【 第2部で、寄せられた質問に回答する前川喜平さんと司会者 】
【 2017年12月13日講演 - 14日、記 】
前川さんが登壇することになれば当然、『モリカケ問題』が話題の中心になると思いきや、タイトルが今回の講演と同じ『これからの日本、これからの教育』という本ー自身と文科省の先輩であるという寺脇さんとの共著-の出版のいきさつの話から始まる。
こと文科省に限定するなら適当なのだけれど、今回のタイトルは大きすぎて自信がないと前置きした上で最近の情勢を振り返る。
今年は憲法の問題が大きく押し出された年で、重大な日本の岐路煮立っているという認識のもと、憲法とセットで戦後日本を支えてきた「教育基本法」が改正(改悪)されたことに言及する。特に平和日本を掲げる憲法の密接にかかわる「前文」が全面的に書き換えら事に心を痛める。その改正で、特に『教育』に『政治』が介入してくる教育行政の問題の狭間で悩み苦労をしてきたという。「南京事件はなかったことにする」とか、自己の信念に反する国会答弁を大臣から指示されるとか。
「教育基本法の改正」は「憲法改正」の前段階と位置づけて、振り返れば第一次安倍内閣での「教育基本法の改正」行われ、第二次安倍内閣で「道徳の強加化」が行われたことを問題視する。「戦前回帰」の方向か
今の内閣の方向性を指示しているのは10代、20代の若い層の人が多いことを危惧しているという。街を歩いていても、「60台のおばちゃんから握手を求められても20台の男性から声をかけられることもない」と冗談を言いながら今の若者のを巡る状況を憂う。
別の場面で、ネトウヨ(ネット右翼)を自称する高校生には「自分を枠にあてはめ決めつけることは無い。自分は自分である。自分の頭で考えたらいい」と、雨宮処凛や渡辺恒夫の《右から左、左から右へ》の例も引き合いに出しユーモアたっぷりに諭したことを紹介する。
『「国を愛する心」「日本人は血で繫がった共同体」「単一民族国家」という考え方に固執するのは今のアメリカのように行き詰まる。「純血日本人」などと言うのはあり得ない。桓武天皇も百済人とのハーフであったと言うことを天皇自身も述べている。』等の言葉に続き、
『多民族・多人種が共生する国家」にしたいと自分は考えるが、現政府は差別を助長する傾向がある。最たるものは、朝鮮人学校への差別です。高校までの教育の無償化は全ての人が対象で、当然朝鮮学校の生徒も含まれるはずだ。』
『下級審の裁判官も忖度しているのではないか。引用記事がすべて「産経新聞」というのはどういうことか。「あれは新聞ではないと思っている」』等々。
さらに『《純血日本人》の道だけを追求していくと将来的に日本は消滅してしまう。移民を積極的に受け入れないとやっていけない。そうしたことに陰ながら貢献してきたのが朝鮮学校もそうだが夜間中学がある。』と続く。
「夜間中学」の役割は2つあるという。1つ目として当初、経済的な理由、家庭的な理由で昼間の学校に通えない子のためにあったがS30年代に少なくなった。次に、「若い時に学校に行けなくなった大人のため。これも昭和60年代には減少傾向となり、夜間中学の廃止勧告が出る。それに抗して存続の運動を始めた高野雅夫の話に及ぶ。高野雅夫さんの努力で大阪をはじめ東京にも新たに夜間中学が作られるようになった、ということだ。
『夜間中学生ー高野雅夫』のインタビュー記事
夜間中学を新たに希望する人々の中でひときは「オモニ」が多かった。
(その様子を典型的に描いたものに山田洋次の映画『学校』がある。)
【 「夜間中学」を描いた映画「学校」のシーン 】
最近の夜間中学は、「ニューカマー」(新たに日本に移ってきた外国人)が多くなっているという。ベトナム、ネパールからが特に多いという。日本政府は「移民受入政策」は採っていないというが、実際はどんどん入ってきている。そして定着し日本で生活しているという現状がある。これをどう受け止めるか、一緒にこれからの日本をつくっていく同胞として、どう教育していくかという課題がある。
「夜間中学」にはもう一つ大きな課題があるという。不登校の問題だ。全く中学で勉強していない人にも「卒業証書」を交付したが、それについてはマイナス面もあった。中学を《卒業した》のだから「夜間中学」で学びたいと言ってもそれを理由に拒否されることだった。
不登校=年間30日以上登校しないことー全国に4万人。それに対し「無登校」=年間10日未満歯科学校に行っていない状態-不登校の約1割。
(この話にも、関連した興味深く考えさせられる映画がある。「男はつらいよ」シリーズの第26作の「寅次郎・かもめ歌」の最後の方で、寅が《心を改めー俺もやっぱり勉強しなければ》と意を決して定時制高校に願書を出すが、「中学中退」で卒業していない寅には高校の入学資格がないと、無情にも門前払いされてしまうシーンがある。世の中うまくいかものである・・・)
フリースクールの話に展開する。
外国語は英語に限らないということの続きで、スペイン語は多くの人がしゃべっている。「チェ・ゲバラ」もその一人だという所から「ゲバラ」に話が飛び出しそうになったのを、かろうじて抑えたり、安保法案』採決の夜、「国会前に行って「シールズ」と共に声を高々にあげたという話も飛び出し、それに関連して国家公務員には過度に基本的人権を制限されている人達という話も出る。
15分の休憩をはさんで質疑応答の時間があった。沢山の質問が寄せられて全部には回答できなかったようだが、2つの興味ある質問があった。
最初にも触れたように、会場にも若者の姿が多くなく、実際今の政権を支えているのは若者が多いという話で、その問題点は何なのか、どいう克服すればいいのかー教育の課題はあるのかという質問内容だ。
難しい問題である。前川さんは、今の教育行政に問題ありと断言する。
もうひとつは、来春選挙を控えている京都府知事選に関して。知事候補として「立候補してくれる気持ちはないか」というズバリとした質問であった。参加者の顔ぶれを見るなら、「蜷川知事よ!もう一度」という希望があったのかもしれない。当然そこの参加者の誰もが「それにふさわしい人物」と思えるから、一瞬期待をしたが、「それは絶対ありません」、その一言で終わってしまって。惜しい気もしたが、京都の状況を考えるとそれもそうだと思う。
2時間の講演があっという間に過ぎてしまった。発言を要約して羅列すると、堅苦しい内容に思えるが、途中歌も出たり、裏話も出たり、聴衆の《傾向》を読み取った展開をしたと思えば、それに喝さいする声援を「拍手しないでください!」と抑えに回る役回りに出たりと、ユーモアと気配り満点の人だった。
冒頭に、今回の主催者が言っていたように《官僚》という今まで持っていたイメージを根本的に見直さないといけないような衝撃的で感動的な講演会だった。
NHKも籾井会長の顔だけが映り、協会全体を《悪者》にするのでなく、背後には「地道にいい番組をつくろうと努力している人も沢山いるのだ」と思うと同時に、「官僚主導が悪い」とか、《集団を十羽ひとからげにレッテルを張る》のでなく、《個々のケースを自分の頭で考え、個別に判断する》大切さを学ばせてもらった時間でもあった。
次の世代を育てる教師は文部科学の言いなりになってはいけません!
【今回の講演会に参加できず、前川さんの話を是非聴いてみたいと思う方へ】
・以下のホームページで「今回の講演」のネット配信があるそうです。
『IWJ』(Independent Web Jounal) HPアドレス http://iwj.co.jp
・また、京都南部近郊に住んでいる方は、以下のチラシの内容で「講演会」が開催されます。
【 前川喜平さん(前文部科学事務次官)の講演『これからの日本、これからの教育』を聴きに行く(その1)】-へ戻る
【 2017年12月13日講演 - 14日、記 】
前川さんが登壇することになれば当然、『モリカケ問題』が話題の中心になると思いきや、タイトルが今回の講演と同じ『これからの日本、これからの教育』という本ー自身と文科省の先輩であるという寺脇さんとの共著-の出版のいきさつの話から始まる。
こと文科省に限定するなら適当なのだけれど、今回のタイトルは大きすぎて自信がないと前置きした上で最近の情勢を振り返る。
今年は憲法の問題が大きく押し出された年で、重大な日本の岐路煮立っているという認識のもと、憲法とセットで戦後日本を支えてきた「教育基本法」が改正(改悪)されたことに言及する。特に平和日本を掲げる憲法の密接にかかわる「前文」が全面的に書き換えら事に心を痛める。その改正で、特に『教育』に『政治』が介入してくる教育行政の問題の狭間で悩み苦労をしてきたという。「南京事件はなかったことにする」とか、自己の信念に反する国会答弁を大臣から指示されるとか。
「教育基本法の改正」は「憲法改正」の前段階と位置づけて、振り返れば第一次安倍内閣での「教育基本法の改正」行われ、第二次安倍内閣で「道徳の強加化」が行われたことを問題視する。「戦前回帰」の方向か
今の内閣の方向性を指示しているのは10代、20代の若い層の人が多いことを危惧しているという。街を歩いていても、「60台のおばちゃんから握手を求められても20台の男性から声をかけられることもない」と冗談を言いながら今の若者のを巡る状況を憂う。
別の場面で、ネトウヨ(ネット右翼)を自称する高校生には「自分を枠にあてはめ決めつけることは無い。自分は自分である。自分の頭で考えたらいい」と、雨宮処凛や渡辺恒夫の《右から左、左から右へ》の例も引き合いに出しユーモアたっぷりに諭したことを紹介する。
『「国を愛する心」「日本人は血で繫がった共同体」「単一民族国家」という考え方に固執するのは今のアメリカのように行き詰まる。「純血日本人」などと言うのはあり得ない。桓武天皇も百済人とのハーフであったと言うことを天皇自身も述べている。』等の言葉に続き、
『多民族・多人種が共生する国家」にしたいと自分は考えるが、現政府は差別を助長する傾向がある。最たるものは、朝鮮人学校への差別です。高校までの教育の無償化は全ての人が対象で、当然朝鮮学校の生徒も含まれるはずだ。』
『下級審の裁判官も忖度しているのではないか。引用記事がすべて「産経新聞」というのはどういうことか。「あれは新聞ではないと思っている」』等々。
さらに『《純血日本人》の道だけを追求していくと将来的に日本は消滅してしまう。移民を積極的に受け入れないとやっていけない。そうしたことに陰ながら貢献してきたのが朝鮮学校もそうだが夜間中学がある。』と続く。
「夜間中学」の役割は2つあるという。1つ目として当初、経済的な理由、家庭的な理由で昼間の学校に通えない子のためにあったがS30年代に少なくなった。次に、「若い時に学校に行けなくなった大人のため。これも昭和60年代には減少傾向となり、夜間中学の廃止勧告が出る。それに抗して存続の運動を始めた高野雅夫の話に及ぶ。高野雅夫さんの努力で大阪をはじめ東京にも新たに夜間中学が作られるようになった、ということだ。
『夜間中学生ー高野雅夫』のインタビュー記事
夜間中学を新たに希望する人々の中でひときは「オモニ」が多かった。
(その様子を典型的に描いたものに山田洋次の映画『学校』がある。)
【 「夜間中学」を描いた映画「学校」のシーン 】
最近の夜間中学は、「ニューカマー」(新たに日本に移ってきた外国人)が多くなっているという。ベトナム、ネパールからが特に多いという。日本政府は「移民受入政策」は採っていないというが、実際はどんどん入ってきている。そして定着し日本で生活しているという現状がある。これをどう受け止めるか、一緒にこれからの日本をつくっていく同胞として、どう教育していくかという課題がある。
「夜間中学」にはもう一つ大きな課題があるという。不登校の問題だ。全く中学で勉強していない人にも「卒業証書」を交付したが、それについてはマイナス面もあった。中学を《卒業した》のだから「夜間中学」で学びたいと言ってもそれを理由に拒否されることだった。
不登校=年間30日以上登校しないことー全国に4万人。それに対し「無登校」=年間10日未満歯科学校に行っていない状態-不登校の約1割。
(この話にも、関連した興味深く考えさせられる映画がある。「男はつらいよ」シリーズの第26作の「寅次郎・かもめ歌」の最後の方で、寅が《心を改めー俺もやっぱり勉強しなければ》と意を決して定時制高校に願書を出すが、「中学中退」で卒業していない寅には高校の入学資格がないと、無情にも門前払いされてしまうシーンがある。世の中うまくいかものである・・・)
フリースクールの話に展開する。
外国語は英語に限らないということの続きで、スペイン語は多くの人がしゃべっている。「チェ・ゲバラ」もその一人だという所から「ゲバラ」に話が飛び出しそうになったのを、かろうじて抑えたり、安保法案』採決の夜、「国会前に行って「シールズ」と共に声を高々にあげたという話も飛び出し、それに関連して国家公務員には過度に基本的人権を制限されている人達という話も出る。
15分の休憩をはさんで質疑応答の時間があった。沢山の質問が寄せられて全部には回答できなかったようだが、2つの興味ある質問があった。
最初にも触れたように、会場にも若者の姿が多くなく、実際今の政権を支えているのは若者が多いという話で、その問題点は何なのか、どいう克服すればいいのかー教育の課題はあるのかという質問内容だ。
難しい問題である。前川さんは、今の教育行政に問題ありと断言する。
もうひとつは、来春選挙を控えている京都府知事選に関して。知事候補として「立候補してくれる気持ちはないか」というズバリとした質問であった。参加者の顔ぶれを見るなら、「蜷川知事よ!もう一度」という希望があったのかもしれない。当然そこの参加者の誰もが「それにふさわしい人物」と思えるから、一瞬期待をしたが、「それは絶対ありません」、その一言で終わってしまって。惜しい気もしたが、京都の状況を考えるとそれもそうだと思う。
2時間の講演があっという間に過ぎてしまった。発言を要約して羅列すると、堅苦しい内容に思えるが、途中歌も出たり、裏話も出たり、聴衆の《傾向》を読み取った展開をしたと思えば、それに喝さいする声援を「拍手しないでください!」と抑えに回る役回りに出たりと、ユーモアと気配り満点の人だった。
冒頭に、今回の主催者が言っていたように《官僚》という今まで持っていたイメージを根本的に見直さないといけないような衝撃的で感動的な講演会だった。
NHKも籾井会長の顔だけが映り、協会全体を《悪者》にするのでなく、背後には「地道にいい番組をつくろうと努力している人も沢山いるのだ」と思うと同時に、「官僚主導が悪い」とか、《集団を十羽ひとからげにレッテルを張る》のでなく、《個々のケースを自分の頭で考え、個別に判断する》大切さを学ばせてもらった時間でもあった。
次の世代を育てる教師は文部科学の言いなりになってはいけません!
【今回の講演会に参加できず、前川さんの話を是非聴いてみたいと思う方へ】
・以下のホームページで「今回の講演」のネット配信があるそうです。
『IWJ』(Independent Web Jounal) HPアドレス http://iwj.co.jp
・また、京都南部近郊に住んでいる方は、以下のチラシの内容で「講演会」が開催されます。
【 前川喜平さん(前文部科学事務次官)の講演『これからの日本、これからの教育』を聴きに行く(その1)】-へ戻る