この映画・本、よかったす-旅行記も!

最近上映されて良かった映画、以前見て心に残った映画、感銘をうけた本の自分流感想を。たまには旅行・山行記や愚痴も。

連載2・1992年の家族旅行記『卒業!パック旅行-わが家の北海道』と『黄色いハンカチ』の思い出

2014-11-24 10:52:00 | 山・旅行
 【前回のつづき】

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「祝卒業!パック旅行-わが家の北海道」-その2

       ○           ○          ○

 いつ出発するかという事を決めないと後の事が決まらないのだが、問題は今度高二になる長男の摩生(マオ) の予定であった。春休み中に行くという大枠はあるのだから、だいたいは決まっているのだが、いざ何日からという話になると、暗礁に乗り上げてしまう。高校に入ってから体育系のクラブに所属しているのだが、授業を休む事はあっても、今まで一日たりとも休んだ事はない。そのクラブの練習を抜けてまでして、家族旅行についてくるとは思えなかった。それに、もう家族と一緒に喜んで外出するような歳ではないとも思う。しかし、ほかの時はともかくこの時だけは皆で一緒に行こうというこだわりは、わたしより母親としての妻の方が強い。学期中は日曜もいれて毎日練習がある。春休み中にもなんらかの予定があるはずだ。
クラブの合宿、あるんでしょ。いつなの。-いかなくていいの。みんなと一緒に行こうよ。それとも合宿、休む。休めるの。
 もともと、めったな事では口を開かない長男からは明確な返事が返ってこない。目の前でいらいらしながらしゃべる声さえ聞こえないかのように表情も変えず、押し黙ったままである。合宿を休むかときいた時だけ、微かにゆっくりと一回だけ首を横に振る。次の日曜日の予定をきいた時でもまともに答えないのだから、2ヶ月以上先の予定を尋ねて返事を期待する方がおかしいのか、と思う。
 なかなか決められない。出発すべき日までもう2カ月もない。長男のことはおいといて事を運ばないと間に合わない。そう思い立ちパンフを集めにかかる。格安のパック旅行はどんなものかと新聞の広告にも目を通すが、この方は、その頃の北海道行きの企画のものがなかなかない。時期が早いのだろうか、それとももう遅すぎるのだろうか、どちらか解らず、少々あわてる。


 11時15分、車は柏崎の米山サービスエリアに入る。ガソリンの給油のためである。
 京都からの走行距離475キロ。だいぶ走ってきた。この分だと早く宿に着けるかもしれない。おやつもそこそこに本線に出る。関越自動車道の分技まで来て、ちょっとした勘違いからそこで降りてしまった。後ろの地図番の妻に、国道四九号線に出るのにどうしたらいいのかきくが要領を得ない。
今、どこ走ってるかわかってるの?
そんな事くらいわかってるわ!
 こんな時は男の子の方が頼りになるのだが摩生はいないし、林太郎は『我、関せず』 で、マンガを読みふけっている。車を道端に寄せ、自分で地図を見る。思い迷った末、いちかばちか『只見』回りで行ってみようと決め、車を動かす。しばらく行くと『栃尾市』 の標識。そこから『守門村』方面に向かう。
 どのくらい走ったか、雪解け水の透明な音をたてた川辺にでた。思わず車を止め、流れの上流に目をやると真っ白な雪をかぶった守門岳と思われる端正な姿の山が見える。遠くに来たな、と思う。しばらくの間、車の中から流れの音に耳を澄まし、明るい風景に見とれる。後で思い起こしてみると、それはその日の中でいちばん印象に残る場面だった。
 車を進める。人家を離れ山景色の中にはいっていく。近くの景色に雪が多くなってくる。そのうち路肩にも雪が見え始めてきた。不安になってきた。戻るのだったら早い方がよい。誰かに尋ねようと思うのだが、人どころか家が見あたらない。除雪された道が右に左にカーブしながら高度をかせいで山の中に分けいっていく。ようやく見つけた家で尋ねると、
 「このさきは通れませんよ。」 の答。やっぱり。
 家の横の空き地で車を回す。そういえば、昼ご飯を食べていなかった。時計をみると1時をまわっていた。みんなお腹が空いたと文句をいう。一旦道路に出した車を再び空き地に戻す。旅行の第一日目の昼飯は節約のためにいつも、出発前に妻がにぎるおむすびを頬張ることにしている。
ここで食べよう、おひる。
えーつ、こんなとこで
 そうはいっても、空腹には勝てない。
食べよう、食べよう
という妻の合図と共に包をひろげ、われ先に手をのばし、あっという間にたいらげる。
 同じ道を栃尾まで戻り、そこから地図とにらめっこしながら290号線をたどり右往左往しながら『阿賀野川』にようやくたどり着いたときはホッとした。あとは『会津若松』をめざし走るだけ。それにしてもずいぶん時間を無駄にしてしまった。会津若松をすり抜け、猪苗代湖畔に出たのは午後4時前だった。東北自動車道に乗るにはまだだいぶある。それからあと一時間半ばかかる。「今日も宿に到着するのは真っ暗になってからか」と、がっくりする。


 ひととおり集めたパンフレットと新聞の切り抜きを前にして検討にはいる。まず航空機を利用した場合の値段表をみる。やはり高い。九州に行った時は飛行場とレンタカーで回ったのだが、今回はちょっと手が届かない。6人で行ったらそれだけで50万円を越えてしまう。別のパンフレットを見ていた長女が、
ねえねえ、ブルー・トレインで行こうよ。
それいいわねー。そうしようか。
 『トワイライト・エキスプレス』というどこかロマンチックな響きにつられて、妻も相づちをうつ。夜に出て朝に着けば時間の節約にもなる。そういえば列車を使った旅行など最近していない。
コンパートメントを借りきって楽しいじゃん。

 わたしの郷が横浜なので、娘は夏休みなどにそこで仕入れてきた横浜弁を時折使ってみせる。どれどれと、細部の検討にはいる。夜に出るものと思っていたが、京都発は昼だった。一日無駄になる。それと肝心の費用。これがなんと、航空機利用より安いということば決してないのだ。それに比べて『パック旅行』の安いこと。
どこかのパック旅行に便乗しようか。北海道、行くの初めてだし。だいたい行く所、決まってるし。
さっそく長女が、
そんなの、ヤンダー。
 この年頃はよその人と一緒というのを極端に嫌う。
安いしさー。
 そういう自分も余り気乗りがしなかった。もう一度の『ヤンダー。』で検討は挫折した。各人はそれぞれパンフレットの中の景色にみとれて感嘆の声をあげたり、「ここのホテルいいなあ」、とか勝手なことを言っている。

 家ではいつもわたしが旅行の世話係だが、会社でもたまに社員の慰安旅行の幹事役が回ってくる。少人数の社員旅行でも、どうするかなかなか決まらない。いや、全員の顔と名前が即座に一致するくらい小人数だからよけい決まらないと言った方がいいかもしれない。話し合いで決まるわけもなく、アンケートを採った場合などとても収拾がつかなくなる。そんな役が回ってきたら、いつもはいっばしの民主主義者であっても、この時ばかりは絶対君主かマキャベリズムの信奉者にならなければとうていまとめあげることばできない、と思ったものだ。しかし家では、少し事情が違う。 旅行に際しての楽しみは、むしろ行くまでのこうした計画を練る段階にあるのかもしれない。絶対君主になりきれない面もあるが、ああでもない、こうでもないと家族でもめるのを楽しんでいるのかもしれない。わたし自身などは地図をいくつも取り出し、「ここに何時、こっちを回ってどうしよう」と、それだけでもう旅に出た気分になってしまう。

 旅行のもう1つの面白さは行き当たりばったりの偶然性にある。計画があって偶然がある。何か矛盾しているようだが、そんなものだ。ぶらっとでかけて気ままに足を運び日が暮れて、たまたまその土地が気に入り、泊まりたいなっと思ったら、宿に空き部屋がないか尋ねる。意外な風景に出会い、意外な出来事に遭遇する。『パック旅行』のおもしろくないのは、その2つの楽しみがばとんどないという事である。事前の盛り上がりもなく、すべてあなたまかせで初めから何もかも決まっていて、自分がするのはスケジュール通り日程を消化するだけであり、意外性に乏しい。しかもその日程が過密であったら旅の情緒を味わう暇もない。もっとも自分のする旅行も、いつも超過密なのだが、自分の意志でするのとお仕着せのとは違う。

 しかし、ひとりか二人だったら寅さんスタイルの旅もいいが、子供を4人も連れた家族旅行ではそうもいかない。せめて事前に宿だけでも確保しておく必要がある。手軽さと魅力的な価格から、初めての所に行くにはパック旅行でもいいかもしれないと思ったのだが、拒否反応がでてしまったのでは仕方がない。もう1つ今回、パック旅行ではだめな決定的理由があった。それは夕張に行けないことだ。社員旅行の時も行けなかったし、これから先、別の機会でもおそらく行くことはない
と思ったから、是非この家族旅行で夕張を訪ねたいと思った。
 こうなると残りはマイカーで北海道まで行くしかない。普段はめったに使わないワゴン車を遊ばせておく手はない。
車で行こう。そうしたら向こうで狭い思いもしなくてすむし。
 空港でレンタカーを借りるときワゴン車がなく、いつも普通の乗用車に6人が乗り込んで移動をする。法律上問題がないにしても、後部座席に詰め込まれた4人の言い分は、窮屈この上ないということで、昨年の九州旅行の時などは「絶対今回限りにしてくれ」とのことだった。それもそうだ。子供といっても飯はちゃんと一人前食うし、背丈だって上の3人はとっくに母親を追い越している。
えー、車でェ。どのくらいかかるの。
さー、どのくらいかな。でも途中で一泊すればいいじゃん。
たいへんじゃない、父さんが。
ポカー、だいじょうぶだよ。
 運転はもともと嫌いではないし、不思議と他の事をするより疲れない。2年前、酒田からほとんどノンストップの八時間余りで帰ってきた時の自信もあった。
でもたいへんよう。そうだ、フェリーで行ったら。
 フェリーで行くことも、当初1つの案として考えていたが時間を調べて、これは「ボツ」だと思った。31時間も船の中でじっとしているなんて、考えるだけで退屈だ。とても提案するなんてできなかった。
フェリーなんか絶対、やだ!
車で往復するなんて無理よ!
 この言葉の応酬でちっとも先に進まない。そのうち、やっぱりパック旅行にしようかとか、お金がないから今回は止めにしようかとか、そのたび大声を交え、二転三転してようやく収拾をみたのは、これ以上紛糾しては、わが家の大蔵省は別にして、お互いの幸福と利益のためにならないと判断したからであろうか。車で行く事にし、往路は陸路で帰路はフェリーで。さっそくフェリーと宿の確保のためJTBに走る。しかし、長男の問題はまだ解決していない。


                                          【「第3回」につづく】

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