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交響曲『HIROSHIMA』をめぐって-《現代のベートーベン》と《ゴーストライター》-曲に罪はない

2014-02-08 21:22:55 | 雑感


   【2014年2月7日】

 18年間、佐村河内浩のゴーストライターをしていたという人物の記者会見があった。

 被曝2世であり、聴覚障害者と自らを語り、30代後半には完全に聴覚機能が失われたと虚構を重さね、それにもかかわらず作曲創作活動を続る《苦悩の人》として自分を作り上げて《現代のベートーベン》と周囲に言わしめ、もてはやされた佐村河内浩は、自分では何も曲を作っていないことが、記者会見で明らかになった。その新垣隆という人、「自分は佐村河内さんの共犯者である。」と淡々と語っていたが、最初報道が流れたとき、新垣さんにはどんなメリットがあるのかと、動機を疑った。

 18年間で20曲以上作曲して、報酬は700万円。はじめ聞いたときは年額と思っていたら、総合計みたいだ。

 音楽に限らず、本でも、映画でも、漫画の世界でも、編集者がいたり助手がいたり、アシスタントがいたりで、純粋な個人一人の創作というのは現代ではまれな存在かもしれない。
 売り出しの人気歌手が書く《苦労話》や《自伝》、政治家が書く自己PRの《政策本》などはどう考えても『ゴーストライター』が書いたものであると察しがつくものが多いし、漫画は一部の伝説的な作家を除き、いわゆる作者はイメージ・キャラクターとアウトラインだけを提供し実際の作業は集団ですることがほとんどだ。

 しかし今回のそれは、まったく性格もレベルもまったく次元の違う話だ。【耳が聞こえないと感じたことはなかった】とか、【楽譜は書けないと思う】とかの証言が正しければ、『合作』とか『共同作業』とかを通り越した、人を愚弄したあるまじき行為だ。

 曲自体を、私自身じっくり聴いたことはないのでいい加減なことは言えないが、『楽譜を見れば、専門的にしっかりと作曲を勉強していなければかけない作品だ』という専門家の指摘や、CD化する際、演奏をした指揮者が『楽譜を見て素晴らしい作品と思ったので演奏した』と言っているという。その後つづけて『別人の作でも、楽譜に記されたことは変わらない』と評価している。


 私もそうだと思う。できた曲に罪はない。

 高橋大輔が《その曲》を選んだのも、《被曝2世》だとか、《現代のベートーベン》だとかいうイメージに共感を寄せたと思う以上に、曲自体に魅力を感じたからだと思う。

 それにつけて、どうしてそんな才能を持った人が、今まで『ゴーストライター』に《甘んじていた》のか不可解でならない。やはり、ある音楽評論家が語るように『強引な《ストーリー》をまとわせないと、無名の作曲家を世に出すことは難しい時代』なのか。その意味では、マスコミやそれを受け取る側にもそれなりの責任があるのかもしれない。


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