梅雨に入るまでに、畑の整備や準備をしておきたいと、連休はひたすら畑仕事。タマネギとニンニクを収穫して、次の落花生への準備へ。ニンニクのなんと出来の悪いことか・・・。
醤酢(ひしほす)に蒜(ひる)つきあてて鯛願ふ われにな見えそ 水葱(ネギ)の羮(あつもの)
『万葉集』長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)
【訳】酢味噌にニンニクをつぶしたのを入れたタレに鯛の切り身を入れて、メチャ食べたいと思っている俺に、ネギの吸い物みたいなもの見せるな!
昔からニンニクは食べられていたようだがほとんどは薬用で、食品の味付けとして食べられるようになったのは戦後だ。
ならば、私自身はニンニクなるものを始めて食べたのは何時なのだろう?と、ニンニクを収穫しながらふと考えた。
19歳のとき、阿倍野筋の旭日屋書店の隣にあったパチンコ屋で、かるく終了(打ち止め=1500円ほど収入)して、裏にあった中華料理屋の「眠眠」で食べたギョウザが最初ではないかと思った。なにしろ、一日中、ニンニクの匂いがした。だから、ニンニクの初体験は眠眠のギョウザにちがいない。
いかがわしい路地の奥にある店の油ぎったカウンターに友人と座り、ギョウザとチャーハンを注文すると、「リャンガーコーテル リャンガツァオハンイー」と若い女の子がけたたましくマイクで叫ぶ。ほんの五分もすると注文が届く。何度も通ったが、あの眠眠のギョウザはうまかった。一人前60円の時代である。
無性に餃子が食べたくなったので、昼から買い物へ出かけて珉珉食品の「せみ餃子」を買ってきた。昔はニンニクのタレも入っていたのに、今は付いてない。そこで、添付のタレに収穫したばかりのニンニクをつぶして入れて食べた。かつての眠眠の餃子には及ばないが、万葉の時代の味がした。