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時代劇 真田丸より

2016年03月21日 | 
時代劇好きなので、真田丸を見ている。
私は池波正太郎のファンであるが、無論「真田太平記」も大好物であり、先ごろたぶん6回目の通読を終えたところだ。
以下は、基本的に真田太平記を基準としていることをここに明記しておく。


まずキャストは、それほど違和感がない。
切れ者の昌幸、実直な信之、才気あふれる信繁。
狂人のような北条の大御所(あれ、すごいよな)、ちょっと軽快すぎる気もするけど悪くない家康、誠実さのにじみ出る上杉景勝。
脚本が三谷幸喜であることを加味して、いくらかコミカルになるのは致し方なし、といったところか。
全員がそれぞれにきちんと役割を与えられてそれを果たしているような、なかなか観ていられるよい時代劇になっている。


ただひとつ、長澤まさみを除いて。


真田家の重臣である高梨内記の娘、という役柄なのだが、こいつの演技が不愉快で不愉快で、どうしようもない。
しゃべる言葉が現代風なのはまあ譲るとして、その思考の根源にあるのが現代劇の主役の女、みたいな・・・・・・
ああ、現代劇なんかあんまり観たことないから詳しくないけど、感覚的に表現するなら

「こいつだけタイムスリップして現れた平成の女」

そんなところだ。
こいつが出てくると、それまでの雰囲気が丸ごとぶち壊し、である。
あんな役柄、いらん。ジャマだ。
邪魔者扱いの女がやがて主人公と結ばれて、とかいう要素など、フジテレビあたりでやっとれ。


そこさえなければ、今後も追いかけて観ていくだろう。
そこがあっても、悪態つきながら観ていくんだろうけどね。

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