この映画・本、よかったす-旅行記も!

最近上映されて良かった映画、以前見て心に残った映画、感銘をうけた本の自分流感想を。たまには旅行・山行記や愚痴も。

2012年9月23日・北ア穂高連峰山行(2)

2012-10-12 23:44:20 | 山・旅行


  【2012年9月23日(日)】  山行第2日目



                    
                          【 赤線:予定のルート、青線:実際のルート 】
                       5:00起床-5:50『徳沢園』出発-6:05『新村橋』 -7:30『中畠新道』との分岐点-
                        9:30パノラマコース慶応尾根のコル-11:00屏風のコル-12:30『涸沢ヒュッテ』着-14:00『涸沢小屋』着



 今日予定しているコースは、『新村橋』を渡ってから奥又白の沢を上がり、『パノラマコース』の分岐から『松高ルンゼ』の脇に付けられた『中畠新道』を登り、『奥又の池』に立ち寄り、そこから前穂北尾根の『5・6のコル』を越えて『涸沢』入りをめざすが、この道は過去2回経験している。

     ○     ○    ○

 1回目は1989年の8月に単独行で、新村橋から『奥又の池』・『5・6のコル』経由で涸沢に入り、翌日は『北穂南陵』を上がり『北穂』を回り『穂高山荘』まで行き、次の日『吊り尾根』、『重太郎新道』経由で上高地に下っている。
 この時、『5・6のコル』を下る際、上部の雪渓で足を滑らせ尻もちをついた姿勢で雪の斜面を500mほど滑落してしまった。30分以上かかる行程を2~3分で滑り落ちたのだから生きた心地はしなかったが、緩斜面になったところで運良く止まり、幸い軽い怪我ですんだ。しかし半日ほど、両腕の下半分と手のひらがぱんぱんに腫れていた。


                            


 2回目は、『涸沢燃ゆ』の報道と、『翌日快晴』の天気予報に心を躍らせ、2002年10月11日の夜、「行ってくる!行かせて。」の言葉を残し、思い立ったように深夜、車を走らせた。
 12日の早朝、平湯に着いてから車を置き、上高地に入り、11時に『明神』、12時に『徳沢』、昼の13時すぎに『パノラマコース』から、日の暮れかかった『最低のコル』を通過し、17時すぎにどうにか『涸沢小屋』に到着した。超満員の小屋では、階段の踊り場が寝場所で、寝た感じがしなかった。居場所がなく4時には起こされたが、光り輝く朝日と、涸沢の紅葉は充分その苦労に見合うものだった。その帰り道に、同じ『パノラマコース」を戻るのも、『本谷橋』経由で一般ルートを帰るのも面白くないと思い、朝6時に小屋を出発し『5・6のコル』を越えて行くことにした。新雪がうっすら積もったコルから『5峰』の頂上にまで寄り道をする。コルからは『奥又の池』が見え、1回目の時よりルートもわかりやすく、迷うことなく2時間ほどで『池』に着き、そこで1時間ほど潰した後、午後1時には出発し、夕方5時過ぎには『上高地バスターミナル』につき、後は平湯に戻って、その日の内に
自宅に着けるものと思っていた。ところが、『バスターミナル』に着く手前から長蛇の列。《この人波は何だろう》と思っていたら、あまりの多くの人出にバスが捌ききれないのだ。列はさっぱり前に進まず、立ったまま待つこと5時間半、深夜10時半すぎにようやく平湯行きのバスに乗れた。家に帰り着いたのは、14日明け方の4時過ぎだった。2時間ほど仮眠した後、14日の勤務はいつも通り、朝8時すぎに出勤したのを覚えている。『涸沢』の紅葉は実に美しいが、10月の連休のこの時期に行くのは、今後絶対避けようと固く思った。

     2002年秋涸沢の紅葉



     ○     ○    ○

 『新村橋』からと、『涸沢』側からとそれぞれ1回づつ、2回経験しているからルートに心配はないと思っていた。しかし、問題は体力である。
 当初は、『上高地』に入ったその日の内に『涸沢』まで行くつもりだった。そのためには『上高地』に6時頃まで入っておく必要がある。平湯からのシャトルバスの時間を調べたら、それは可能だった。しかしそのためには、夜通し仮眠なしで運転しなければならない。夜行バスはもう席がなく、予約できない。仮に6時に『上高地』に入ったとしても、その日の内に『5・6のコル』を越えられるか。やっぱり、無理だ。
 で、『徳沢園』で1泊することにしたのだ。


 明けて23日の朝、天気は雨である。予報では「朝のうちは雨模様だが午後からは上がるかもしれない」みたいなことを言っている。
 前日、朝食は7時からと聴いていたので、弁当を頼んでおいた。部屋は《山小屋風》でも、やっぱり《麓の旅館》である。早立ちには対応していない。
 カッパを着込んで、6時前、雨の中『氷壁の宿・徳沢園』を出発する。



                  


 橋を渡り、右にしばらく進むと、白い大きな石がごろごろ転がっている『奥又沢』にでる。かつては、その沢を巨岩伝いに登っていったことがあったが、手前の沢沿いの右岸に登山路が付けられている。
 雨の中の単調な登り。景色もなにもないからカメラを出すこともなくビデオを回すこともなく、ただ足を進める。


 沢沿いの道を1時間半ほど進むと『パノラマコース』と『中畠新道』の分岐点に着いた。新村橋を渡るとき、「もし雨が上がっていたら、奥又の池に行くのだが」という一縷の望みを持って、ここまで上がってきたが、期待は破られた。

 正面の『松高ルンゼ』をじっと見上げるが、雨ではしかたない。『奥又の池』から『5・6のコル』越えの第一の目標は、あっさり実現不能となってしまった。


   


 『カラサワ→』こちらの道しるべが雨の中、無情に見える。


                                 


 気を取り直して『パノラマコース』にルートを取り進む。雨は相変わらず相当降っている。『慶応尾根』右手に見ての登りがつづく。


     


 9時30分に、『慶応尾根』のコルにつき、小休止する。朝食を抜き出歩き続けてきたので腹が減ってきた。雨で座る場所もないので、立ったままの朝食の弁当を食べる。おにぎりかと思っていたら、おこわで炊いたしゃれた弁当だった。コンニャクゼリーやらソーセージ、お茶までついている。ホッとする。

                                             
                                                   【『屏風のコル』への最後の急登を行くYさん 】


 ここからはもう『北尾根』の下半分が見渡せるはずだが、ガスがかかって上方は見えない。足も大分疲れてきた。靴の中は雨でぐしょぐしょだ。
 最後の急登を登り切って、ようやく11時に『屏風のコル』に着く。後は『涸沢ヒュッテ』まで下るだけだと思うと、安心する。






 天気が良かったら、ここから『屏風の耳』やら『屏風の頭』に行き、『涸沢カール』とそれを取り巻く穂高の峰々を眺めることができるのだが、それもかなわない。
 『最低のコル』から先は、7月や8月の早い時期だと途中、何カ所か雪渓を渡らなければならない。幅は狭いのだが急なガレ場なので滑ったら滑落して大けが間違いない。(7月中は《通行不可》になっているはず。)

 晴れなら『槍ヶ岳』も見える場所に来たが、やはり何も見えない。遠くにようやく『涸沢ヒュッテ』が見えてきた。





 やっと着いた。足下はもうふらふらで踏ん張りがきかない。
 ヒュッテへの最後の石段を登り12時30分に『涸沢ヒュッテ』に着く。屋外の売店の前のテーブルに着く。風が強く、寒い。とてもビールを飲む気になどなれない。コンロを出し、カップ麺を食べる。それでも動かないと寒い。
 宿泊はあまり泊まったことがない『涸沢小屋』に決めておいたから、そちらに向かう。


                                   


 以前、紅葉時期に来たときと違って、小屋は空いていた。


 ベランダに出て周囲を見渡す。雨はほとんど上がったが涸沢カール上部は雲の中で、前穂の秀麗な姿も見ることができない。どうか明日は晴れて欲しい。

                                        
                                                   【つづく】


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      2012年9月23日・北ア穂高連峰山行(2)
      



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