藪医雑感

つれづれなるままに

謝罪の時効

2008-02-28 | 雑感

 1月15日 福田総理が C型肝炎患者さんに 謝罪していました。
 患者さんにとって、肝炎のインターフェロン療法は、かなりの高額医療になるので、
 今回の救済法案は経済的には朗報と思います。

 とりあえず 1989年 に C型肝炎ウイルス発見 と 設定すると?
 批判を覚悟で 意見・異見を申し上げたい。

 患者さんたちがフィブリノゲンを投与された頃
 福田総理はなにをしていたのでしょうか?

 議員に当選していたのか? まだ サラリーマンしていたのか?
 Wikipedia は こういうとき 意外と有効!

 ちなみに 1989年の内閣総理大臣は なんと3人もいる
 消費税導入で退陣された 竹下 登 氏
 宇野宗佑氏が2ヶ月 
 その後 海部俊樹氏 が 1991年10月まで
 今の 福田さんは 1990年総選挙で初当選
 それまでは 親爺さん(前の福田総理)のお手伝い??

 舛添さん(厚生労働大臣)は1989年6月に東京大学退職
 東京大学在職時は フランス政治・外交が専門だったはず。

 私は なんども 書きましたが 
 歴史観も哲学もまったく持ち合わせない凡人です。
 が、 人は いつまで謝罪すればよいのでしょうか。
 先の第二次世界大戦での日本の戦争行為。戦争終わって50年以上 
 中国や東南アジアへの侵攻に対する日本の謝罪は今も続いています。
 日露戦争はロシアとの戦争、
 日清戦争は中国(当時は清国)との戦争
 勝ったから日本には非はないのか?

 時代劇では大岡越前守の喧嘩両成敗がとっても有名なんですが、、、

 そうすると
 豊臣秀吉の朝鮮出兵 や 
 元寇や 
 もっと昔の白村江の戦いまで出てきます。
 白村江の戦いは 663年です。子供の歴史の教科書に載ってました。
 キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は2000年くらいもめているんですよね?

 2-2
 さらに 批判を覚悟で もう一つ
 ライシャワー氏 という 外交官がいました
 Edwin O. Reischauer、1910.10.15. - 1990.9.1.
 駐日大使(1961-1966)を務めた方ですが元々は東洋史の研究者です

 かつて 在日米軍の核持ち込みで 発言され 物議をかもしましたが、
 ここでは 核じゃなくて 輸血のことです。
 ライシャワー氏は
 1964年 米大使館前で統合失調症患者に太腿を刺され負傷。
 私の記憶が不確かですが、確か東大病院で手術を受け
 その時の輸血により血清肝炎(当時の呼び名です)を患っています。
 後にB型肝炎と判明。
 なぜ 後になのか、、、、
 B型肝炎のウイルスの発見は 諸説ありましょうが、1976年としましょう。
 この年のノ-ベル医学賞が Dr.Blumberg B.S. オーストラリア抗原の発見です。
 このオーストラリア抗原が後のB型肝炎抗原です。

 ライシャワー氏は 輸血を受けたときに
 「これで私の体の中に日本人の血が流れることになりました」
 と発言し多くの日本人から賞賛を浴びたが、
 その後 肝炎に罹った際に どのような思いをもったでしょうか、、、
 日本に 謝罪をしてほしいと思ったのでしょうか?

 1966年 大使を退任。
 1975年 脳卒中で倒れる。
 1980年 ハーバード大学を定年退職。
 1983年 来日中、3度目の脳出血で倒れる。
 1990年 持病となった肝炎で逝去。79歳。
 遺灰は、遺言により太平洋に撒かれたそうです。