*殻便*[カ・ラ・ダ・ヨ・リ]*2004-2005

コリアン・ディアスポラ・アーティスト Yangjah の日々の旅をおすそわけ。

しなやかにするどく

2005-01-31 | ひびのたび
公演まであと一週間を切った。
毎日稽古は過熱して行く。

しんどくはない。
つらくはない。
壊れそうにもならない。

もちろん大変だけど
そんな状態を楽しんでいる自分がいるのは不思議だ。

ちょうど誰もが
体力的にも精神的にも
壁にぶつかる時のよう。

それでも笠井叡さんはいつも落ちついているし
仲間も前向きで楽しむ余裕を持っているから
救われている。

集団は苦手と敬遠してきたけれど
今はなかなかいいものだなと
感じる。

みんなそれぞれが
いろんなカラダとココロを持っていて
いつも自分の鏡になってくれる。

ソロのダンスがなかなかうまくいかない。
柔らかさと鋭さの両方の質をメリハリをつけられない。
柔らかい動きでも力は抜かないでとアドバイスを受けた。
振付けを覚えると今度は振りが流れてしまうのだ。
緊張感は持ち続けよう。
本当の柔らかさは芯がしっかりとしてないといけないんだろうな。
しなやかさにはたくましさが必要なのだろうな。

今日も稽古です。
場当たりの日です。

すこしずつ輪郭がはっきりとあらわれてくる時期です。



寝ぼけ独り言

2005-01-30 | ひびのたび
寝不足でもからだを動かしていると
からだは目覚めてくる。

9時間の稽古、あっという間に過ぎる。
疲れるよりも爽快感のほうが強い。
だから家に帰ってもまだ興奮したまま。

うまく踊れない。
振付けをなかなかからだに染みこませることができない。

弱っちい自分を目の当たりにするのはきついけど
そこからしか道を進むことはできないのかもしれない。
目をそらしていたことに向かう時が来たのは
ちょうどその時だってことのはず。

きれいに上手に踊りたいわけではない。
こころの琴線にふと触れるようなダンスを踊りたい。





核心のところ

2005-01-29 | ひびのたび
いっぱいいっぱいになって壊れそう
ぐちゃぐちゃになって混乱している

それでも核のところにダンスがある

稽古の後、外に出た瞬間
月を探した
ちゃんとそこにいた



静かなるカラダ

2005-01-28 | Performance
きのうはソロの振付けの日でした。
2月5,6日に伊丹のAIHALLで笠井叡さん振付け・演出・構成のダンスパフォーマンス公演があるので、猛特訓の日々です。
振付けからは遠ざかり、即興のパフォーマンスばかりをしてきた私には新鮮な気づきにあふれる毎日です。

とにかく覚えが悪い。
そう思い込んでいると、本当に覚えられないのです。
不思議ですね。

笠井さん曰く「3人称」で踊ると、動きがちゃんとからだの中に入ってくるのです。
自分でありながら自分でないからだ。
そうあることで、ダンスが生まれるのですね。

きのうはみんなの稽古が始まる前に、笠井さんがソロの振付けをしてくれました。
とにかくこの日を無意識に恐れていたので、からだもこころも頭も中がぐるぐる渦巻いていました。ダンスがからだの中に入って来ないので焦ります。何度やっても焦ってしまう自分が存在するだけでした。

笠井さんが真正面から近づいてきて目をまっすぐ見て、
「からだの中が速くなって焦っているよ。ゆっくりでいいから。すぐに覚えようとしなくていいから。次の動き、次の動きと先のことでいっぱいになるんじゃなくて、今を丁寧に踊ればいいから」というようなことを言ってくれました。
わたしも振付けが怖いことを口にしました。

それを期にダンスがカラダの中にすうっと入ってきました。
即興で踊っている時のように、今この瞬間しかないダンス。
他人に振付けてもらうことで、今までの自分からは生まれてこなかった動きやリズムが自分の宇宙から引き出されてきます。
生かされている安心感に近い感覚。
自分のからだがちっぽけなものでありながら限りなく広がっていくように存在すること。
わたしがダンスと共にある根源のところを思い出しました。

最近日常でも自分の中がいそがしかったのです。
それが踊りに出ていました。
ダンスには今の自分が嘘のように映し出されます。
そこが魅力でもあり怖いところですね。
今を踊ることで、自分の中が静かに静かに落ちついてきました。

人形のように
自分の意志を超えて
踊る

自分の意志で毎日をそして人生を生きているような気がしてくるけれど
本当は何か大きなちから・流れに動かされています。
そして自分のその大きなもののかけらなんですよね。

今日も稽古です。





睡眠ドラッグ

2005-01-26 | ひびのたび
よく眠った。
12時間は寝た。
睡眠不足でも気がはってると元気だけれど
呼吸が浅くてばたばた暮らしてるようだった。
思いきりゆっくり眠ると
呼吸が深くなる。
満月のおかげかな。

冬眠したいけれど
そうは言ってられない。
また今日から動き出す。

今日は笠井叡さんにソロを振付けてもらう日。
覚えが悪くパニックに陥りやすいので
とにかく落ちつこう。



『宇宙人類はじまって以来初めての動き』

2005-01-25 | Performance
パフォーマンス公演の案内です。


アイホールダンスコレクションvol.39
笠井叡ダンスワークショップ&パフォーマンス
『宇宙人類はじまって以来初めての動き
~振付というコンセプトを振付ける~』

 2005年 2月5日 19:30 6日15:00
 開場は開演の30分前です。開演1時間前より、入場整理券を配布します。
 伊丹AIHALL(JR伊丹駅すぐ、阪急伊丹駅徒歩約7分)

■振付・構成・演出/笠井叡
■出演/青井早千子、今貂子、うえたけもとこ、戎敦子、奥平淳一、金将恵、五味雅子、白石有沙、高木貴久恵、Tomiko、二軒谷宏美、橋本実千代、ニイユミコ、山口春美、Yangjah

■料金/前売:1,800円 当日:2,000円
■チケットお取扱い
 アイホール 072-782-2000
 JCDNダンスリザーブ  http://dance..jcdn.org/
■お問い合わせ
 アイホール 072-782-2000
http://www6.ocn.ne.jp/~aihall/

以下は参加者募集の際の笠井叡さんのことばです。

振付を振付ける
私が振付というダンスの方法を意図的に始めたのはわりと最近のことで、それまでは何十年となく即興ダンスに明け暮れていました。そんな私にとって振付とは、ちょっとオーバーな言い方をすれば「天地創造」のようなもので、あの「神は人の形をした泥に息を吹きかけて人間を創った」という聖書の物語のような感じなのです。内面から動く即興的なダンスと違って、振付は外側から、つまりどこか無機的な手段なのです。ですから、泥に息を吹きかけて生命を創るという二重の作業を強いられます。今回はそのような意味で、改めて徹底的に振付そのものの原点に立ったワークショップを行い、その過程を通して一つの作品を仕上げます。振付とは何かを、多角的多重的に直感しながら、そこから一つの作品を導き出そうと思います。男性女性を問わず、経験未経験を問わず、「動きに全存在をかけること」に情熱を持てる人、どうかご参加下さい。 笠井叡


月が満ちる時

2005-01-25 | ひびのたび
このところあんまり寝つけなかった。
ゆっくりぬるま湯につかってゆるんだ睡眠不足のからだのはずなのに
寝ようとするとまた興奮したからだになっていた。

今日は満月。
そしてわたしのからだにもお月さまが来たからもう大丈夫。
頭にたまっていた熱がからだにちゃんと行き渡っている。

自分のエゴがわたしのからだを動かす瞬間が多いけれど
からだはちゃんと教えてくれる。

月が満ちてまた欠けて
ただそれだけ。

水槽から流れへ

2005-01-22 | ひびのたび
できないと思い込んで
自分を不可能の箱に
閉じこめていた

気づかぬくらい
ささいなことたちが
身を寄せ合って
閉じこめられていた

いつのまにか
箱そのものが
自分自身であるような
錯覚に
とらわれていた

そのとらわれにも
気づかないくらい
麻痺して

箱はいらない
もういらない
もっと自然に流れていく
魚のように

決心して
ぶりかえす癖を何度も許しているうちに
いつのまにか
箱はかたちを
くらます

自由に泳げるように




きのうから2月5,6日の公演に向けて連日猛特訓の日々がはじまりました。きびしくて楽しくてありがたい稽古です。
たくさんの人たちと稽古することでまなびが多いです。
苦手だと思い込んでいた集団行動のステキなところを久々に実感しています。
そして敬遠していた振付けの広がる可能性に胸をときめかせています。
こんなことを言ってられるのも今のうち!?



関西人というアイデンティティ

2005-01-20 | ひびのたび
わたしのアイデンティティはかなりややこしいものだと自負している。

それでもはっきりと断言できることは
関西人であるということ。
それには迷いはない。

日本生まれであるが日本人ではない。
韓国籍であるが韓国人でもない。
在日というが単純なものでもない。

一言で表現できないところに真実はあるのかもしれない。
それでもさらっと一言で言えるところに本当のことがあるともいえるだろう。

毎日「おおきに」ということばを仕事柄よく口にする。
ふつう若い人はあまり使わなくなっている関西弁だ。
それでもみんなに混じって「おおきに!」と口にするだけで
こころにしっくりくる何かがある。

私が外国語として学んだ朝鮮語(ソウルの標準語?を基準にしたもの)では
ハンマ(おばあ)とは意思疎通はできない。
ちょうど内地のウチナンチューと沖縄のシマンチューが
それぞれの方言で会話しているようなものかもしれない。

家族のみんなとの共通語は関西弁だ。
ハンマは読み書きができないので、書き言葉チックでかしこまったいわゆる標準語は話せない。関西弁(済州島の方言が混じる)のみで暮らしている。

家族のみんなのアイデンティティもそれぞれが違っているかもしれない。
どんな家族もきっとそうだろう。

わたしのアイデンティティもこれからますます複雑化していくのだろうけれど、
だんだんシンプルになっていってほしい。

思いがけず晴れ

2005-01-19 | ひびのたび
天気予報が気になる

今日は雨が降ると信じ込んでいた
いつのまにか予報が変わっていたみたい

朝ぱらぱらと降った後は
晴れ出した

思い込んでいたことが
なんでもないことへと変化する
晴れてしまえば雨の予感はどこかへふっ飛んでしまう

今日からいそがしくなると思い
おとついと昨日は結構ゆっくりできたんだけど
反対にだらだらしすぎて
しんどくなった
そのまま続くと鬱気味になりそうなほど

ひとりでいることと
外へ出ること
自分の内側に向き合うことと
まわりとつながること
いろんなバランスを探している

いそがしくなる準備スタート前に
ハンマ(おばあ)とブランチ(自然にそんな時間帯になる)
めずらしくお互いに違うモノを食べる
ハンマはお雑煮にお餅を5個入れていた
強者!!!
わたしはバリで買ったちっちゃな黒豆(緑豆くらいの大きさ)のカレーを食べる

そろそろ出かける用意をして
昼の太陽の下へ
飛び出す




赤ちゃん神様

2005-01-18 | ひびのたび
赤ちゃんがみつめてくれる

すごい時空が生まれる
なんて優しいのだろう
神様のようだ
目の焦点はあっていないかもしれない
でもすべてを悟っている

わたしが今必要なメッセージを伝えてくれる



この前の日曜日、友達んちでふたりめの子どもに会いました
顔が合うと、にこっと笑ってくれました
友達曰く「B型やからね」
ほんまかな。




揺れる

2005-01-17 | ひびのたび
10年経った

月日はあっという間に過ぎていくという
一言はなんだか軽軽しく感じられる

わたしは10年前の阪神淡路大震災を体験していない

ちょうどインドにいた。
一年の旅の途中だった。
インドの最南端のケララ州から列車を何日か乗り継いで
カルカッタからタイへ戻る飛行機に乗る時だった。
カルカッタの街を歩きながらなんだか気分が悪かった。
胸がムカムカそわそわする感じだった。
早朝ゲストハウスを出発しタクシーに乗って空港に向かった。
そこで自分の乗るはずの飛行機が曜日変更になったことを知るはめに。
ちょうどヨーガアシュラムで過ごす前にリコンファームしていたので
その後、曜日が変更したらしい。
航空会社の人に訴えまくってホテルを用意してもらった。
(何か月ぶりに湯船につかった!!!)
そのホテルのレストランでウェイターに地震のことを教えてもらったのだ。

そして10年が経った

去年の春からまたひさしぶりに長期に渡って日本を出ようと思っていた。
でも冬の終わりから春にかけて何度も倒れたりとかなり不安定な状態だったこともあって,ちょっと躊躇していた。
今はその時ではないのかなと予定を変更し、大阪で過ごすことにした。
自分の活動にエネルギーを注ぐことで生き返ってきたし
日々のいろんなことに感謝を感じられる毎日を過ごせたことがうれしく
いい選択をしたと納得していた。
そんな時にスマトラ沖大地震が起きた。

はっとした
本能で避けていたのかもしれない
意味のない不安感や、踏み出せないこと
それは予感であることもあるのだ

去年たぶん初めてわたしにとっては大きめな地震を感じた
ちょうど豊中のスペース草さんで、堀尾貞治さんの地震がテーマの展覧会を見た後のことだった。
ちょうど妹とふたりでうどんやさんにいた時に空間が揺れ出した。
お店の中で動揺してたのはわたしの妹だけだった。
みんな地震のことを口にはするけれども
まったく気にかけてないみたいだった。
何も起こってないかのように食事したり話したりしている。
お店の人も同様。
揺れはかなりひどくなり、縦に揺れているのが感じられた。
妹はおびえて泣き出した
わたしには分からなかった。
恐れをしらない赤ちゃんのようにわたしには分からなかった。
目の前の妹がそんなにおびえていることのほうが衝撃的だった。
そばで手をにぎることしかできなかった。

わたしの敬愛するアーティストの東野健一さんは
絵巻紙芝居師として有名なのだが
彼の作品で地震をテーマにしたものがある。
なまずが出てくるお話だ。
この大地をなまずが支えてくれている。
そのなまずに対して感謝の気持ちを忘れた時に起こるのが地震だから、
いつもなまずのことを忘れないようにしようというメッセージが心に残る。

この一瞬一瞬
畏敬の念をこころのどこかに
そして微笑みと笑いも絶えさぬように






雨のあと

2005-01-15 | ひびのたび
雨がやんで、なんだか寒さがやわらいだようだ

今日の朝のひととき、体調も気分もどん底だったけど
友達から思いがけない誘いの電話がきたり
快気法のレッスンや赤レンガ倉庫の今年初のミーティングに行ったりしてるうちに
いろんな人たちから風通しをよくしてもらったみたい

雨がやんだあとの湿り気は呼吸を深くしてくれる



冬雨*春雨

2005-01-15 | ひびのたび
そろそろ雨がちらつく頃

この雨は冬にむかうため
それとも春にむかうため

すこしでも早く春の匂いを
脳天で感じたい



土いじり

2005-01-14 | ひびのたび
ひさしぶりに土をいじる

朝バイトから戻って家の横の駐車場でストレッチと太極拳でもしようと思ってたが、ちょうど父の車がないのでまずは土のお世話をすることに。

さぶくなってほんとに長い間ほったらかしだった。
カリフラワーはちっちゃな実をつけたけど、ブロッコリーは枯れちゃうし、サニーレタスも虫にくわれたり残ったわずかな株も大きくならなかった。桔梗も花をつけた後はすぐ枯れちゃったし、和綿も実はむすばなかった。

土にいいかげんに接してたからだっては分かってた。
ずっと気になってはいたけど、さぶさを言い訳に見て見ぬ振り。
やっと今日手をつけてすっきり。
罪悪感もさっぱり。

腐葉土をたっぷり混ぜると、土はふわふわ。
ちょっと生き返ってみたい。

お菓子づくりになんだか似てる。
粉をふるったり、うまくバターを混ぜ込んだり、そういう作業。

朝日を浴びながら夢中で一時間が過ぎ去った。


写真はけなげに実をつけたカリフラワー。
食べられないよね、こんなに小さくてかわいいと。