遅まきながら、昨日、今週のマガジンを読みました。
篠田さんからの、セコンドとしてのボクシング界への復帰のオファー。
セコンドから復帰したと言えば、畑山です。
畑山は、チャンピオン陥落後、横浜光ジムで若手のセコンドをやっていました。
彼は、“セコンドをやったことで、現役時代見えなかったものが見えるようになった。俺だったらああしたのに、こうしたのにと、後輩の試合を観ながら、客観的に自分を見られるようになり、再発見があった”と述べています。
そして、復帰に決定的になったのが、坂本VSヒルベルト・セラノとの世界戦タイトルマッチでした。
坂本は確か、三度目のタイトルマッチだったのではないでしょうか。
あのタイトルマッチは、4回坂本の偶然のバッティングによる負傷で、ドクターストップとなり、チャンピオンの防衛になりました。
それを畑山はリングサイドで観ており、“あいつ(セラノ)になら勝てる❗”と言って復帰を決めたのは、ボクシングファンの間では有名な話です。
そして、ライト級で復帰し、セラノに挑戦し、セラノを倒してチャンピオンに返り咲いたリング上で、“次は坂本さんとやります❗”と、これまたリングサイドで観ていた坂本に挑戦を表明しました。
坂本にしてみれば渡りに舟。
結果は、私、横浜アリーナまで観に行きましたが、坂本の完敗。
坂本は攻撃力を上げるため、防御力の高いピーカブースタイルから、より攻撃的なデトロイトスタイルへ変えて挑みました。
これはその時の坂本のトレーナーだった、名トレーナー、イスマエル・サラスの、坂本の打たれ強さを信じての防御を捨てての作戦でした。
坂本は、平成のKOキングと言われたほどのハードパンチャーでした。
が、畑山のパンチに屈し、TKOをきっしました。
あの時、従来通りのピーカブースタイルだったらあるいは…
と、坂本の応援で会場にいた私は思ったものでした。
その後、畑山は防衛し、両国国技館で戦った、ジュリアン・ロルシーに負けるまで、チャンピオンを守りました。
あの試合も、私は升席から観戦していました。
おっと❗話が畑山と坂本の話になってしまいました❗
復帰の話に戻しますが、新井田豊も、復帰してから、チャンピオンに返り咲き、七度防衛しました。
最後の相手は、あの、ロマゴンだったのも面白い話です。
まだまだ、復帰の話はありますが、だんだんマニアックな話になっていくので止めておきますが、このように復帰して、結果を残した選手もいます。
だから、一歩もセコンドからの現役復帰も十分にあり得るんじゃないかなと思うわけです。
それとも、セコンドとしてはじめの一歩を踏み出し、一歩の育てた選手が世界を獲るのか⁉
それは楽しみにしておきます。
しかし、一歩はトレーナーには向いてない気がするが…(^-^;
それもまた、楽しみにしておこう🎵