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ディランの「風に吹かれて」について。

2019年08月16日 | ボブ・ディラン

何気なくボブディランに関するサイトをサーフィンしてたら、

「風が吹かれて」についての質問にボブディランが答えている文章に目が留まった。

 

「風に吹かれて」は人権、戦争、自由、平和について歌った歌。

それらについての様々な問題が解決するまでどれだけかかるんだろう?と幾度も問いかけ

「その答えは風に吹かれてしまった」というさびで締めくくるというもの。

 

記者から「答えが風に吹かれたというのはどういう意味なのか?」「ハッキリと言わないのはわからないということ?」

というような質問され、

それにボブディランはこう答えている。

 

「この歌についてあまり言えることはない。
『その答え』は本、TV,映画を見てもわからない。みんな『ここに答えがある』というけど、ハッキリ言って俺は信用してない。
例えるなら『答え』は紙切れのように風に舞い上がってしまってるんだ。
でも、もしもその紙切れが地上に降りてきても誰も気にも留めようとはしないだろうね。
世の中で一番悪い奴っていうのは、
間違っているとわかっていながらそこから目を背ける奴なんだ。
俺はまだ21歳だけど、世の中はそんな奴らだらけなんだよ。」

 

そうだったのか!

とボクは目からうろこが落ちた。

ボク自身、これまでこの歌は、

こうしろと言わずに、聴いた人に考えさせる詩で良いよね~なんて思ってて、

その裏で「ハッキリ言わないのもずるいよな~」とも思ってたのも事実なんだよね。

 

でも、そうじゃなかったんだよ。

ディランはハッキリ言ってるんだ。

「問題を見てみぬふりする人間たちには決して解決なんてできやしない」ってね。

実は、みんな「解決方法」はわかってるという事。

でもそれを知らないふりして実行しようとしないんだと怒りに満ち溢れた歌だったんだね。

てっきり、「答えがわからなくて嘆いてる歌」なのかと思ってたけどそうじゃなかったんだ。

あえて「無かったこと」にされてる現状に対しての「怒りの歌」だったということなんだよね。

だから、「風に吹かれてしまってる」というのは嫌味だったんだな~ということ。

 

 

それを踏まえて、

訳詞して歌ってる人たちの歌を動画で見たんだけど、

そういう意味合いで歌ってる人は一人もいないし、

途中途中も意訳が多くて直訳に近い訳詞がない。

歌えることが前提だから仕方がない面もあるんだけど、

これじゃあ、納得できないので自分で訳詞して歌っていくことにした。

歌前提じゃない訳詞もあるんだけど、

やっぱり上記にあるような「嫌味的」な訳詞じゃなく、

「わからない」と受け止めたあきらめの境地のような訳詞ばかり。

ボクの訳詞も「歌える前提」だから多少の意訳はあるけど、

それでも意味合いをガラッと変えたりはしてない。

でもサビの部分はやっぱり難しいね。

なかなか嫌味な感じが出ない。

まあ、米国の記者も「答えはわからないの?」なんていう質問してるくらいだから

嫌味な雰囲気は出てないのかもしれないね。

 

*  *  *

風に吹かれて
(訳詞fu-taro)

どれだけの道を歩いたら ヒトは人になれるの?
どれだけの海を越えれば 白いハトは眠りにつけるの?
人はどれだけミサイルを撃ち込めば 禁止にしようと思うの?

   その答えは、風に吹かれ
   風に吹かれて 消えた

どれだけの年月があれば 山が平らになるの?
どれだけの年月が経てば 人が自由になれるの?
人はどれだけ見てみぬふりをして 顔を背け続けられるの?

   その答えは、風に吹かれ
   風に吹かれて 消えた

人はどれだけ空を仰ぎ見れば 青い空が見られるの?
人にどれだけ耳があれば 他人の泣き声に気づくの?
さらにどれだけの命があればいいの? こんなにも多くの犠牲の上に

   その答えは、風に吹かれ
   風に吹かれて 消えた

*  *  *

 


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