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打楽器は楽しい!オモロイ!ホンマやで。

打楽器奏者山本毅が、打楽器について、音楽について、その他いろいろ順不同で語ります。

メソード変更 その後のその後

2013年09月04日 21時08分41秒 | テクニック
手の痛みも消え、新しいメソードに慣れてきてしばらくたった。
ある日演奏中にいつの間にか以前のメソードに戻っていることに気づいた。

自分を観察していると、ほとんど無意識に旧メソードと新メソードを場面場面で切り替えながら使い分けているみたいだ。

これは Good だね!

目的に到達するための手段、道具はたくさんあるに越したことはない。

はっきり言えることは、これが理想のメソードってのはない。
どんなメソードでも長所と短所がある。

だから、

たくさん何種類も持ってるほうがいい。

出刃包丁でふぐ刺しは切れないし、切れたとしてもおいしくはないと思うな。
反対に刺身包丁で骨付きリブ肉は切れない。

食いしん坊のたとえだなあ・・・・・。

メソード変更 その後

2013年04月16日 14時45分39秒 | テクニック
親指を痛めて奏法の一時変更を余儀なくされていたが、どうやら一時ではなくずっとこの新メソッドで行くことになりそうだ。

すでに痛みはないが、20年近く慣れ親しんだ今までのメソッドは戻ってこない。
戻そうとしても手のほうがイヤイヤを主張してくる。

とはいえ、新採用のメソッドはだいぶ慣れてきた。このメソッドも思いのほかGood。

練習のたびに上達するのが実感できるのが楽しい。
なんやら学生時代に戻ったみたいな気分が味わえているこの頃。

楽器との対話、マレットとの対話、そして手との対話、大切やと思う。手の意見もちゃんと聞いてあげなきゃね。

奏法変更を余儀なくされ

2013年02月18日 20時52分05秒 | テクニック
もうかれこれ一ヶ月以上前になると思うけど、左手の親指を突き指してティンパニの奏法変更を余儀なくされた。以前の奏法だと親指に振動が伝わりすぎてフォルテで演奏するのが痛くて仕方ない。ついついかばって演奏してしまい、左手がどんどんアホになってくるので、痛みのない奏法に切り替えた。

この奏法は身体に優しく、マレットコントロールも容易でいい奏法なのだが、ぼくは音色が気に入らなく採用していなかったんだ。

ところが、今回「やむなく」この奏法に取り組んでみると、以前気になっていた音色が結構好きになってきていることに気づいた。

というより、以前は出せない音色が出せるようになっていて、それがけっこういけてるやん・・・・・てわけ。

これも、フェルデンクライスに取り組んできた成果かもしれない。

というわけで、今晩8時からのフェルデンクライスレッスン受講が楽しみだ。

ところで、フェルデンクライス、以前お世話になっていた藤井先生の教室から新しい教室に移った。

実は、長男依生が藤井先生の薫陶を受けてフェルデンクライス教師になって京都・桂に教室を開いたのだ。

子供から何かを習うってのも妙な気分だけど・・・・・、
教え方は悪くないと思うな。
長男は一応音楽家のはしくれなので、音楽家に向いたレッスン内容となるよう心がけてくれている。
身内のことでなんだが・・・・けっこう推薦に値するのではないだろうか。

ところで、突き指の方は治りかけるとまた同じところを突き指して・・・・・てのをすでに3回やってしまい、いっこうに治りそうにない。
先日のいずみシンフォニエッタの時も、痛いのをがまんしながら演奏していたが、早く癒されるよう本腰を入れて祈らねばっ!

フェルデンクライス

2011年05月05日 14時17分45秒 | テクニック
フェルデンクライス

ぼくが打楽器の勉強を本格的に始めたのは15歳の時、高校一年の11月だった。
それから、ほぼ40年がたつ。

その間、何度かメソードを大きく変えた。
最初に村本一洋先生から小森宗太郎先生直伝の奏法を教わり、それで突っ走ってきたが、

20歳、大学3年のころ、有賀誠門さんとヴィック・ファースさんにものすごくあこがれ、何度か有賀さんのところにレッスンに通い、演奏会に押しかけ、ファース氏の演奏を見たり聴いたり、彼らの奏法を必死でまねた。有賀氏の生徒さんには有賀氏のレッスンについて根掘り葉掘り尋ねたりしたものだ。

それが一年くらいでパタッと熱が冷め、テーリヘン氏や山口十郎氏、中谷満氏からすごく影響を受けるようになった。ティンパニの配置を左高にしたのもこのころだ。

で、24歳でドイツに渡り、ブライヤー氏の薫陶を受けることとなり、また大きく奏法を変えた。

ところが、30歳を過ぎたころ、またまた変えた。

自分は山本毅でブライヤー氏ではないということに気づいたゆえだ。
ブライヤー氏のメソードは自分には合ってないと悟った。

このころから演奏がすごく楽になり始めた。

で、40歳くらいのころ、マリンバでスティーブンスグリップを始めたことをきっかけに、小太鼓やティンパニの奏法も大きく変えた。

この時の変わりようが今までで最大の変革だと今も思っている。

ところが、この一年で、再びぼくの奏法が大きく変わったのだ。

過去のメソード変換と、今回の変化には大きな違いがある。

過去の転換はすべて自分の意思で決断し、奏法を変えた。

ところが、今回の変化は、自分の意思ではなく、自然に変わったのだ。
それも、外側から見れば、変化はほとんどわからないだろう。

マレットの持ち方も変わらないし、動きも見た目は同じだ。
しかし、出てくる音は、大きく変わった。

その変化は「フェルデンクライス・メソッド」によってもたらされたものだ。

実はここ一年ばかり、この「フェルデンクライス・メソッド」を習っている。

習い始めて数週間は、驚きの連続だった。

レッスン(いつも夜なんだが)を終えて帰宅し一晩眠り、次の日の朝、楽器の前に立つか座るかして、音を出し始めると、思わず一人で叫びだしたい衝動を覚えたものだ。

自分の出す音が、前日までと明らかに違うのだ。もちろん、プラスの変化だ。

フェルデンクライスを始めて一年。

明らかにぼくは変わった。

ここであれこれ、フェルデンクライス・メソッドについて説明するのはよそう。

下記のサイトで調べてほしい。
また、このメソッドについての文献も、日本語で3冊出ている。

打楽器奏者だけではなく、すべての音楽家、いや、すべての人に勧めたい。

このメソードは、取り組む価値がある。

まだ日本では、マイナーな存在だ。

だから・・・・・、

始めるなら今がチャンスだ。

一年やってみて、継続してやっている人の身体の変化、演奏の変化を実感している。
自分だけではなく、一緒に習い始めた人たちの演奏が明らかによい方に変化してきているからだ。


フェルデンクライスについて知りたい人はまずこのサイトを

http://j-felden.org/modules/tinyd0/index.php?id=1

このサイトでは、フェルデンクライスについての紹介と、日本のどこにどんな先生がいらっしゃるかがわかる。



ぼくが習っている藤井里香先生のサイトはここ。

http://www.feldenkraiswest.jp/index.html



フェルデンクライスについての日本語の文献を翻訳し、紹介しておられる安井武さんのサイトはここ。

http://moshe.blog114.fc2.com/



当然のことながら、講師の先生との相性で学習効果は大きく違うだろう。
また、理論的な面もおろそかにしないことで、同じレッスンを受けていても、学べるところには違いがある。

誰に、どんな風に習うのか、
それも大切な問題だろう。

んだが、とにかくやってみなければ何もわからない。
まずは体験してみてはいかがかな?

名づけて

2010年08月17日 23時55分22秒 | テクニック
前回ぼくなりの練習方法を少しだけ紹介したたけど、3つ打ちとか、4つ打ちとか、ややこしい呼び方をしてしまっていた。

NARDで言う5つ打ちとかと混同しないように、呼び方を考えた。

名づけて、

RRR LLL RRR LLL   これは3・3打ち(さんさんうち)

RRRR LLLL RRRR LLLL  これは4・4打ち(よんよんうち)

RRRRR LLLLL RRRRR LLLLL これは5・5打ち(ごぉごぉうち)

RRRRRR LLLLLL RRRRRR LLLLLL これはもちろん6・6打ち(ろくろくうち)

RRRRRRR LLLLLLL RRRRRRR LLLLLLL  これは当然7・7打ち(ななななうち)

ってのはどうかな?

この呼称が世界の標準となることは多分ない・・・・が、いいではないか。
これで行こう。

ま、呼び名はどうでもいいが、この練習は音を造るのに有益だ。
特にティンパニで美しく響くロールを身につけるには非常に有益な練習だ。

皆さんもトライしてみてほしいな・・・・。

音量は要らない。
リラックスした自然なリバウンド感覚を身につけることだ。

基礎練習についてのクサい話

2008年11月16日 22時42分06秒 | テクニック
基礎練習について多少クサい話をしよう。
ただ、うさんくさい話ではない。

まじめな話だ。基礎練の極意といってもよい。

基礎練習の目的はむつかしい技術を身につけることではない。
テクニック構築のための安定した土台を造ることだ。

別の言い方をすれば、力を抜いて(リラックスして)自然な動きで演奏することが習い性になるまで徹底的に訓練する必要がある。

で、その際、クサい話をせざるを得ないのだ。

脱力した状態を習得するに際し、練習開始前にトイレに行っておくことは非常に有益だ。
まず、出すべきものは出しておこう。

そして、練習を開始してから意識すべきことは、身体の全ての門を開放することだ。

耳の穴、鼻の穴、口、全身の毛穴、そして・・・・・尿道と肛門だ。

中でも重要なのは尿道と肛門なのだ。

この二つの蛇口をできる限りゆるめる必要がある。

だから、事前にトイレに行っておく必要があるのだ。
下手をすると大変な事件になってしまう・・・・。

でもね、冗談抜きで、尿道と肛門の緊張を取り去って弛緩させることはとっても重要なんだ。

これ抜きに脱力は不可能だと思ってほしい。

でだ、

基礎練習が順調に進んで、リラックスして、どんどん力が抜けてくると、
ある現象が起こる。

腸内にたまっていたガスが勝手に抜けていくのだ。

つまり・・・・・放屁という現象が連続して発生する。
はっきり言って、オモシロイほど連続して出てくる。

ここまで行けば、「あ、今日の基礎練は順調に進行しているな・・・」と判断できるわけだ。

ある日、「こんなクサいことを考えて実行しているのはぼくだけでは?」と孤独感にさいなまれていた時、仲間がいることを発見した。

旧友の一人であり、尊敬する打楽器奏者である中村功氏が語ってくれた。
彼が自分の生徒にどうしても伝えたいと思っている演奏の極意の一つは「肛門を開くことだ」と。

その時ぼくは、「あー、ぼく一人じゃなかったぁ・・・」とホッとしたよ。

あのね、これ、極意なの。

基礎練の時意識してほしい。・・・・肛門開いてるかどうか?

もし、ちゃんと緊張ゆるめて開くことができていれば、ガスが抜けるよ。
その時ってね、出口だけではなく腸内の緊張も解けているわけよ。

これ、大事ですよ。

でも、一つだけ気をつけた方がいい。

ぼくとか、ぼくの生徒たちが基礎練に励んでいる時、その部屋に入るには慎重になった方がいい。
ガス中毒で悶絶卒倒する恐れがある。

その健康被害、ぼくに責任はとれない。悪しからず・・・・。

休む(続き)

2008年02月15日 23時08分50秒 | テクニック
ええっと、休んだ後で時間があまりない時、どうやってコンディション戻していくかを書くことになっていた。
が、あまりに昔の事で、すっかり忘れていた・・・わけではない。
あまりに忙しかったのだ。この何週間か、かなり働いたと思う。
でも、演奏の仕事はなかった・・・・。

大学のお仕事って結構大変だよ。身体の状態、神経の状態、そして心の状態を保つのに思わぬところで苦労する・・・・・。



さて、ここでいう休みというのはある程度長期の休みのことだ。そう、一ヶ月とかのまとまった期間休んだあと、どうテクニックを戻していくかという話だ。

というのは、経験上一週間とか十日間程度の休みのあとだったら、一日か二日、長くても三日間くらい慎重に練習すればちゃんと体調を整えることができる。

しかし、二週間以上休んだ際は、休んだのと同じくらいの期間をかけてもう一度テクニックを構築していかないといけない。

二週間休んだあとは二週間かけて戻す。三週間休んだら三週間かけて戻す。一ヶ月休んだら一ヶ月かけて戻す。・・・・というわけだ。

でも、でも、でも、

長期休暇のときなら計画的に休んで、計画的に戻すことができる。
しかし、病気とか突然の出来事で長期に休まねばならないとき、体調を整えるのに時間がというか期間が足らないという事態はありうる話だ。

一ヶ月休んでしまったのに、次の仕事まで二週間しかない。そんなことになってしまったら、

それでも、体を造っていかないといけない。

そんなときはどうしたらよかんべ?

期間が十分あるときは最初は一日30分ずつくらいの軽い練習から始めて徐々に練習量も増やし、内容も徐々にハードにしていく。

でも、期間がないときはそうはいかない。

だからといって、長期に休んだあとでがむしゃらに練習すれば、悪い癖がついたり、へたすると身体を痛めることもある。
やはり、最初は短く軽い練習から入って徐々にペースを上げていかねばならない。

この場合どうしたらいいかというと・・・・・、



簡単なことだ。

一日を二回とか三回に分割すればいいんだ。

一日目、朝30分軽い練習をして、それから何かほかの用事とか散歩とか昼寝をする。
たっぷり休んで午後、また軽い練習をする。でもって、また休憩するか、何か別のことをする。
できれば二回目の昼寝と散歩もしたい。
でもって、たっぷり休んで夜にまた短く軽い練習をするわけだ。

こうして、一日で三日分の練習をすることができる。

ポイントは各練習時間の間に十分な休憩を入れることだ。身体も神経も十分にリラックスさせるわけ。
可能なら、睡眠もとる。

30分の練習が三回といえば合計1時間半だ。
でも、初日に一時間半の練習をやってしまうのと、1単位30分の練習を3回するのでは、効果はまるで違う。

休憩なしで1時間半練習しても後半の3-40分はほとんど無駄になる。というか、害をもたらす。

なんせ、長期休暇のあとは、あわてず騒がず無理せずってのがすごく大切。

そういうわけで、心ならずも比較的短期に身体と神経を造る必要があるときは、一日を分割するのが得策だ。

ただし、これはあくまで緊急避難的なトレーニングだ。
基本はあくまで、十分な期間をかけて身体と神経を造っていくことだ。

無理せず、急がず、気楽に、少しずつ練習量を増やしていくことは、シーズン中についてしまった変な癖とかを取り、よいテクニック再構築していくために、非常に有効だ。

週に一日か二日の休みと、年に一・ニ回の長期休暇、うまくとればとっても有益ですぞ!


休む!

2008年01月11日 22時35分17秒 | テクニック
休む!

2008年1月11日

年末年始、一切練習しない日が続いた。
12月27日から1月6日までの11日間だ。

で1月7日から練習を再開した。

年に何回か全く練習しない何日間かを過ごす。
毎年のことだ。
打楽器を演奏するための筋肉や神経を、完全に休ませるわけだ。

これ、実はとても大切なことだと思ってる。

ずっと仕事が続き、練習を詰めていくと、いつの間にか身体が固くなる。うっかりするとヘンな癖もつく。
その癖をとり、緊張をほぐして筋肉と神経を休ませることは有益だし、必要なことだと思う。

ただ、この休息が有益なものになるかならないかは、休息後どう復帰するかで決まってしまう。
下手な戻し方をすれば完全に逆効果だ。

では、どんなふうに復帰したらいいのだろうか?

コツは、ちゃんと期間をとる事と、無理をしない事だ。

最初の日は少しの時間しか練習しない。
単純な、基礎的な練習しかしないことだ。早いパッセージをフォルテシモで何度も繰り返すなんてのは絶対にしてはいけない。

ゆったりとした気分で無理のない単純な基礎練習をする。
時間は30分から1時間でいい。

というかそれくらいしかしてはいけないと思う。

で、日を追うに従って練習時間を延ばし、高度なテクニック、ハードなテクニックへと移行していく。

だいたい休んだ日数と同じくらいの日数をかけて戻していくのがコツなんだ。
絶対に先を急いではいけない。

あわてず、騒がず、じっくりと、ゆっくりと、自分をチェックしながら着実に進んでいく。

そうすると、いつの間にかテクニックも精神力も元に戻っていることに気付くことができるだろう。

というより、いろんな面で前よりよくなっている自分に気付くと思う。

休むことによって、無用な緊張を取り去り、クセを矯正して、より自然な、より楽な、より合理的なテクニックを身につけている自分に気付くことができると思う。

休むことはとても大切なことだ。
しかし、もっと大切なことは、休んだあと、テクニックをきちんと再構築することだ。

それを年に二回ほど繰り返していけば、我々の演奏家としての寿命は確実に延びていくと思う。

人間もゴムも、緊張しっぱなしはよくないんだ。適度に緊張させ、適度にゆるめなくてはならない。

ぼくはドイツ留学時代、年に二回、一ヶ月の休暇をとった。その間ユースパスを使って貧乏旅行をしたんだ。
そして、次の一ヶ月で身体とテクニックを再構築した。

これ、ぼくにとってすごく有益だったと思う。

テクニックに、また精神的に行き詰まりを感じている人がいたら・・・・、



思い切って休んでみたらいかがかな?

ナンバの身体論

2007年10月10日 22時14分22秒 | テクニック
ナンバの身体論

2007年10月10日

ぜひ読んでほしい本がある。

矢野龍彦・金田伸夫・長谷川智・古谷一郎共著
「ナンバの身体論」(光文社新書)

ナンバというのは日本人の江戸時代までの歩き方で、右足を出すときには右手を、左足を出すときには左足をという歩き方のことだ。

ぼくは、一日にできれば20-30分くらいこの歩き方で歩くように努めているのだが、これを始めてから、自分でも劇的だなと思うほどに音色が変化した。・・・・もちろんいい方にだ。

で、この本には、そのナンバ歩きにとどまらず、テクニックや練習方法についてのヒントがたくさん載っている。

例えば、桐朋高校のバスケ部では練習時間は一日80分という制限をみずからに課しているそうだ。
しかも、週4日しか練習しない。
それで、全国大会に出場するほどの強豪チームができあがったそうだ。
他の強豪校はそれこそ365日一日何時間も、時には10時間以上も練習しているという日本の部活の実体を尻目に・・・。
ただ、
他にもナンバについて解説した本も数冊出ているが、それらはまだ読んでいない。
ナンバを始めるとき、他の解説本も読んだが、それはすでに絶版になった模様だ。

というわけで、他の本と較べたわけではないが、この本は絶対に読む価値がある。

そして読んだら即実践してみるべし。

実は、ナンバについてもう一回調べてみようかなと、フラっと思いついて買った本なんだ。
で、きょう電車で桂から十三まで往復する一時間で読み終わった。

けっこう簡単にさっと読める。
しかし、この本から得られるものは・・・これはすごい情報量と濃密さだと思う。

んだが、この本からどれほどの有益な情報を引き出せるかは、読み手次第だとも言える。
だって、スポーツの本だから・・・・。

でもね、ぼくは思うんだ。
人生で出会う自分以外の人は・・・みんなわが師だよなって。

スポーツの世界にいる人たちから学べることは、うん、すごく多いし、メチャ有益だ。

グリップ

2007年08月12日 20時50分46秒 | テクニック
グリップ

2007年8月12日

最近思うんだけど、演奏ってやはりエネルギーが必要だと思うんだ。
でも、人間の持つエネルギーって限界もある。

だから、効率的に使う必要がある。

若い人たちの演奏を聴いていると、「この人、今はなかなか上手だけど50歳になってもちゃんと演奏できてるかなあ・・・?」って心配になることがある。

つまり、必要ないところにパワーを使っているので、筋力が衰えてくる40歳以降が心配になるわけだ。

そのことが特に気になるのが、グリップだ。

ティンパニにせよ、小太鼓にせよ、マリンバにせよ、とにかくどんな楽器を演奏するにしても、スティック、マレットの持ち方には絶対にはずしてはいけない原則があると思う。

それは、マレット、スティックを保持するために、限りある資源である筋力を使いすぎないということだ。

うん、スティックとかマレットは、それを安定して保持できれば、それでいい。
だから、持つために、つまりグリップのためには必要最低限の筋力を使えばそれでいいんだ。

で、マレットとかスティックっていうのは、うまくポイントを見つけて、バランスをとれば、別にしっかり握らなくても安定してくれる。

具体的には、少なくとも3点で保持すれば、必ず安定するし、コントロールも自由にできるんだ。
そして、その3点の内の一つを仮想の支点として意識するなら、二点保持でも十分に安定させることができるし、コントロールすることができる。

長時間ある程度の強さで演奏し続け、グリップが疲れてくる人、不安定になってポジションが移動してしまう人は、グリップに無駄な力を使っていると疑った方がいい。

最適な2点を見つけ出して、そこを必要最低限の筋力で保持しているなら、7-8時間程度の練習で手の筋が疲れてしまうことはない。

もしグリップに必要以上の筋力を使っている人は、腱鞘炎とかに注意した方がいい。
不必要な筋力を消費することは身体にとって非常に危険だ。

一度自分のグリップを点検してみよう。

もう一度強調したいんだけど、
マレット、スティックを持つのに筋力はほとんど必要ない。

軽く、ふわーっと、優しく持てばいい。
お豆腐か何かを手で持つような感覚だ。
少しでも強く握ってしまえば、豆腐はつぶれてしまう。かといっていいかげんに持てば手から滑り落ちてしまうだろう。そんな感覚なんだなあ。

うーん、わかってもらえるかなあ~?

これって本当に大切なことなんだよネ・・・・・。


「クラッシュ!」・・・・といっても

2007年05月19日 21時26分18秒 | テクニック
「クラッシュ!」・・・・といっても

2007年5月16日

クラッシュといってもパソコンのことではない。
クラッシュ・シンバルの話だ。

昔、その昔、ぼくがまだ学生だったころ、
女性の打楽器奏者はソリストは別としてオケには少なかった。非常に少なかった。

でも、今は増えてきた。
いいことだと思う。

世界の人口の約半分は女性なのだし、その中のさらに半分が専業主婦であることをみずから望んでいたとしても、あとの半分、つまり、世界の就業人口の四分の一は女性だ。

だから、オケだって、少なくとも四分の一は女性であっていいはずだ。

それに、一般的に言って女性はオケに向いている。
なぜかというと、本番に強いからだ。

プレッシャーのかかった場面で実力を何パーセント発揮できるかってことは、すごく重要なことだとおもうけど、なぜか女性には本番に強い人が多い。

これはぼくだけの印象ではない。ブロムシュテットという指揮者もインタビューで明言していた。
彼は、旧東ドイツの男性主体のオケで長く仕事をした後、サンフランシスコのオケに転任した指揮者だけど、アメリカで女性の多いオケで働いて、女性がオケに向いていると確信したそうだ。

その理由は、まさに「女性はプレッシャーのかかった本番でも実力をちゃんと発揮できる人が多い」だったのだ。

で、今は日本のオケの打楽器セクションでも女性プレーヤーがどんどん増えているのは喜ばしい限りだ。

ただ、女性がオケの打楽器奏者を目指す場合、どうしても難関として立ちはだかってくる壁は、クラッシュ・シンバルだろう。

なんせ、重い!   こんな重い楽器を振り回すなんて、なんて野蛮な・・・・・。

と言ってそっぽを向いてしまったら、オケの扉は永遠に開かない。
なんとかして、この楽器をこなさないといけない。

しかし、考えてみてほしい。いくらシンバルが重いといっても、赤ちゃんよりは軽い。
たいがいの母親は、それこそ何時間でも赤ちゃんを抱っこし続けることができる。

それは、男には無理だ。全然無理。

ぼくも、働く女性の夫としてかつて相当深く子育てに関わってきた。
その体験から言って、女性が赤ちゃんを抱っこし続ける耐久性にはシャッポを脱ぐ。

ある程度の重さのものを保持し続けるという能力は男性より女性のほうがはるかに上だ。

で、よくよく考えてみたら、
シンバルの演奏能力のもっとも大事な部分はシンバルを安定して保持する能力だ。シンバルをぶん回す能力ではない。

第一、どんな派手な曲でもそんなに長時間シンバルをぶん回すようだったら、聴衆の耳がおかしくなる。

それともう一つ。

われわれ打楽器奏者全員に平等に与えられているパワーというものがある。

それは、引力だ。

引力をうまく使えば、クラッシュシンバルを鳴らすのにそれほど腕力は要らない。
必要なことは、シンバルをきちんと保持すること、正確に当てること、つまり、
シンバルを動かすことではなく、動きをコントロールすることだ。

それは、結構繊細な作業だ。

本当のところ、シンバル演奏は力わざではない。
小太鼓やトライアングルと同じように、繊細な取り扱いが必要な楽器なんだ。

動きのエネルギーそのものは引力を効率的に使えば、まず不足することはない。

だから、シンバルに関しても、男性と女性でハンディはあるともいえるし、ないとも言えるんだ。

女性のオケマン志望者(オケウーマンと呼ぶべきか?)諸君、そして、腕力に自信のない男性オケマン志望者諸君、「大志を抱け!」

実は、今だから告白できるが、打楽器奏者を志した若き日のぼく、握力が両手とも18しかなかった。超軟弱虚弱男だったのだ。
今でも腕力では絶対に妻にかなわない。

だから、腕力を使っての夫婦喧嘩は絶対しない。やったら瞬時に敗北が決定するに決まっている。

でも、こんなぼくでもオケマン時代はシンバルをやっていた。マーラーのシンフォニーとか、サンサーンスの3番とか大音量が必要な曲もやったが、なんとかできた。

白鳥の湖(もちろん全曲)のように体力勝負のような曲でもなんとかこなしてきた。

だから、体力、腕力の面で「シンバルは無理!」って人はそんなに多くはないはずだ。

というわけで、一番重い楽器の一つクラッシュ・シンバルも、引力をフルに使いコントロールすることによって、誰でも演奏できるわけだ。というか・・・・はずだ。

そして、同じことが、小太鼓やマリンバ、トライアングル、ティンパニ、その他ほとんどの打楽器演奏にも言える。

引力をどう使うかであなたの音色はかなりのところまで決定されてしまう。
引力をどうコントロールするかであなたの音色はかなりのところまで決定されてしまう。
引力とどう接するかであなたの打楽器奏者としての寿命もかなりのところまで決定されてしまう。

これは、かなり重要な問題だ。

引力、それは全ての打楽器奏者に平等に与えられている貴重な動力資源だ。
これを理解して飼いならして使いこなさない手はないぞ!

音階練習(しつこいかなぁ、もう・・・・)

2007年05月19日 21時23分12秒 | テクニック
音階練習(しつこいなぁ、もう~)

2006年12月20日

ぼくはマリンバをさらうとき、大体はまず音階練習から始める。
いつも、まずは四分音符60~70くらいのテンポ、16分音符で始め、徐々にテンポをあげていく。

ところが先日、あまり時間がないので少し速いテンポで練習を始めた。

いきなり80くらいのテンポで練習し始めたんだ。

すると結局、時間の節約にはならず、調子を崩してしまった。
その日は一日中調子悪かった。

練習している間だけに限らず、日常生活全般にわたって身体がぎくしゃくとしていた。

やはり、音楽って近道、抜け道ってないんだわ。

音階練習するときはその目的をしっかりと意識していないといけない。
音階練習の目的は、音階が弾けるようになることではない。

音階練習を通して、自分の身体を、マリンバを演奏する身体に改造し、自分の呼吸を音楽する呼吸に改造することが目的だ。

だから、身体と呼吸をきちんと整えるために、まずはゆっくり、身体の動きと呼吸を意識しながら、確認しながら、練習を進めないといけない。

腰を(骨盤と背骨とのかみあわせ)リラックスした状態で安定させ、背中の筋肉をゆるめ、肩胛骨の付け根、肩の付け根、ひじ、手首、指の間接の動きをしっかりとチェックする。
そのためには、早いテンポは厳禁だ。

あせって先に進むなら、時間をいたずらに無駄にするだけだ。

失敗を通してぼく自身が再確認させられてしまった。
ま、感謝しましょ・・・・・。

ロール(あんまし細かいロールは・・・・)

2007年05月19日 21時22分06秒 | テクニック
ロール(あんまし細かいロールは)

2006年11月26日

ロールのチェックポイント その四は

「あんまし細かいロールは美しくないぞ!」

これは「読んで字のごとし」だ。

スティックがドラムのヘッドにあたるということは、わずかだがミュートの役割をしてしまう。
太鼓はスティックがあたることによって鳴るのだが、スティックがヘッドにあたるってのはミュートになってしまうという負の側面もあるのだ。

だから、あんまし細かく打撃音を詰めていくと、楽器の響きはとまってしまう。
前述したとおり、打撃音はいくら磨いても、揃えても、細かくしても、それは単なる音に過ぎない。

音楽的な持続音を創り出すためには、太鼓の響きが必要だ。
打音と打音の間にある響き、これが重要だ。

その響きに耳を澄ましながらロールを造っていく。

なもんだから、あんまし細かく打音を詰めていくと、単なる物理的な音響の連続ということになってしまい、うるさいだけのロールになってしまう。

ぼくはこういうロールを「ブザーロール」と呼んでいる。
「マッサージバイブレーターロール」とか「電気ひげそりロール」とも呼ぶ。

( ̄~ ̄;)

その太鼓がちょうどよく響くロールの細かさってあるんだ。
それを発見できるかどうかは耳の問題だ。

太鼓の響きに注意深く耳を澄まさないといけない。
音楽に対する最大限の愛情を持って。

なもんだから、ロールってのは、
「ハイ、ロールやってみて下さい」といわれて、「ハイよっ!」て簡単にできるものではない。(本当は・・・・)

どの曲の、どの部分のロールを、どの小太鼓で、それもどんなチューニングでって条件を設定しないとどういう風にロールをするかってのは決められないものだ。(厳密にいうと・・・・だけどね)

その時のオケのサウンドによって、どんな密度で、どんな圧力で、どんな音色でロールをするのかってのが変わってくるわけだ。

だから、ぼくたちは「太鼓たたき」になってはいかんのよ。太鼓をたたく「音楽家」にならんといかんのよね。

音楽が先にある。

どんな曲の、どの部分を、どんなホールで、どんなオケで、どんな指揮者と、どんなテンポで・・・・・て音楽的な事が先に来て、それに対してふさわしいロールを考えていかないといけない。

それも、何ヶ月も沈思黙考しているヒマはない。
その時その時で、本能的に野性的直感を働かせた判断をして音にしていく必要がある。

太鼓をたたくって、ヤッパ、結構動物的な勘が必要かも・・・・。
音楽って格闘技みたいなところがあるかもね。真剣勝負、一瞬の判断が生死を左右する・・・・・なんて言うとちょっとカッコヨすぎるかな・・・・・。

ヾ(´▽`;)ゝ   へへへ・・・。


(=^_^=)


ロール(右手と左手)

2007年05月19日 21時21分47秒 | テクニック
ロール(右手と左手)

2006年11月20日

ロール習得のコツを書いてた。
なんか前回がずいぶん昔のような気がする。

その三 「左右を同じにしようと思わないこと」ってところから再開。

よいロールとは左右の音量音質それに時間(タイミング)がきっちりそろっているものだと普通は思うだろう。
ぼくもそう思いこんでいた。

しかし、左右の音をきっちり同じにしようとして練習していると落とし穴にはまる。
はまるだけではなくそこから抜け出ることができなくなることもありうる。

まず、ぼくたちは人間だ。右手と左手が同じになることはない。
ないと断言しても多分大丈夫だ。
いまだかつて右手と左手がまったく同じって人には出会ったことがないから・・・・。

ぼくは左手を鍛えようと思って、学生時代からずっと、原則左手で箸を持っている。
魚の骨はずしとか、豆をつまむのだってお手のものだ。
左手一本で大体のものは食える。
左手でも全然不自由はない・・・・・・と言いたいところだ。

でも、やっぱり左手は左手だ。

左手ではどうしても難しいテクニックもある。
例えば、お茶漬けを掻き込むってなんてことは意外にムツカシイ。

というか、普通左手でお茶碗を持ち、右手で混ぜたり掻き込んだりという作業、つまり、右手と左手が共同作業をするような場面では、左手に箸を持つってのはすごくムツカシイ。

やはり、右手と左手、というか、利き手とそうでない方の手は役割が違うということなんだ。

で、話題を戻そう。

右手と左手の音を音質も音量もタイミングも同じにしようと四苦八苦していた頃、
ヴィオラ奏者である家内がその練習を見るともなしに、聴くともなしにボーッと(かどうかは知らないが・・・・実際には注意深くかもしれないが)見ていた(聴いていた)。

で、突然彼女が言った。
「あなた、右手と左手を同じにしようとしていない?
それでは良いトレモロは絶対できないと思うわ。
弦楽器でもトレモロがあるけど、ダウンとアップは絶対同じにならないわ。
ダウンとアップは役割が違うのよ。打楽器でも右手と左手は役割が違うはずよ。
右手をまず主体に考えて、左手で右手をフォローするようにしたらどう?
そして、右手と左手が互いに助け合って一つのサウンドを造るようにしてあげるのよ。

それに、あなたは打撃音を細かく揃えていってトレモロをきれいに造ろうとしているでしょ?
打撃音をいくら細かくきれいにつなげようとしてもそれは音楽には使えないわ。
音と音の間にある響きを聴いて、その響きをつなげていくようにしなくては。
響きがつながっていけば、打撃音がそろっていなくても、きれいなトレモロができるわよ。
音楽は響きで造るものよ。打撃音はいくら磨いても、揃えても、それは単なる音よ。」

そのことばを聴いて、ぼくは発想を変えた。(ああ、なんて素直な忠実な夫だろうか・・・・!)

カスタネットのトレモロを思いだしてほしい。
フラメンコカスタネット、
あれ、右手と左手に違う音の楽器を持つわけだ。
そして、確か右手が三回打って左手が一回(もしかして逆かも)っていう風に、たたく回数も右と左と違う。

それでも、彼らのたたき出すロールはすごくきれいだ。

右手と左手が同じでなくても美しいロールが造れることは、このことですでに歴史的に証明されている。

というわけで、ぼくは今、右手と左手を同じにしようという練習はしていない。

右手は右手の個性を伸ばし、左手は左手らしさを伸ばすように考えて練習している。
で、ロールはまず楽器を響かせることを第一に考え、響きをつなげていくように考えて演奏している。

こんな風に発想を変えて練習し始めてから、スネアのロールはずいぶん楽になり、良い結果も出始めた。

いろんな場面で「山本さん、ロールきれいですね」といってくれる人がちょくちょく現われるようになり始めた。

今でも、実際はそんなにロールが上手なわけではないと思う。
でも、ロールコンプレックスはもはやない。

楽器がちゃんと響いていることを実感しながら演奏できるようになっているからだ。

楽器の響きが自分の耳で捕えられていれば、多少音の粒がそろってなくても、あまり動揺しないでロールを演奏できる。

この感覚、そう簡単に体感できるわけではないと思う。
ぼくもずいぶん時間がかかった。

でも、このことは頭のどこかにインプットしてメモリーしておいてほしい。
必ずあなたの役に立つだろう。

では、ロール習得に向けて奮闘中の皆さん、
がんばってください!努力し続ければいつか必ず結果が出ます。

シャローム、God bless you!



ところで、
今日は家内の誕生日だ。

おめでとう!



ロール(続き)

2007年05月19日 21時21分33秒 | テクニック
ロール(続き)

ロール習得に悪戦苦闘していた大学前半の二年間、
いろんな人たちから、プロ・アマ・学生を問わず、とにかく打楽器をやっている人なら誰からでもかまわず、ロール習得方法を教えてもらった。

実際、すごくいろんな練習方法とかを教えてもらった。

もちろん、全部試した。わらにもすがるという思いで、教えてもらった練習方法は全て試した。
試したというよりはがむしゃらにやった。

しかし・・・・・・・なかなか上達はしなかった。

やはり、「やり方を知っている」というのと「できる」というのは違うんだ。
「できる」ようになるためには時間が必要だ。一朝一夕にできるということはあまりない。

だから、今ロールで苦労している人たちは、まあがんばって時間と手間をかけてほしい。
いつかはできるさ。だって、みんなやってるじゃん!君にだってできるさ!

レ(゜゜レ)  ガッツだぜぇ~!

ロール習得の特効薬なんてのはないと思ってほしい。

ただ、これを知っていると上達が早いぞって情報もあるにはある。

その中で、意外に多くの人が見落としている点とかをここで紹介したい。

その一 地道にオープンロールを練習する

その二 まずは短いロールから

その三 左右を同じにしようと思わないこと

その四 あんまし細かいロールは美しくないぞ!

その五 ヘッドのどのあたりをたたくかも重要!

てな感じかなあ・・・・。
もっと他にもあるかもしれないけど、今は思いつかない。思い出したらまた書くことにしよう。

まずその一 オープンロール。

オープンロールをちゃんと練習するってことは意外に皆さんやってないんだな。
だって、使う機会があまりないでしょ?

でも、機会は自分で創ればいいんだ。
アメリカ音楽とか意外にオープンロールの方があってたりする曲がある。
どんどんやってみて試したらいい。

もちろんその前に一人でちゃんとさらっておく必要がある。
オープンロールもそんなに簡単にできるものではない。けっこう手間ひまかけて習得する必要がある。

ぼくは、オニより怖い(ちょっと大げさかな)M先生に高校時代二年チョイにわたってクローズドロールを禁じられたために、オープンロールばかり、とにかくよく練習した。

これ、ヤッパ大きいんだなあ、今から思えば。

なんせ、全て、どんな曲でも全部オープンロールでやるわけだから、
ウーン、はっきり言ってしんどい経験だった。

でも、確実にぼくの益になっていると思う。

「今泣いてあとで弾け!」(Now cry, late play!)
ガラミアン教授はこう言ってパールマンとズーカーマンを基礎練ばかしでしごきまくったそうだけど、(そのくせキョン・ファ・チョンにはメチャアマ、ネコかわいがりだったらしいが・・・・)

高校時代オープンロールで恥かきまくって涙・涙の経験も今は役にたってるなあと実感している。

(= ̄▽ ̄=)V ・・・・

その二
まずは短いロールから

「今達し得ているところを基準として前に進む」 これが物事をマスターする基本だ。

まずは右手のスティックだけをヘッド上で転ばして最短のクローズトロールをやってみよう。
これならおそらく誰でもすぐにできるようになるだろう。

次は左手、

こうして、まずは左右どちらの手でも短いロールをそれこそ一瞬だけでもできるようにして、
そこからスタート。

次は右左の二つのストロークのみ、ついでにもちろん左右のストロークも練習。

次は三つのストロークという風に、とにかくまずは短いロールを確実にものにし、それを1ストロークずつ伸ばしていく。

やってみたらわかるけど、「右左右」とか「左右左」とかの短いロールだったら意外に簡単にきれいに転んでくれると思う。

そっからスタートだ。そこから本当に一歩ずつ前に進む。あせってスキップしてはいけない。
本当に一歩ずつ前に進むんだ。

もし、三歩くらい進んで行き詰まったら、すぐに二歩戻る。いや三歩戻ってもいい。
また一歩、二歩と少しずつ、少しずつ前進するんだ。

そして二~三年たつと、いつの間にか数千歩を既に歩いてきたことがわかる。



その三
「左右を同じにしようと思わないこと」ってのは次回書こう。
これは非常に重要だ。

では次回の更新をお楽しみに!(してくれる人がいたらうれしいな・・・・・・。)