畑谷史代『シベリア抑留とは何だったか』の詩人・石原吉郎から偶然始まった「みちのり」は「ドン・キホーテ」に進み、京橋図書館で借りた『ドン・キホーテとセルバンテス』(会田 由・牛島信明/編著)でクライマックスを迎えている。
会田も牛島も故人のようだ。牛島は科は違うが大学の先輩にあたる。辺見じゅんの『ラーゲリから来た遺書』の山本幡男は科の先輩。他にも最近読んだ本にも先輩は登場する。
ドン・キホーテは聖書の次に読まれている世界的ベストセラーだが、きちんと読んだ人は少ないといわれている。当初岩波文庫の第一巻を買ったがストップ。多分次を買う可能性は少ない。でも、岩波少年文庫の牛島信明編訳『ドン・キホーテ』と『ドレの絵で読むドン・キホーテ』を買う。編訳者のヴィルジリ・クリスティーナ・幸子も東京外語卒で、牛島の薫陶を得ていたようだ。
会田・牛島の著の後編では、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と呼ばれていた善人が、大往生によって「アロンソ・キハーノ」に戻る場面、証人を「シーデ・ハメーテ・ベネンヘヘーリ」(セルバンテスは『ドン・キホーテ』はこのアラビア人の手になるということにしている)依頼する行がある。そこで紹介される同郷の詩人サンソン・カラスコ碑銘がある。
勇ましの郷士ここに眠る、
きわまれるそれが勇気は
死の神も君が生命を
死をもってかち得ざりしと、
世の人は語りつたえぬ。
ありし日は世界を蔑(なみ)し
世をあげて君をおそれて
ひたぶるに怖気(おぞけ)ふるいぬ
かくしては幸をえたりき
狂人として世を送りしが
正気に復してみまかれり
ここで、改めて石原吉郎に戻る。なぜ彼が「サンチョ・パンサの帰郷」を書いたのか。
ドン・キホーテの3度に亘る「帰郷」もあるだろうが、牛島が書の後半で書いている「セルバンテスの生涯」にあるのではと思わざるを得ない。1571年、トルコ艦隊とキリスト教連合艦隊が闘った世界史上3大海戦のひとつ「レバントの海戦でスペイン艦隊での一員で活躍し、片手を失い、その後帰還を目の前にして、海賊に北アフリカに連れ去られ、4度に亘る脱走にも失敗し、結局キリスト教神父に身請けされ帰国。しかし帰国後も昔の奴隷仲間達には裏切られる。そんな数奇なセルバンテスの生き様、不屈の生き方をもって、ドン・ホーテ」より「セルバンテス」その人に思いがダブったのではないだろうか。
セルバンテスは当時流行の騎士道をパロディー化することで、正義なんてない、あるのはエゴ、でも信頼できる数少ない人を信じて人生を終える。そんなことを言いたかったのではないか。
正直者が馬鹿を見るいまの世の中と闘う自分が正しいのか?戦争を生き抜き、飛行機乗りで活躍し満州から帰国した父親。その後なぜか中央に復帰せず、田舎で暮らした父親の後半生が思い浮かぶ。
これからも、しばし、セルバンテスとドン・キホーテに傾倒する日々が続く。
因みにセルバンテスは1547年生まれ。私の400年先輩だ。
会田も牛島も故人のようだ。牛島は科は違うが大学の先輩にあたる。辺見じゅんの『ラーゲリから来た遺書』の山本幡男は科の先輩。他にも最近読んだ本にも先輩は登場する。
ドン・キホーテは聖書の次に読まれている世界的ベストセラーだが、きちんと読んだ人は少ないといわれている。当初岩波文庫の第一巻を買ったがストップ。多分次を買う可能性は少ない。でも、岩波少年文庫の牛島信明編訳『ドン・キホーテ』と『ドレの絵で読むドン・キホーテ』を買う。編訳者のヴィルジリ・クリスティーナ・幸子も東京外語卒で、牛島の薫陶を得ていたようだ。
会田・牛島の著の後編では、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と呼ばれていた善人が、大往生によって「アロンソ・キハーノ」に戻る場面、証人を「シーデ・ハメーテ・ベネンヘヘーリ」(セルバンテスは『ドン・キホーテ』はこのアラビア人の手になるということにしている)依頼する行がある。そこで紹介される同郷の詩人サンソン・カラスコ碑銘がある。
勇ましの郷士ここに眠る、
きわまれるそれが勇気は
死の神も君が生命を
死をもってかち得ざりしと、
世の人は語りつたえぬ。
ありし日は世界を蔑(なみ)し
世をあげて君をおそれて
ひたぶるに怖気(おぞけ)ふるいぬ
かくしては幸をえたりき
狂人として世を送りしが
正気に復してみまかれり
ここで、改めて石原吉郎に戻る。なぜ彼が「サンチョ・パンサの帰郷」を書いたのか。
ドン・キホーテの3度に亘る「帰郷」もあるだろうが、牛島が書の後半で書いている「セルバンテスの生涯」にあるのではと思わざるを得ない。1571年、トルコ艦隊とキリスト教連合艦隊が闘った世界史上3大海戦のひとつ「レバントの海戦でスペイン艦隊での一員で活躍し、片手を失い、その後帰還を目の前にして、海賊に北アフリカに連れ去られ、4度に亘る脱走にも失敗し、結局キリスト教神父に身請けされ帰国。しかし帰国後も昔の奴隷仲間達には裏切られる。そんな数奇なセルバンテスの生き様、不屈の生き方をもって、ドン・ホーテ」より「セルバンテス」その人に思いがダブったのではないだろうか。
セルバンテスは当時流行の騎士道をパロディー化することで、正義なんてない、あるのはエゴ、でも信頼できる数少ない人を信じて人生を終える。そんなことを言いたかったのではないか。
正直者が馬鹿を見るいまの世の中と闘う自分が正しいのか?戦争を生き抜き、飛行機乗りで活躍し満州から帰国した父親。その後なぜか中央に復帰せず、田舎で暮らした父親の後半生が思い浮かぶ。
これからも、しばし、セルバンテスとドン・キホーテに傾倒する日々が続く。
因みにセルバンテスは1547年生まれ。私の400年先輩だ。