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イエメンプロジェクト(4) 七・三の勝負

     

       アムラン・セメントプラント 石灰石山 開鉱工事

 

プロジェクト開始後しばらくして大きな問題が発生した。イエメン政府(以下客先と略称)との契約書の解釈をめぐっての紛争である。セメントの原料はプラント建設地から1km離れた石灰石山から採掘する。そのための前段階として、山を切り開いたり原料運搬道路を作る開鉱工事が必要だ。

この工事の我々コントラクターの提供業務は契約書では「監督員の派遣」となっている。実際にはこのほかに作業員や建設機械が必要となるのだが、負担先が客先かコントラクターかの記載はない。これが紛争の原因となった。 

双方の意見、見解を主張する話し合いが繰り返し持たれた。開鉱工事費全体の額が額だけに議論の応酬は激烈を極めた。客先側には契約・技術両面の代行を行うコンサルタントがついている。彼らの主張はターンキー契約(*)の精神から我々コントラクターが全て責任をもって行えという。一方、我々コントラクターは契約書に記載にされている「監督員の派遣」だけが責任範囲と主張した。

(*)プラント建設の請負契約において、全体を一括して請け負ってスィッチを入れればすぐ運転を開始できる状態にして引き渡すことを約束した契約のこと。 

コンサルタントはディベート力にたけ、攻撃精神旺盛なフランス人だ。一を言えば十を言い返す。こちらが意見を言っている最中でも途中で遮って反論してくる。彼らは自分たちに不利なことは詭弁を弄し一切認めない。

私は契約後にプロジェクトマネージャー(PM)に任命されたので契約には関係していなかった。このため当時のいきさつが分からないというハンディがあった。しかしコントラクターのPMとして真っ向から対峙しなければならない。 

ここで交渉の理念について思い出した。以前、旧ソ連へのミッションの一員として出かけた時、団長の副社長から聞いたものだ。「交渉ごとは七・三の勝負と心得よ。七分・三分の利でやっと五分の勝算。五分・五分と思ったらこちらの負けだ」 以後の話し合いでは常にこの言葉を念頭においた。 

話し合いは何回も続いた。しかし双方の主張は平行線のままだ。社内では筋論でいけ、スイスの国際仲裁裁判に持ち込んだらどうかなどの強硬意見も出た。私の立場としては妥協を模索すべきとの考えから強硬路線には消極的であった。

この頃からコンサルタントとの法的議論には、社内の国際営業や法務部門の専門家に対応してもらった。私はFIDIC(国際的な公平・中立契約条件書)、ディベート術、交渉術などを勉強、七・三の勝負の理念を念頭に交渉に臨んだ。 

原料山の開鉱工事が遅れればプラント全体の工程に大きな影響が出る。このためコンサルタントからは早く工事を開始するよう要求してくる。こちらは工事の分担、責任範囲がはっきりしない限り開始できないと反論。

しばらく膠着状態が続いた後、コンサルタントから彼らの権限で工事着工命令が出た。このため我々は発生した費用を請求するという条件で工事を開始した。

この頃から少しずつ双方妥協の方向に進みだす。話し合いが続き、発生費用は客先とコントラクターそれぞれが相応に負担することで合意した。お互いの費用削減のため工事範囲も縮小することにした。

工事は急ピッチで進んだ。並行して発生費用の分担が話し合われ、最終的に客先経済大臣の承認で決着した。工事も無事完了し、ここに本件は全て解決した。 

契約書上の問題が発生してから解決まで実に1年かかった。このために多大な時間とエネルギーを費やした。これからはPM本来の仕事に専念できる。

この紛争をとおしてイエメン政府およびコンサルタントと我々との信頼関係が深まったことは以後のプロジェクト遂行にプラスとなった。(イエメンプロジェクト(5ー1)に続く

 

過去のイエメンプロジェクトのブログはこちらより

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