食文化についての1番目の話は食の道具です。
現代モンゴルでは、ご飯を食べるときフォークとスプーンを主に使います。また、肉料理が多く、骨ごと煮た肉を食べることもありますが、そのときはナイフを使います。だが、ナイフの使い方は西洋と違い、片手で肉を持ち片手で切って食べます。(ナイフを使わずに齧り付く、というのもありますが)
しかし、昔はモンゴル人は箸を使いました。写真にある細長いものは肉を食べるためのナイフとお箸を入れる容器です。(右下な点火器、右上のものでデール(民俗衣装)の帯にとめる。木、皮で作り銀で飾ったもの)これをhet hutga(ヘテ・ホトガ)といい、成人男性はみんな持ち歩きました。また自分の碗も持ち歩いたといいます。遠く行く途中休むために誰かの家にお邪魔してご馳走になる時のためにマイ・カップ、マイ・ナイフを、という感じですね。自分のものを持ち歩くのは、衛生面もあったろうし、いつも移動する遊牧民の家は必要最低限のものしか持たないので、客用の食器なんか沢山持ってなかったからでしょう。
箸からスプーン、フォークになったのは社会主義になってからです。1921年以降、ソ連に影響され、「古い習慣を捨て新しい社会主義を築く」ということで、廃れた沢山の習慣の一つであり、モンゴル人の食文化も大きく変わったと思います。
現代モンゴルでは、ご飯を食べるときフォークとスプーンを主に使います。また、肉料理が多く、骨ごと煮た肉を食べることもありますが、そのときはナイフを使います。だが、ナイフの使い方は西洋と違い、片手で肉を持ち片手で切って食べます。(ナイフを使わずに齧り付く、というのもありますが)
しかし、昔はモンゴル人は箸を使いました。写真にある細長いものは肉を食べるためのナイフとお箸を入れる容器です。(右下な点火器、右上のものでデール(民俗衣装)の帯にとめる。木、皮で作り銀で飾ったもの)これをhet hutga(ヘテ・ホトガ)といい、成人男性はみんな持ち歩きました。また自分の碗も持ち歩いたといいます。遠く行く途中休むために誰かの家にお邪魔してご馳走になる時のためにマイ・カップ、マイ・ナイフを、という感じですね。自分のものを持ち歩くのは、衛生面もあったろうし、いつも移動する遊牧民の家は必要最低限のものしか持たないので、客用の食器なんか沢山持ってなかったからでしょう。
箸からスプーン、フォークになったのは社会主義になってからです。1921年以降、ソ連に影響され、「古い習慣を捨て新しい社会主義を築く」ということで、廃れた沢山の習慣の一つであり、モンゴル人の食文化も大きく変わったと思います。
だが、モンゴルの都市の家も日本と余変わらないくらいです。移動する必要がないと人間は快適さを考えてどんどん集めて蓄えておく習慣があるみたいですね。
世の中、一部の人だけが富を有していて、結局、それを減らそうと一生懸命になっているところ、他の人はそれをどうやって手に入れようと命かけるぐらい、というのは奇妙な話ですよね。
ところで、これについて、一つ昔話を思い出しましたので記事にします。
浪漫を感じるお道具ですね。
これは裕福な人の持ち物だったのでしょうか?
裕福な人の遊び心が、芸術品を世に出すこともありますよね。
本物を見てみたいですね。
本物は、日本では難しいですが、私のモンゴルの家に代々受け継がれてきたものがあるので、機会があったらぜひ見に来てください