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打楽器は楽しい!オモロイ!ホンマやで。

打楽器奏者山本毅が、打楽器について、音楽について、その他いろいろ順不同で語ります。

ロール

2007年05月19日 21時21分18秒 | テクニック
ロール

2006年11月2日

たかがロール、されどロール。
小太鼓のロールが出来なくて悩んでる人は多いのではないだろうか?

実は、ぼくもかつてそうだった。

打楽器を始めたのが16才間近の冬、
その時からず~っと長いことロールにコンプレックスを持ち続けていた。
ようやくそれなりに人前でもあまり恥意識を持たずにロールを演奏できるようになったのは大学3年の時だ。つまり20才の頃。ほぼ5年もかかったわけだ。

その間、苦節の5年間だった。

まず大学に合格するまでの二年チョイの間、当時習っていた先生から、いかなる場合でもクローズドロールは絶対にダメだと厳命された。

これにはマイった。

ウーム  (; _ _ )/

ぼくだって時々はブラスなどで小太鼓を担当するときがある。そんな時でもクローズトロールは絶対にしてはいけないと厳命されていたし、ぼくは純情な高校生だったから、先生のことばは絶対だ。

指揮者からなんと言われようと、同僚から笑われようと、怒りを受けようと、とにかく全部オープンロールで通した。

というか、事情を話して出来るだけ小太鼓は担当しなくていいようにしてもらった。
その方が周りも気が楽だったろう。

へたくそなオープンロールってのはみっともない限りだ。バンドの恥をさらすわけにはいかない。
「山本にはスネアはやらすな!」ってことになった。

これは今から考えると幸いなことだったと思う。

小太鼓の基礎的なテクニックをちゃんと身につけるべき時に、基礎訓練に専念できたからだ。
高校のブラバンとはいえ、やってる曲は普通の曲だ。そこには色々な高度なテクニックも当然入ってくる。

基礎がゼンゼンできていない段階でそういう高度なテクニックを使って、というより、高度なテクニックなど使えないから、なんとかごまかして曲を仕上げるなんてことをやっていたら、
基礎作りなんて絶対に出来なかっただろう。

応用問題を解く前には、基礎的な公式の使いこなしに習熟しなければならない。
変化球を覚える前には、直球をしっかりマスターしなくてはならない。

応用力を身につけるためには基礎訓練を徹底的にすることだ。
これはスポーツでも音楽でも共通の原則だ。

ま、そんなわけで小太鼓の勉強を始めて二年ほど、オープンロールだけを練習して、晴れて京都芸大打楽器クラスに入学した。

当時の入試はクローズトロールをまったく使わなくても通過できたのだ。
今から思えば程度の低い話かもしれない。

で、大学に入ったらクローズトロールを教えてもらえると思ってたら、先生は何も教えてくれない。
クローズトロールをやってもいいですかと聞いても、返事してくださらない。すっと話しをそらされてしまう。

で、別に許可をもらったわけでもないけど、勝手にクローズトロールの練習を始めた。

それからは、鳴かず飛ばずの二年間だった。

o(;△;)o

なんせ、先生は一切何も教えてくれない。
レッスンとなるとすぐにカメラの話しだとかになってしまって、およそぼくの演奏についての話しにはまずならない。

クローズトロールの練習方法とかコツとか、「少しは教えてくれてもいいじゃないかぁ・・・・・!」と思ったが、一切それに関しては何もなしだった。

たまに試験などでぼくがヘンな演奏をするとカミナリが落ちたりはするが、およそアドヴァイスといえるようなものは年に一回か二回くらいしか言って下さらない。

自分で試行錯誤するしかなかった。

その二年間はアンサンブルとかオケで小太鼓のロールが出てくると、もう情けなくて、恥ずかしくて、逃げ出したい思いで演奏していた。

「どうしたらロールができるようになるんだろう?」って、夢でうなされるというか、小太鼓を人前で演奏することになると胃が痛くなるってことがずっと続いた。

それが、大学3年の夏休みを終えるころ、急に楽になった。ナントナク、楽になって、ロールがあまり恥ずかしくなくなった。

「ああ、けっこうそれなりにできるようになったやんか」と自分を余裕を持って眺めることができるようになった。

ま、ここまで来るには苦労もしたけど、キッカケのようなものもある。

今、ロールの習得に苦労している人の参考になればいいと思って、公開しよう。

一つは自分の音を録音して聴いたこと。
それもすぐ近くで録音したのではなく、数メートル以上離れて録音した。

すると、そんなにどうしようもないほどひどいロールではないなとわかった。

次に、いろんなプロの人の演奏を聴いて、世の中、すばらしいクローズトロールができる人はそんなに多くないということに気づいた。

すばらしい打楽器奏者、音楽家であっても、ロールはそんなにうまくないって人がけっこうたくさんおられるということがだんだんわかってきて、打楽器奏者としての能力とロールのうまいへたはある程度の相関関係しかないということがわかったわけだ。

つまり、少し気が楽になったってわけ。

最後の秘訣はあきらめずに練習を続けたってことだ。

だって、ここであきらめるってことは、演奏家になるのをあきらめるってことにつながるわけで、演奏家として生きていくなら、いつかはこの壁を乗り越えなくてはならないわけだ。

だったらチャレンジし続けるしかないではないか!



というわけで、いくら今がダメでも、将来は絶対できるようになると確信して、・・・・・というか、自分に言い聞かせて、イヤ、もっと言うなら自分を「洗脳」して練習し続けた。

というわけで、今ではそんなにコンプレックスを感じずにロールができるようになった。

決して完璧なロールコントロールを身につけたわけではない。
しかし、そんなに惨めな気持ちにはならずにロールの入った曲を演奏できるようになった。

バルトークの二台のピアノと打楽器のためのソナタという曲がある。
この曲の第2楽章は小太鼓の弱音ロールで始まる。
「ど」のつくソロだ。

こういうパッセージでも楽しみながら演奏できるようになった。

ルヤ!

だから、今ロールで悩んでる人も、

「あきらめないでっ!」って言いたい。

人生、長いんだ。いつかはできるようになるさ。

ぼくの尊敬する先輩が言ってたことがある。

「二つ打ちとかロールってのは、才能はいらない。
 努力さえすれば例外なしに誰でもある程度できる。」

本当にそうだ。絶対ある程度はできるようになる。

そして、言えることがもう一つある。

ある程度できればそれでいい。

だって、
      たかがロールではないか・・・・・。

「たかがロール、されどロール」なんだけど・・・・・。

というわけで、次回の更新時にはロール習得のためのぼくなりの練習方法とか少し書こうと思う。
いつになるかわからないけど。

更新しようって気は満々なんだけど、夜になると睡魔に負けてしまうんだ。

( ̄~ ̄;)

 

グリップ(ふたたび)

2007年05月19日 21時20分57秒 | テクニック
グリップ(ふたたび)

2006年10月15日

先週の金曜日、ショスタコーヴィッチの室内楽作品コンサートを聴きにいった。

これが、極上のエキサイティングなコンサートで、興奮の夕べとなりやした。

演奏者は全員関西在住の音楽家たち。
バイオリンがバブアゼさん(愛称ゴギさん)と梅原ひまりさん、ヴィオラが山本由美子さん、チェロが林裕さん、それにピアノが田隅靖子さん。

地元演奏家だけでこんなにいいコンサートが出来てしまうんだから、関西楽壇のレベルも相当なものだと思う。

(ただ、京都もケルンもそれぞれ人口150万人くらいだから、せめてケルンと同じくらいに芸術振興にお金をつぎ込んだら、もっともっとすごい音楽都市、芸術都市になるはずだ。芸術の水準も相当な程度経済に左右されるのが現実・・・・)

実際、聴いてた人たちは大満足だっただろうと思う。すばらしいコンサートだった。
聴き終わって、「いやあ、ショスタコーヴィッチってホントにすばらしい作品を書いたんだなあ」と心から納得した。こういう経験はそれほどしょっちゅうあるわけではない。
作品の良さが聴衆にしっかり伝わったわけで、出色のコンサートだったといえるだろう。

で、本題に入ろう。

実は、ゴギさんっていうヴァイオリニストが、演奏中勢い余って弓を落っことしてしまった。

ま、要するにアクシデントなんだけど、
その時、「ああ、この人弓の持ち方がとってもいいんだろうなあ・・・・」と思った。

弦楽器奏者が勢いあまって弓を落っことしてしまうことは、わりとよくある事件だ。

ヴィオラの名手Yさんも昔々にやったことがあるらしい。
かの有名なカザルスもそうだ。

実はこれって大事なことなんだけど、弓ってのはがっちりと持ってしまったらだめらしい。
持つというよりは支えるって感じかなあ。

マレット、スティックを持つのも同じ。

持ったらアカンねん。
スティック、マレットが空中にぽっかりとただ浮いているって状態を保持するだけでいいんだな。

持つというより触れる、支えるって感じだ。

だから、演奏中にちょっとどこかにぶつかったりすると簡単にすっ飛んでいく。

理想をいえば、空中にポカリと浮いているマレットが自律的に動いて楽器にあたり、自然に跳ね返ってくるのを一切妨げないという感じでマレットを保持し、コントロールできたらいいと思う。

スティック、マレット、絶対にぎゅっとつかんだらだめです。

スティックを動かし、コントロールするのに全ての筋肉と神経を使いたい。

スティックを持つために筋肉の力を使ってしまうのはもったいないし、音も悪くなる。

もし、スティックをしっかりと持つために筋肉の力を使ってしまうなら、当然時間がたつにつれて疲れてくる。そうしたらグリップは時間とともに不安定になってしまうわけだ。

なんせ、演奏が続く限り、必ずスティックは持ち続けないといけないんだから。
そんなに長時間にわたって筋肉を緊張させ続けることは出来ない。人間である限り必ず疲れてくる。

だから、スティックはそっと支えるように、触れるように持とう!
スティックを保持するために、筋肉パワーを使うのはやめよう。

有限なパワーである筋力は出来るだけ全てスティックコントロールに投入しよう。

スティックコントロールだって、筋力だけに頼ったらブーです。
引力と楽器の反発力(リバウンドね)、スティックの弾性をフルに使いたい。

いやあ、打楽器を演奏するって、けっこう高度なわざだったりして・・・・。

(;~_~)9  頑張れ~!

テクニック

2007年05月19日 21時03分02秒 | テクニック
テクニック

2006年4月12日

テクニックか音楽性か?どちらが大事?
という議論をしている人がよくいるらしい。

しかし、これは議論すること自体が????だと思う。

( ̄~ ̄;)ウーン・・・

いくら音楽性があっても、テクニックがなければ表現できないし、
音楽性と関係ないテクニックって、それはテクニックとは言えないだろう。
あえて言うなら、運動性能か・・・・?

テクニックってあくまで手段であって、
目的のない手段ってのはことばの上ではあり得るかもしれないが、実際にはあり得ない。
手段なしに実現できる目的なんてのもあり得ない。

(~ヘ~;)ウーン

「テクニックとは?」を一言で表現することはどだい無理だとは思うが、あえて表現するなら、
「自分の思い通りの音を出す術」ということか?

つまりは、スティックなりマレットなり、手そのものかもしれないが、
楽器に触れる媒介を自分の意志どおり動かす術といっていいと思う。

つまりだ。
「自分の思い」ってのが自分の音楽性で、
その「自分の思い」を音にする手段がテクニックってわけだ。

それゆえ、自分が今どういう音を出そうとしているかが、自分で明確にわかっていることが、練習において非常に重要なことだ。

で、どういう音を、音楽を理想とするかということは、はっきり言って個人の自由だ。

もし、地球上の大半の人が不快に感じる音もしくは音楽であっても、演奏者がその音、その音楽を気に入っているなら、だれもそれをよくないと決めつける権利を持ってない。
ただ、その演奏家が収入を得ていけるかどうか、聴衆の支持を獲得できるかは全く別だが・・・・。

ただ、ぼくはもうこの歳になったからというのもあるが、
たとえ聴衆の支持が得られなくても、自分でいいと思う音を出したいと思う。

まあ、もちろん、自分で自分の演奏に100%満足できることはあり得ないとは思う。
しかし、何はともあれ、自分の理想とする音楽に一歩でも二歩でも近づきたいと思っている。

そのために、いまだに一生懸命技術を磨いているわけだ。

また、自分でいいと思う音楽、音もどんどん変化している。
自分の音楽的理想像が歳とともに変遷している。

だから、いつまでたっても音楽に対する献身が必要だ。
つまり、勉強も練習も必要だ。

そして、それが楽しい。
終わりなきレースではあるが、楽しい。
生き甲斐といっても差し支えないと思う。

まだまだ、引退はしないぞぉー!

当たり前だ。ぼくはまだ49才、
かの名ピアニスト、ルービンシュタインが練習の重要性に目覚めたという歳だ。
がんばるぞっ・・・!

p(#^∇°)q  ファイトッ!

首を解放しよう!

2007年05月19日 21時01分36秒 | テクニック
首を解放しよう!

2006年3月21日

首を解放するために、注意することの一つとして、首がというか、顔が前に出すぎないって事が言える。
つまり、背骨の上にちゃんと首がのっかり、その上に頭がきちんとのっかている必要がある。
背骨の延長線上より不自然に顔が前に出ているなら、それは首に負担がかかっている。

いいテクニック、いい音、自然な音色を手に入れるには

1 きちんと立つ、または座る。リラックスしてることと、安定していることの両方が必要
2 背骨を腰骨の上にきちんと、かつ楽に立てる
3 その最も自然な延長線上に首の骨をつなげる
4 そのさらに先に頭を自然にのっける。つまり、前後のバランスをとって、頭を最小限の力で支える

ことが大切だ。

その時、顔を左右に向けて見よう。視線を左に、右に。
首は楽に回るだろうか?下を向いたらNGだよ。

これがテクニック造りの土台になる。

首が解放されていること、これが大切だ。
ここがスタートライン。

よく見かける問題として、顔が身体より前に出すぎている人がいる。
マリンバだったら、鍵盤に顔が向かっていて、全然客席から顔が見えない人いるよね。
顔が前に出ているだけでなく、下を向いてしまってる状態だ。

これ、もし試験だったら、ぼくの採点は、テクニック部門大幅減点・・・・。

ヘ(´o`)ヘ

だからぁ、

首を解放しよう!

( ̄ー ̄)v

身体と呼吸

2007年05月19日 21時01分20秒 | テクニック
身体と呼吸

2006年3月17日

自分の身体を知り、呼吸を知ること、そしてそれを整えていくことはとても大切だ。
下記の二冊は打楽器をする人ならぜひ読んでもらいたい本だ。

特に「からだ」のことは必読の書だと思う。

バーバラ・コナブル著
 *音楽家ならだれでも知っておきたい「からだ」のこと
  ―アレクサンダー・テクニークとボディ・マッピング

 *音楽家ならだれでも知っておきたい「呼吸」のこと
  ―美しく豊かな歌声のために

ぼくが特に重視しているのは首だ。
首が自由になり、リラックスすることがテクニックの土台になる。
「首が硬直していたり束縛されていたら、絶対いい音は出せない!」
と断言しても極端な意見ではないと思う。

ぼくも、今のようにパソコンの前に長時間座っていると肩がこるときがたまにある。
しかし、演奏していて肩がこるなら問題だ。

もし、練習で肩がこる人はこの本を読んで首の解放を経験してほしい。

首が解放されていることが、以前書いた基本の音、基本のテクニックを得るための土台だ。
土台なしに家は建たない。

首を解放しよう!

p(#^∇°)q

タイプ

2007年05月19日 20時58分33秒 | テクニック
タイプ

練習の仕方にも人それぞれいろんなタイプがあると思う。

ぼくはけっこう長時間さらうタイプだ。
長時間、しかし、だらだらとさらうことが多い。
途中でひんぱんに休憩もする。それによく気が散る。
そして、簡単なパッセージでも無駄に思えるほどくり返すことが多い。

自分でも練習が下手なような気がする。
非効率の極致かもしれない。
練習というより、練習という名を借りた遊びかもしれない。

でも、それがぼくに合ってるんだ。
ごくごく簡単なパッセージでも、自分にとって空気のような存在というか、何も意識しないでもそこをいつの間にか弾いてるような状態にまで持っていくようにしている。

家内(あ、家内はヴィオラ奏者なんだ。夫のぼくが言うのもなんだが、すごくいい音楽家だ。)はそれと正反対。短い時間で集中してさらう。
「おいおい、そんなに少ししか練習しなくていいのかい?」と聞きたくなる。

それでいて、本番ではファンタスティックな演奏をする。本番にいたって強いのも不思議だ。
びっくりするようないい演奏をして帰ってきて、「ああ手が震えて弾けなかったぁー!」なぞとのたまうものだから、あがり症のぼくとしてはがっくりすることこのうえない。

まあ、人それぞれだ。(半分負け惜しみで言ってるかもしれないが・・・・)

ヘ(´o`)ヘ

でも、ぼくの練習方法は無駄がいっぱいかもしれないが、やっぱりぼくに合ってるんだと思う。だって、それが楽しんだから・・・・。

(=^_^=)

一曲を通してみたり、部分部分に分割したり、時には小節単位に分割して飽きもせずに反復練習する。
その度にテンポや強弱を変えてみたりもする。
すごく遅くしたり、限界まで早くしてみたり、フォルテのところをピアノで、ピアノのところをフォルテでとか、いろいろやってみる。

こう書くといかにも緻密にさらっているように思えるが、そんなに一心不乱にするわけでもない。
よく気が散るし、休みをとる回数も多い。

ただ、一つ言えることは、こうやって何度も何度もくり返して練習するのが楽しいって事だ。
やはり、今までずっと太鼓でメシを食って来れたのは、やっぱ練習が楽しかったからだと思う。

ぼくの周囲には才能ある人たちがいっぱいいた。大学時代は特に、けっこうコンプレックスに悩まされた。
「山本君、なんでそんなに弾けへんの?弾けるようになりたいって思ってないんとちがう?」とは、当時習ってたある先生の言葉。けっこうガックシ来たものだ。その先生は続けて言われた、「こう弾きたいと思って、本気でさらえば必ず弾けるものよ。私はこう弾きたいと思って弾けなかった事って・・・・・ないわ。」

ぼくは「こう弾きたい!」という気持ちはあっても、悪戦苦闘の結果結局そうは弾けないということが日常茶飯事だったもんだから、どうしようもなくトホホな気分になった。

でも、練習は楽しかった。
弾けても弾けなくても、とにかくさらってれば楽しかったんよ。
だらだらではあったが、楽しく時間をかけてじっくり何度も何度もくり返し練習したものだ。

人はよく、できないところ、難しいところを集中して練習しなさいという。
ぼくもその通りだと思う。

でも、ぼくはいまだに、簡単なところ、すでに弾けるようになっているところでも飽きもせず反復練習してる。

無駄がいっぱいの練習かもしれない。でも、楽しいんだ。
これが、難しいところ、できてないところだけを集中して練習するばかりだと、きっとしんどいだろうなあと思う。

しかし、すでにマスターできているところ、簡単なところは弾いてて楽しい。だから、何度でも弾く気になる。

こういうやり方は無駄な練習方法に見えるが、いや見えるだけでなく、やっぱ無駄だと思うが、一つだけ効能がある。

音がよくなるって事だ。

テクニック、それも基本的なテクニック、つまり音質を磨くこと、身体を整えること、腕とマレットの軌道を調整したり修正したりすることは、とても重要なことだよね。

でも実は、そういう練習は耳と目と全身の感覚を鋭敏にしておかないとできない。
そのためには、簡単な、弾くことになんの困難もないようなごくごく簡単なパッセージを使わないといけないんだ。

ぼくのだらだら練習はそのためにはうってつけだ。
ごくごく簡単なところでも飽きもせず反復練習するもんだから、いやでも耳と目と全身の感覚が働きはじめる。結果として、いい音が出るようになる。というか、別の言い方をするなら、身体の状態、手の状態、マレットの動き、そして出ている音などに対して敏感になることができるわけだ。

よいテクニック、自然な音質を身につけるためには、簡単な音型を使う必要があると思う。
リラックスした状態で、目や耳、身体のセンサーが十分働けるような状態で練習しないといけない。

だから、たとえばマリンバだったら「音階とかアルペジオをゆっくりさらう」なんてことが有益なんだ。
小太鼓だったら、「スティックコントロール」なんかを確実にできる速さでさらうことが有益なんだ。

だらだらと書いてきてけど、ここまでおつきあい下さってありがとう。
でも、けっこう大事なこと書いてるかも・・・・・。

柱|-^)v

God is

グリップ(2)

2007年05月19日 20時58分19秒 | テクニック
グリップ(2)

グリップって、人それぞれでいいと思うんだけど、前回書いたように、絶対に押さえておくべきポイントってのも確かにある。

それはまず、リラックスしていることと、自然であることだ。

ではそれをどう判別したらいいのだろうか?

太鼓を始めたばかりの初心者の場合は別として、もしあなたがすでにある程度の期間練習を積んでいるなら、マメがいつもできていたり、どこかに痛みがあるようなら、不自然な持ち方であり、不必要な力が消費されている可能性が高い。

ぼくはけっこう長時間さらうタイプだけど、もうここ何年、いや、30年くらい手にマメができたことはない。(マリンバの4本バチのためにできた中指外側のマメは別だよ)痛みが出たことはたまにあるが、その時は少し休んで、手の形と動きをチェックして練習を再開したらすぐに痛みは消えた。

理由があって、何年か前連日八時間くらいさらわないといけない時があった。その時はさすがに疲れたが(なんせ若いときとはちがう)、それはなんといっても目と神経の疲れだった。
手、腕、肩あたりは毎日八時間さらい続けても何ら問題は起きなかった。

しかし、何かの理由で少しでも不自然な動き、形になってる時はすぐにどっかが痛んだり、硬直したりする。

身体の痛み、緊張、こりなどは、身体からの警告だ。その警報をきちんと受け取って分析し、修正すべきは修正した方がいい。



もう一つ気をつけることは、
よいグリップの条件は前にも言った自然な音が出せることと、同時に様々な音色を出せる可能性を持っていることだ。

つまり、スティックの自然な動きを妨げないことと、自分の意志をちゃんとスティックに伝えられることだ。

この二つの条件を両立させることは、なかなか難しいんだ。「こちらをたてればあちらがたたず・・・・」ということになりがちだ。

でも、デモだ。絶対に必要な条件なんだ。

こんな事を考えながら、自分のメソードを組み立てていってみよう。
いや、心配することはない。最初から完成しなくてもいいんだ。試行錯誤したらいい。たくさん失敗した方が引き出しは多くなる。人生、寄り道がかえって有益な場合が多いんだ。

なんせ、何でもやってみよう。
ぼくは、自分と違う奏法をしている人を見た時はとりあえずまねしてみるようにしている。ある程度それが身に付く程度にはやってみる。そして自分に合わなければやめるし、もし、その奏法を使うことに抵抗や困難がなければ、自分の引き出しを増やしておくために、ちゃんと保管しておくようにしている。

何でもやってみることだと思う。




グリップ

2007年05月19日 20時58分02秒 | テクニック
グリップ

小太鼓のテクニック、いろいろ考えるべき事がある。
まずは、グリップの話。

以前紹介した教則本、今村征男著、塚田靖増補「打楽器教則本」と「The Ludwig Drum Method」、どちらにもグリップの写真が載っている。

ところが、これが両者えらく違うんだ。
スティックの角度、ホールドする位置など、「どうしてこんなに違うの?」「どっちが正しいの?」といいたくなると思う。

でも、ぼくの答えは「どちらも正しい」だ。

ぼく自身、この両方のグリップを使ってる。曲に応じ、パッセージに応じ、使い分けている。
さらに言えばこの両方を両端としてその間の様々な持ち方を使っている。

自分の基本的な奏法(ここではグリップ)ってのはある程度決めてもいい。いや、決めた方が良いかもしれない。しかし、それに縛られてしまっては音楽するのにちょいと不利だ。自分で自分を縛るのはやめよう!

音楽って、すごく多様な面がある。
つまり、一人でいろんな音が出せないといけない。音色、ニュアンス、音の軽さ、重さ、いろんな可能性があるはずだ。
その可能性を探るにはグリップだって一つのやり方にとどまっているのは考え物だ。

試しに、この二つの教則本にある二つのグリップ、この両方を用いて同じリズムを演奏してみたらいい。

グリップを変えるだけで、出てくる音楽が、音色が全く変わってくると思うんだ。

そのどちらかだけしか用いないで音楽を表現するのは、白黒写真とカラー写真の違いがあるといってもいいだろう。

もちろん、モノクロにも独自の良さはある。しかし、色彩感ではカラーにはかなわない。
音色の可能性をたくさん持っている方が有利に決まってる。

グリップで注意することは、固定化しないことだ。つまり、いつもリラックスした状態でスティックを保持することと、フレキシビリティーを持つことだ。

この点をしっかり押さえとけば、どんな持ち方でもいいと思う。
第一、指の形、手の形、みんな一人一人違うよね。
ぜひいろいろ試しながら、あなた独自のグリップを見つけてほしい。

隣の人とかあなたの先生と違っていても気にすることはない。
人間みんな生まれたときから個性的な存在だ。独自の存在だ。

「ナンバーワンでなくてもオンリーワンになればいい」ってよく言うよね。何年か前にはやった言葉だと思う。

でも、ぼくは思うんだ。人間は最初からオンリーワンだ。
ナンバーワンもナンセンスだけど、オンリーワンも目指す必要はない。君は生まれながらにオンリーワンだ。それゆえ、自動的にナンバーワン決定なんだよ。金メダルおめでとう!

君にあうグリップってのは、君が自分で見つけるんだ。そして、それは一つではない。
なぜなら、「手」ってのはスティックを持つために設計されているのではないからだ。
だからどんなグリップも長所と短所を併せもっている。つまり、個性があるって事だ。
その個性を見極めて、適材適所でうまく使えるようになることだ。


まずは基本を!

2007年05月19日 20時55分38秒 | テクニック
まずは基本を!

2006-02-12 22:12:35

何事も基本が大切だ。
基礎固めがしっかりしていないとそのあとが苦労続きって事になる。
土台を造るのが第一で、土台より大きな家は建てられない。
どんな土台を組むかでどんな家を建てるかがほぼ決まってくる。
基礎練習ほど大切なことはない。

で、どんな基礎練習をするかを書く前に、基本になる音の出し方について、少し。

基本の音というのがあると思う。

音楽をするには多様な音色、ニュアンスが必要だ。曲のはじめから終わりまで同じ音質、同じニュアンスで演奏し続けるとしたら、それはあり得ない話だ。音楽とは変化に富んだもので、マンネリは大敵だ。というより、マンネリは音楽の死だ。

しかし、多彩な音色とニュアンスを駆使しようと思ったら、基本となる音質をまず身につけないといけない。

それはたとえていえば車のニュートラルギアのようなものだ。
車のギアは常にニュートラルから入っていく。
ニュートラルからローギヤに、そしてもう一度ニュートラルに戻ってセカンドに、
もう一度ニュートラルに戻ってサードに、さらにもう一度ニュートラルに戻ってトップにという風に切り替えていく。

「いや、ぼくはニュートラルなんて入れないよ。いつも直接ギヤチェンジするんだ!」って人もいるかも知れないけど、無意識でやってるだけで、ギヤは必ずニュートラルポジションを通過している。

どこにギヤを入れるかにかかわらず、必ずどこにもギヤが入っていないポジションからスタートするわけだ。

太鼓の音も同じだ。どんな音質、ニュアンスを出すにしても、いつでも戻るべき、いや、戻れるべき(というべきか?)基本の音というのがある。いつもそこからスタートするわけだ。

それはどんな音かというと、無色透明な音だ。飲み物にたとえると、おいしいミネラルウォーターのような音だ。一切の調味料もだしも加えられていない水。そんな音だ。

ボールを上から引力だけを利用して床に落としてみよう。
自然に跳ね上がってくる。
その時床はどんな音を出しているだろうか?

次に小さなスーパーボールとかビー玉とかを上から太鼓のヘッドの上に落としてみよう。
引力だけを使う。一切腕力は使わない。

その時どんな音がしているだろうか?どんな風にリバウンドしているだろうか?

この音、この動きが基本の音だ。

スティックのヘッドチップが自然に落下して、自然に跳ね上がる。
この動きとその時に出る音が基本の奏法、基本の音だ。

そこに人間の力は極力加えない。指も手首もひじも肩も、全ての部分がスティックの動きを疎外しないようにリラックスしている必要がある。引力とヘッドの反発力以外は何もスティックのヘッドチップに加えないように気をつける。

まずはこの音、この動きを身につける必要がある。

もちろん、この音だけで曲を演奏することはできない。
しかし、もしニュアンス豊かな演奏をしたいのなら、まずニュートラルポジションを身につけるべきだ。まずは味を付けてない水を手に入れるべきだ。
最初から何らかの味が付いていたりしたら、思い通りの味はつけられない。これは自明のことでしょう?

背骨、肩、首、ひじ、手首、指、全て間接と称するものがある部分がリラックスしている必要がある。
その時の音が基本だ。

そこに何らかの意志が加えられるとき、何らかのニュアンスが、何らかの色が生まれる。

その色を効果的につけるためには・・・・・・・?

まずはリラックスだ。

キーワードは二つ。
リラックスとナチュラルだ。力が抜けていること、自然であることだ。

体も心も自然体で、リラックスしていること、これが大切なことだ。
まずはこれ。そして、究極の目標もここにある。

自然な音、リラックスした音、まず身につけるべき音はこれだ。

さあ、練習だ!