや、すとんと落ちるというより縦にスパッと空気を切り裂くみたいに落ちる。うはっ、あれは打てんわなぁ、と正直感動した。これが噂のマダックスか。

ストレートの球速は140キロちょっとぐらいだそうだが、あそこまで厳しい変化球をコーナーをついて投げられれば、ストレートの速さなんか必要ないだろう。さすが精密機械と呼ばれるだけのことはある、すさまじい制球力だった。

さて、池脇千鶴には「ジョゼ虎」ではまっちゃったわけで、その後立て続けに何本も見たし、演技力がすごいとはプロも認めるところだということは前にも書いた。

ところが、先日「丘を越えて」を見たが、いまいちしっくりこなかったのである。

池脇は亡くなった父親は的屋の親分、母親は三味線を弾きながら色町で稼ぐ、という家のちゃきちゃきの下町娘の役で、それがつてを伝って文芸春秋社へ就職し、菊池寛の個人秘書として雇ってもらえることになった。で、仕事へ行くからファッションも着物から洋装のモダンガールへ変身し、もてもてになる。

しかし、どこかぴんとこない。まずおしゃれしても幼く見えてしまう。とても可愛くてファンとしては「ちーちゃん可愛い!」と叫びたいところだが、あの手の美人は万人の男にもてる、ということはないんじゃなかろうか。そこにちょいと無理がありそうな気がする。

それと、何よりも彼女の役どころが極めてストレートな性格の女性だということが、池脇の演技力を生かしきれていないように思う。演技はうまいし、それなりにこなしてはいるけれど、型どおりの役に納まっていて、意外性がない。ただ1場面だけ、菊池寛に経歴を偽っていたことを謝る場面があって、そこだけは、池脇やなぁ、と思ったが。

次にスマップの中居が主演していたシリーズ物の「ナニワ金融道 六」を借りてみた。池脇の役はデート商法で男を引っかけては高いものを買わせてリベートを稼ぐ女、という役だが、こっちははまり役だった。

昔の恋人がやくざで、心底惚れ込んでいたから刺青まで入れたが、結局男に捨てられ、その時の借金を返すためにそんな仕事に精を出しているという背景を持っている。

二人は恋仲になるが、最後には別れることになる。それはお互いが、何でも、友情や愛情でさえも金で計ってしまう同じ種類の人間だから、と池脇は言う。

「わたし一目見た時からあんたに惚れてたんよ。それやのにあんたに物を買わせようとしてしもた」

と告白する。そんな二人が一緒になってもうまくいくはずがない。結婚はお互いが相手の足りないところを補い合うもの同士がするもんやと思う、と。

冬の寒い橋の上で話しながら、中居も、そうだね、と同意する。

けど、二人でいた時はほんとに楽しかったよ、と中居が言い、池脇も嬉しそうに、私も、と答える。この場面は二人が本当の自分をさらけ出してしているシーンだが、実はこの時池脇は自分の客を待っているのだった。

そこへその騙されている客の若い男がやってくる。それを見て、池脇がぼそっと言う。

「カモが来たわ」(注:この「わ」は大阪弁の「わ」で女性言葉の「わ」ではありません)

それまでの二人の情感のこもった会話から、瞬時に一変した乾いた声音で、相手を人間じゃなく金になる物としてしか見てないという冷たい語感がすっと伝わってくる。いや、上手やねえ、と感嘆せざるをえない。

その他のシーンでも、とにかく目線とかちょっとした笑い方とか、自分がシーンのメインでないところでも細かいところに神経のいきとどいた演技をする。ほんの少しのことだが、それってなかなかできるもんじゃないんじゃないか。

だから、枠をはみ出てメインを食うほど目立つこともある。特に中居君は大根だから余計そう見えてしまうんだろうが、そうした演技は計算でやっているのか、それとも成りきっているから自然にできるのか、いちど本人に聞いてみたいところだ。

余談だが、実は知人の娘さんが中学の時池脇の1年上の先輩で、ちょっと知った仲だったそうで、実家もどこか知っているという。それを聞いた時、これはまんざら可能性がないわけでもないか、と一瞬欲が出た。けれど、もう一家そろって東京へ引っ越してしまい、こっちへは帰ってこないだろうという話で、これははかない夢で終わりそうだ。残念。

話を戻すが、池脇にはやはり複雑系の役が似つかわしいと思う。そういう型にはめられるのは本人は嫌かも知れないが、ストレートなわかりやすい性格の役では、池脇千鶴の本領が発揮されないんじゃないだろうか。

「音符と昆布」ではアスペルガー症候群の女の子を演じ、「ストロベリーショートケイクス」では振られた男の脚にしがみつき路上をひきずられ、それでもめげずに「恋がしたいっすねえ・・・」と空を見上げる、ある意味しぶとい女の子をやった。

だから、演技を野球に置き換えてメジャーで言えば、池脇千鶴はノーラン・ライアンのような剛速球ピッチャーではなく、マダックスみたいに、ボールの縫い目にまで神経のいきとどいた投球をする技巧派のピッチャーだ。

まぁ、実のところまだその域まではいけてないかもしれないけれど、少なくともそれを目指して欲しい。池脇千鶴には変化球が似合う、と思う。これからも切れ味鋭い変化球を投げ続けて、おおっとそんなのもありか、とこちらを驚かせて欲しいものである。まだまだ先は長いんだから。


スタンレーから電話

2009-08-22 17:27:19 | Weblog
7時半に携帯が鳴った。

発信人を見るとスタンレーである。香港から国際電話をかけてきた。

「もしもーし、スタンレーか?」

「そや。元気かぁ」

こっちはアンテナがばっちり立っているが、いつになく音声が悪い。

「麻麻地(まーまーでい)やなぁ」

広東語で麻麻地とは、「あんまり良くない」ということである。

「きちんと食事して静養してんのか?」

「食欲はあるし、家でのんびりしてんねんけどな。どうも慢性肺炎の方がなぁ、うまいこといけへんねん」

実は私は1月に心臓の手術をして、退院後免疫力が弱まっている時にリハビリに精を出しすぎたのが裏目に出て、慢性的な肺炎にかかってしまった。またこれがしつこいのである。

「あんな、栄養つけんとあかんで。滋養のあるスープ作って飲むねんで。今度作り方教えたるわ」

またこれだ。中国人は何かというと身体のために「湯」、つまりスープを作って飲めという。しかし、困ったことに日本人は伝統的に長時間ぐつぐつ煮込んで栄養を煮出したスープを飲むという習慣がないから、作る根性がない。医食同源というのはよくわかっちゃいるんですけどねえ。

普通中国人の友人はこまめに連絡はしてこない。会った時はこれでもかというほど面倒見がいいが、平時の連絡はまめじゃないのだ。しかし、スタンレーはさすが敬虔な仏教徒だけあって慈悲の心が強い。私が病気してからは度々様子うかがいの電話をかけてくる。

入院中は花を贈ってくれたし、手術前にはお経の入った掌サイズのラジオのようなレコーダーを送ってきて、それで気持ちを落ち着けて手術へ備えよ、とのありがたい心遣いである。今は全世界に花を送れる会社があるようだ。もちろん、香港で注文を出し、それを日本の会社が請負う形をとっているのだろうが。

その上、手術の時間に合わせて、跑馬地にあるお寺で私のために読経をして、手術成功の祈願するよう手配してくれた。そのせいかどうか、手術は成功し、まぁこうして生きているわけである。

お経の方は聞いてみたところ、抑揚のあるなかなか聞かせる音楽みたいなものだった。中には女性コーラス風のもあって聞いていると眠くなってくる。精神安定剤である。

こんな風にスタンレーは究極の善人で、博愛主義者だから気の使い方も人一倍だ。ただ、自分が善人だから他人もみな善人だと思っている節がある。いつか商売で失敗しないか、と私も友人として一抹の不安を禁じえない。

「あ、そやそや。漢方やったらええんや。西貢にええ漢方医さんがいてんねん。紹介するわ」

とスタンレーが言った。

「さいこん?さいこんって、あの新界の海鮮料理の西貢かいな?」

いわば漁村で、海鮮料理屋がたくさん並んでいる。店の前の生簀の中から魚や蝦蟹を選んで調理してもらって食べるのだが、最近では結構観光客も多くなって値段も安くはないらしい。20年前は穴場だったが、今ではもう南Y島か、長州島ぐらいまで船で行かないと安い海鮮料理のねらい目はないだろう。

いや、話がそれまくってるが、スタンレーの電話だった。

「俺もな1年前調子悪うて、そこで診てもろうて薬調合してもろたら、調子ようなったわ。2週間に一遍行って、それで薬もろうて帰って毎日家で煮て飲んだんや」

「なら、一回行って薬作ってもろて、日本へ持って帰って自分で煮たらええわけやな」

「いや、そらあかんわ。漢方医ちゅうんはな、脈診たり、症状見てから薬を調合するんやで。一回目の薬が合わんかったら、次にまた患者の様子見て調合を変えたりせなあかんやん。1ヶ月か2ヶ月くらいかかるわな」

をいをい、そんな長い間そっちに住めるか。善人の考えることは時として常人の常識をあっさりと乗り越える。

しかし、どうも電話の向こうの周囲が騒がしく、スタンレーの声が聞きとりにくい。どこかの酒楼(レストラン)でかけてるんだろう、と思って聞いた。

「今どこにいてんねん?」

「電車の中や」

「それでかぁ、えらい騒がしいなぁ。そっちの声がはっきり聞き取れんわ」

自分の広東語のまずさを棚に上げてそう言ってやった。こういう風に書いているといかにも私が広東語がぺらぺらみたいだが、なに、友達同士だから要点さえ聞き取れれば話は通じるのである。

それと、香港の公共交通機関は携帯電話の会話はOKなのだ。だからみんな自由に携帯をかけている。ある時など、座席に坐って独り言を言っている女性がいて、ちょっと不気味な人なのかと思ったら、実はフリーハンドの携帯で話をしていたのだった。けれど、たまに本当に変な人が独り言を言っていたりするので、話がややこしい。

しかし、せっかくの厚意からの言葉である。欧米人のようにはっきりとNO!と言えない日本仔(やっぷんちゃい)としては、無下に断るのも気が引けるので、婉曲にごまかすことにした。

「うん、また明日も検査があるから、それからゆっくり考えてみるわ。」

ということで、電話を切った。

あれ?今日は仕事のはずで通勤は車で行っていたはずだが、何で電車なんだ?昔はBMWに乗っていたが、3年前からベンツに乗り換えていて何度か送ってもらったことがある。まさか事故って修理に出してるんじゃなかろうな。

家は半山区の大坑道で、会社は地下鉄なら杏花邨で降りて、歩いて10分くらいのところだ。杏花邨なんて20年以上前は、東の果て柴湾の手前で何もなかったところで、トラムかバスしか通っていなかったが、今はもう地下鉄の駅ができ、駅前には背の高い小ぎれいなマンション群が建ち並んでいる。

駅中もショッピングモールやきれいなレストランがあり、何だかそこら一帯に中産階級的風情の臭いが漂っている。そう考えると、香港の変化のひとつの象徴のような場所だ。

スタンレーは最近よく30年来の友達やんか、と言う。正確に言うと26年くらいなんだが、そこら辺は大ざっぱなのが中国人だ。それに四捨五入すると30年になるのは間違いない。30年かぁ。ふと武田鉄矢の「思えば遠くへ来たもんだ」という歌が頭をよぎった。