当歳たち(3)

2018-05-16 18:19:40 | 日記
     JBBAのマクフィの2017年の種付け数は142頭。そのうち4頭がうちの繁殖。
     サンデー系の繁殖でどんな子が出るか注目をされている。
    
     繁殖馬の実績や血統は社台、ノーザンには敵うわけはないが、セントフロンティア以外は
     みなサンデー系である。
         
                      ・ マクフィ * フェリーチェレガロ H30.4.13 生 牝
     

                      ・ マクフィ * セントフロンティア H30.3.18 生 雄
     

                      ・ マクフィ * ヒーラ H30.5.11 生 牝
     

     マクフィ、クリエイターⅡ、ドレフォン、モンテロッソ、ザファクターなど輸入新種牡馬も続々
     ジャスタウェイ、モーリス、エピファネイア、ドゥラリュールなどの国内産も含め
     どの子たちが活躍するのか興味は尽きない。
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当歳たち(2)

2018-05-13 16:18:35 | 日記
        さて、浦河を後にして静内付近の某牧場の当歳達を見せていただいて、門別白井牧場へ
        
        まず、サラトガが1月20日に早々と生んだハーツクライの女の子。
        さすがに1月生まれは大きい。もしかしたら、芦毛になるのか。
        サラトガスピリット以後の兄弟たちは気性の問題がほとんどで、思ったほど結果が
        出せないでいる。サラトガは1歳の時、移動先の馬運車から1時間も出てこなかった。牧場では
        柵にぶつかって大きな怪我をしたほどみんなが手を焼いた馬。
        その子にステイゴールドやオルフェーヴルがお父さんだとやはり益々手を焼く子になったのか。

        しかし、佐賀のスイングゴールド(ステイゴールド)もやっと身が入ってきて、ジョッキーの指示にも
        従うようになってきたし、フットステップ(ヴィクトワールピサ)もムラなところはあるが、勝つ時は
        強い勝ち方をしてくれる。頭も低くなってきた。
        オーラフォ(オルフェーヴル)も足元の不安も徐々に解消してきてこれからどんな競馬をするかまだ見限れない。

        今年はサラトガが生んだ初めての女の子。無事でいてくれればオギアルバンシア、スイングバイ、
        サラトガの後継となれる。また血を繋いでいける。

                     ハーツクライ*サラトガ(クロフネ) H30.1.20生 牝
        

                
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当歳たち(1)

2018-05-13 13:41:48 | 日記
          5月の連休の馬産地は雨が降ったりやんだりのさむ~い日(10℃前後)だった。
          桜は7分咲き。静内の二十間道路は雨にもかかわらず沢山の車が行き来していた。

          そんな中我が繁殖馬を中心に生まれた当歳を見て回った。
          我が家の繁殖馬は5頭。今年は4頭の父がなんとマクフィということになったが
          みな無事に出産を終え、子供も無事でほっとしている。

                   ・ マクフィ*スイングサンデー(スペシャルウィーク) H30.4.14生 雄
       
          浦河の牧場主さんが牧場をやめるそうで、早々にこの親子を移動しなくてはいけなくなった。
          スイングサンデーの次の種付け馬をダーレ・ジャパンのディスクリートキャットを予定しているが、
          種付けまでは請け負いますと言って下さった。
          スイングサンデーは残念ながら現役時の実績に欠けているので、これを機に繁殖をやめる選択肢も
          周りから促されたが、継続する決心をした。
          
          スイングサンデーに大きな夢を託すから悩む事になるのであって、自分の好きな種牡馬を付けて、JRAででも
          地方ででも楽しんで走らせれば、馬主もこの子達も幸せではないか。そしてもしどこの競馬場でも大活躍
          してくれたらこんな幸せはない。第一あのスイングバイの子である。それに肌がスペシャルウィークの母親も
          少ないらしいし、これは個人の見解だがスペシャルウィーク肌の子はみんな綺麗な形をしてる印象がある。
          したがって、12歳のスイングサンデーにはもう少し頑張ってもらうことにした。

          
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スイングバイ(2)

2018-05-07 18:27:32 | 日記
                       スイングバイ 1996年生 牝 荻伏牧場生産
                   父:ミルジョージ  母:オギアルバンシア(母父:コリムスキー)

   ・デビュー        1999年7月24日 荒尾 工藤厩舎 3着  荒尾:9戦7勝3着2回
   ・荒尾競馬から大井へ 2000年3月 3日 大井 赤間厩舎     大井、船橋、川崎:13戦7勝 トゥインクルレディ賞、ファーストレディ賞

中央入厩へ向け調教が進んでいた中、調教出来ない事態に。歩様が悪く回ることも出来ない。原因は骨が弱かったのか、トモをどこかで捻ったのかよくわからなかった。
中央をあきらめ、熊本荒尾の工藤調教師にお願いして近くの牧場で療養の日々となる。
良化を待つこと1年半。1999年7月24日4歳の夏(当時は数えで馬の年齢を表していた)待望の荒尾競馬デビューとなる。それでもパドックで見るとみすぼらしい姿だった。

荒尾で9戦7勝の成績を収め、当時は勝ち鞍数で行けた南関東 大井競馬へ行くこととなる。
調教師さんは赤間調教師にお願いした。赤間先生は競走馬を諦めようと思うほどゲート入りの悪いオリオンザサンクスという馬を色々な工夫で一流馬に育てたという噂を
聞いていたので、お願いすることにした。

大井ではいよいよ本格化し、トゥインクルレディ賞は9馬身の圧勝、ファーストレディ賞とともに二つの重賞をプレゼントしてくれた。

浦河の牧場へ移ってからは毎年数回会えるのが本当に楽しみだった。半面、毎年年を取っていくスイングバイを見るのは悲しい思いもしていた。仕方ないことだが・・・

スイングバイは19歳の時クロフネの子を不受胎したのを最後に繁殖をやめる事にした。牧場主が継続して繁殖したいと言われるので、譲渡した。
しかし、3年連続で不受胎、流産となっている。

牧場主さんもすごく良い方で、お付き合いも長いので、閉鎖されてお付き合いがなくなるのは本当に残念で悲しい事だが、仕方がないことと納得するしかない。

面倒を引き受けてくださったTKファームさんに優しくしていただいて、寿命を全うしてもらうのを祈るばかりだ。

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スイングバイ(1)

2018-05-06 12:49:21 | 日記
                   スイングバイ 1996年生 牝 荻伏牧場生産
               父:ミルジョージ  母:オギアルバンシア(母父:コリムスキー)

   ・デビュー        1999年7月24日 荒尾 工藤厩舎 3着  荒尾:9戦7勝3着2回
   ・荒尾競馬から大井へ 2000年3月 3日 大井 赤間厩舎     大井、船橋、川崎:13戦7勝 トゥインクルレディ賞、ファーストレディ賞

私も馬好きの方々の多分に漏れず、クラブ馬主を渡り歩いた口。当時荻伏レーシングクラブがあって、そこでオギアルバンシアの一口馬主になった。
当時のクラブの活躍は古くは優駿ホースクラブの「シカゴ」「ダコタ」が走ったくらいで、クラブの馬はほとんどが未勝利か1勝クラス。
それでもクラブは潤った。募集価格が高めに設定されており、満口になればそれでクラブは黒字だった。つまり馬は走っても走らなくても黒字だった。
私のクラブの馬も良くて2勝止まり。一口だからと油断していると、多数のクラブの馬を買ってしまうこととなり、気が付けば10頭以上の一口馬主という
事態はざらだった。
                 そんな中で唯一オープンまで出世してくれたのがオギアルバンシアだった。
             
                                     オギアルバンシア
1996年、名門荻伏牧場が閉鎖の事態となる。このため牧場にいた馬達は移転か売却ということになった。たまたま知り合いのエージェントが荻伏牧場に
買う馬はいないか見に行くという事を知って彼に声をかけた。「オギアルバンシアが生んだ子がいたら見てきて欲しい」
すると、電話があり、ミルジョージの牝がいると言う。特別な欠点がなければ売買の交渉をしてくれと頼んだ。
買ってお金を払ったはいいが、荻伏牧場の仲介者の問題もあり血統書がなかなか手元に来ず、本当に心配した。この時、お金は血統書と引き換えなど
慎重にしないと大変なことになると学んだ。当時はそういう詐欺が横行していた。血統書がないと所有者でもなければ競馬も出来ない。
やっと血統書が手に入り、やっと自分の馬となったこの子に「スイングバイ」と名付けた。スイングバイとは天体の運動と重力を利用して宇宙機の
運動スピードを上げる技術のこと。つまり、ゴールを前にしてさらに加速してくれという願いを込めた。
我ながら今も誇らしい名前と自負している。
             
                                   スイングバイ 1997.10
やっと血統書が届き、さあ中央競馬へ向けてと育成が始まった。しかし、競走馬デビューの年齢が近づき調教が強めになるにつれ馬が壊れていくこととなっていく。
             
                                    スイングバイ 1998.7

                                       つづく



   
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