水割り3杯の雑談

毎日、夕方6時を過ぎる頃、台所のテーブルで書いていたエッセイをブログに。足元にはエサをねだる愛猫が。私は68歳。

2008-06-28 23:12:14 | Weblog
平成3年に「宅建」の受験勉強をしていた或る日、ふと思いついて、娘に問題集を音読してもらった。文字で読むのと耳で聴くのとの比較の興味もあった。結果だけいうと、これが当たった。目を閉じて娘の読むのを聴くと、1肢1肢(宅建は全50問で、1問は4肢1択)が「ははぁ、これはヒッカケだな」「故意に表現を難しくしているな」というように明確に区別できるのである。そのとき和つぃは(大袈裟に言えば)、「これで壁が取れた!」と思った。   「子供用の自転車に乗って、ニッコリと笑っている私」の写真が残っている。小学校1年のときだ。それまで後部を支えていてくれた8歳上の叔母が、その日、黙って手を放し、それに気づかぬ私が見事に一人で乗れたのだ。叔母が喜んで、カメラの巧い叔父を呼びに行き、そのニッコリ写真を撮ったわけだ。  中学2年の孫娘が4月から受験塾に通い出した。「塾に通わなければ志望校には合格出来ない」という風潮を当然だと思っている。受験塾は営利企業であり、そのためには優秀な講師を集める(資本投下)という理屈だけでも、結果は見えている。そして孫娘は、今月の(学校の)テストで、今までよりはるかに高い点を取って喜んでいる。これまた眼前の壁が取れたのだ。  人生、ある日、あるとき、目の前の壁が取れることがある。別の言い方をすれば、視界が広がるということだ。そういう場面に、生涯に何度会えるだろうか。