水無月より

つれづれなるままにブログというものを書き綴ってみます。

大地震

2011-03-12 21:51:59 | 日記
 昨日の大地震、私はちょうど自宅にいました。

昼食を終えて、くつろいで、台所で夕食の下準備をしていました。

2時46分ごろ、急に揺れ始めました。

ただごとではありません。

3分ほどの揺れでしたが、とても長い時間でした。

恐怖でどうすべきか判断ができません。電気も切れました。

近くにいた猫をかかえてテーブルの下に入りました。

隣の部屋には、高校入試の採点のため学校が休みだった長男がいました。

声をかけながら、とにかくおさまるのを待つしかありませんでした。

このまま死んじゃうのかなという思いもよぎりました。

一旦おさまったものの、また余震が続きます。恐怖でした。

やがて、ダンナが仕事先から戻ってきました。

中学生の娘たちはちょうど、卒業式の練習で全員体育館にいたそうです。

恐怖で泣き出す子もいたそうですが、全員が体育館にいたというのはラッキーでした。

それぞれ教室にいたなら、人数確認だけでも大変だったと思います。

12日普通登校ということで、帰されてきました。


 電気は止まっていたものの、ガスと水道は大丈夫でした。

ダンナが明るいうちに、物置から反射式の石油ストーブを出してきました。

ラジオに、家にあるだけの懐中電灯を準備しました。

ただ、困ったことに単1・単2の電池がなく、なんとかかき集めました。

オール電化だったらトイレも流れず、石油ストーブも使えず大変だったと思います。

ボロ家だったので、こんな時は助かりました。

スーパーはレジが動かないため、早々に店を閉めたそうです。

コンビニは稼働していたようですが、めぼしいものはすぐ売り切れのようでした。

我が家では、幸いにも前日にガソリンを給油していたし、灯油も確保していました。

カップ麺もセールだったので箱で買っていました。蓄えは十分かも…。

その日の夜は、ろうそくのあかりで、カップ麺を食べました。

トイレなどに移動するときは懐中電灯を使います。

停電であたりは真っ暗です。末っ子が星がきれいだと外へ出て行きました。

私もつられて外へ出てみましたが、悲しいほどきれいな星空でした。



 今朝も電気は回復しませんでした。昨日夕飯のためにといで準備していた米を

圧力鍋に移して、ご飯をたきました。

レトルトのカレーを温めて朝食にしました。

学校へ電話をして、登校するのかどうかを確認しました。我が家は光電話なので電話も不通でした。

ただ、私専用の固定電話機があったため、今回はこれが活躍しました。

携帯もなかなかつながりにくくなっていたからです。

携帯も電池切れでしたが、車から充電しました。

学校はすでに電気も回復していたそうです。午前中で帰すので、お弁当はいらないとのことでした。

ダンナが途中まで娘たちを車で送っていきました。

コンビニ、スーパー、ガソリンスタンドは、今日人の列でした。

人数制限をして店舗に入れていたり、店頭販売をしていたり、徐々に電気も通っているようでした。

パンやおにぎり、カップ麺、すぐに食べられるものが売れていったそうです。

近くのガソリンスタンドは、早々に全部売り切り、店を終了していました。

暗くなって、またろうそくで過ごすのかとあきらめていたとき、

急に電気が回復しました。午後6時を少しまわっていました。

冷蔵庫の中身が心配だったのですが、大丈夫のようでした。

金魚もポンプが止まって、ぱくぱくしていたのですが、

なんとか間に合いました、生きています。

電気がつくととても明るくて、ホッとしました。電気の有難味をすごく感じました。

停電の間、情報はラジオのみでしたが、TVをつけてその映像を見るにつけ、絶句でした。

耳で聞くのと、目で見るのでは衝撃の度合いが違います。

悪夢を見ているようです…でもこれが現実、

まだまだ余震が続きます。辛いですが、みなさん、がんばりましょう。

















コメント
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