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蒼き狼 ~地果て海尽きるまで~

2007-03-15 17:39:47 | 日本人とモンゴル人
 チンギスハーンってこんなに短気な人だったのかな。この性格で“地果て海尽きるまで”自分の支配下に入れることができたなんて思えないけど。実際映画では地果てまで行っていませんけどね。
 ただ、今までヒーローとしか考えなかったチンギスハーンを一人の人間として、子として、父として、考えるきっかけとなりました。世界を統一しようとした理由が父の本当の子であって、蒼き狼の血を受け継いでいることを証明するためだったとは… 
 チンギスハーン自身が言ったとする「全世界を1人のハーンの下に統一すれば、国同士の争いがなく、交流貿易が自由になり、平和が訪れ、民が安らぐ」という理由からだと思っていました。実際、ただ自分を認めさせるためだけにあんなにたくさんの人を殺し、国を滅ぼしたとは思えませんけど。人間には動機が要ります。ですから映画のコンセプトには納得させられました。

 チンギスハーンの外見については、画像にあるような人間を想像してきました。モンゴルの紙幣にもこのまま載っているし、しかし、映画をみて改めて考えました。きっと反町さんみたいな人だったんだろうなって。風と太陽にさらされ、馬に乗って駆け巡り、戦ばかりしていた人が、こんな小太りで色白なわけがないですもの。
 
 後、想像働かせているなと思った役柄は、ケレートの王トーリル、友のジャムカ、妻のクラン。
 トーリル王は欲深い人間に描かれています。はたして、当時最も強力の部族の族長がそういう人だったかどうか。モンゴルのほかの小説などでもとても臆病で、欲深い人間に描かれることもありますが。
 クランは今まで美貌で頭のいい女性というイメージだったけど、男装して戦いにまで出たとは、そして最後にチンギスハーンにフェミニズムを教え込んだとは… チンギスハーンは確かにすべての人間が宗教や人種に問わず平等だと言ったらしいが、そこに男女平等はあったかな… ああ、そういえば、チンギスハーンは決して女性を殺さなかったという。それを知った敵軍の男たちが女装をするので、男か女か区別するために下半を触ってみて殺すか生かすか決めた、そのために 「皆殺しにする」という意味の「へそを触る(huis temtreh)」という言葉ができたとも言います。
 最後に、ジャムカ。前に読んだ小説からのイメージが定着していました:同時代に同じ夢を持った2人の男がいた。ハーンになることではなくモンゴルを統一しようという夢を。最後にジャムカのほうが追い詰められ、「天に2つの太陽がないのと同じ、地にも2人のハーンがいられない。殺してくれ」と頼むその姿が凛々しく、切なく、心動かされたのですが。
 この映画では、ハーンになりたさで、幼い時に交わした“友の約束”をも踏み躙る野蛮な人間に描かれているのが納得いきませんでした。上で言ったように個人的にジャムカという人間を尊敬しているからですけどね。

 批判ばかりしちゃいましたけど、映画は歴史再現じゃなく、作家や監督の想像であるから、ズレが起きるのは当然のことです。「偉大な祖先」とばかり見ている人を1人の人間として見るきっかけを与えてくれて、再び考えるきっかけをくれたのでよかったと思います。

 「蒼き狼」はモンゴルでも上映されていますが、色々な意見があるみたいです。
 モンゴル人が10年ぐらい前に作った「永遠なる天のご加護の下」(筆者訳です、すみません)というチンギスハーンについて映画があるのですが、それとよく比べられています。当時モンゴルで今のように色々批判も浴び絶賛もされた映画だが、私も「蒼き狼」見るとき思わず比べていました。でも、どっちがいいとか悪いとかじゃなく、日本の観客にモンゴル人が作ったチンギスハーン像を見せたいなと思いました。

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2 コメント

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蒼き狼 (ヒキノオカビト)
2007-03-21 14:55:05
映画「地果て海尽きるとも」このブログに刺激されて見ました。モンゴルのこと、チンギスハーンのこと少し分かりました。古い昔のことですからいろいろ解釈の仕方があると思います。それなりに面白かったです。
日本の人にモンゴルを理解してもらう材料の1つにはなった思います。
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蒼き狼 (yanzaga)
2007-03-22 13:20:24
そうですね。日本の人々にモンゴルを知っていただくいい材料になったと思います。これをきっかけに今年夏はモンゴル観光者が一層増えると期待しています。
チンギスハーンをもう少し落ち着いた雰囲気に描いてほしかったとか、モンゴル人から見て「ちょっとこれは…」と考えるところもありますが、外から見たらこんな風に写るのでしょうね。自分の記事を改めて読んで、モンゴル人はああだこうだと結構突っ走ったなと思いました
 日本人の目から見たモンゴル人(今のじゃなくても13世紀の)はこんな人物なんだと再び考える、批判するよりもこれが先だと思いました。反省しています。
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