アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第6章 世界劇場 ⑤アバター

2010-01-03 14:17:29 | 第6章 世界劇場
⑤ アバター
本来であれば、本題であるアセンションに就いて次章に筆を進めなければいけないところ、思いがけない理由で一旦停止を余儀なくされてしまった。仮に、この先の話に期待している読者が居たとすれば大変申し訳ないが、その理由は一言で云えば『アバター』である。実は、昨年(2009年)11月にローランド・エメリッヒ監督の『2012』を見るために久しぶりに映画館へ足を運んだ際、偶然か必然かそこでJ.キャメロン監督の『アバター』の予告編を見て、これはブログの話題にするためにも是非とも早く見なければいけない作品だと感じたので、この正月休みに再び映画館へ足を運んだ。因みに、筆者は映画好きだが、前評判に踊らされて焦って映画館へ行くと、名作とは言い難い作品に時間とお金を費やす羽目に陥ることもあるので、或る程度定評のある作品がDVDで借りられるようになってから(或いはBS放送などでダビングして)家のプロジェクターで見ることが殆どで(その方が時間の節約にもなり、疲れないし、万一期待外れの作品であったとしても後悔が少ない)、封切り映画は余程の理由が無い限り映画館では見ないことにしている。

それにも拘らず、この作品を映画館で見たいと思った理由は、単純に3Dの迫力のある映像で見たいと思ったこともあるが、何よりも興味があったのは、普通の人間がアバター即ち分身として地球外の惑星で活躍するというコンセプト自体が、前段の⑤投影された世界のアナロジーでは無いか、即ちキャメロン監督もこの世界が写し世だと知っていてそれを示唆する作品を制作したのではないかと思ったからである。そしてそれを監督がどのように表現するかに大変ワクワクするものを感じたからである。

簡単に物語の設定とあらすじを紹介すると、主人公ジェイクは元海兵隊員であり、戦争で負傷して車いすの生活をしているが、仕事を求めて惑星パンドラに他の作業員達とやってくる。その惑星では、1Kg当り20億円で売れる希少金属が採掘されているが、その鉱脈の上に原住民ナヴィが生活しており、彼らは自然の中で精霊や動物たちと共に平和に暮らしている。従って、地球人にとっては彼ら原住民が採掘の邪魔になっている。地球人は、原住民と人類の遺伝子操作によってアバター(分身)を制作し、それを原住民の中に送り込んで情報員として或いは交渉役として活用する計画を立てる。ジェイクは惑星の基地のカプセルのような機械の中で横になったまま、自分の意識をそのアバターに送り込み、アバターになりきって原住民との生活に入り込んで行く。その先のストーリーの展開は、これから映画を見るつもりの方の興味を奪ってはいけないと思うので詳述は避けるが、筆者は『ダンス・ウィズ・ウルブス』にかなり近いとの印象を受けた。そう、欲に目の眩んだ白人(文明人?)が、自然の中で動物や精霊と平和に暮らしているアメリカの先住民の生活を脅かして行くことの残忍さとそれに対する痛烈な警鐘に相通じる内容である。

ここでこれ以上『アバター』の評論をすることは本題ではないので控えるとして、筆者はもう一つの重大なアナロジーをこの作品に見出した。このブログの第3章、①人類の起源を思い出すか、或いは時間があれば再度読み返して頂きたい。先を急ぐ読者諸賢の為に簡単に説明すると、人類の起源は約50万年前にアヌンナキという地球外生命体が、地球の金を求めてやってきたことに始まり、自分たちに代わって金を採掘する労働者として、当時の猿人と自分たちの遺伝子を掛け合わせて人類を創りだしたというのが、ゼカリア・シッチンが『神々との遭遇』(著作Z)で披歴している内容である。この映画の地球人をアヌンナキに、希少金属を金に、原住民ナヴィを猿人に、遺伝子操作によって創られたアバターをアヌンナキに創られた人類の祖先、アダムに置き換えて見て頂きたい。この映画のストーリーの設定は、ゼカリア・シッチン氏の説にピッタリ重なりあっていると言えないだろうか。これは筆者の勝手な推測であるが、キャメロン監督はこのゼカリア・シッチンの人類創生説を読んでいて、意識的にかどうかは別にして、これを今回の『アバター』の下敷きにしたのではないだろうか。

但し、キャメロン監督にこのことを確認しても彼は否定するであろうし、多分ゼカリア・シッチン氏の人類創生説のことはオクビにも出さないであろう。一旦名誉と地位を得てしまった監督が、そのようなとんでもない説を信じていると口に出そうものなら、多分マスコミの格好の餌食になってしまうことは想像に難くないからである。そう、以前このブログで紹介した『イージー・ライダー』に出てくるUFOの話も、或いは『未知との遭遇』もフィクションであるという前提があるからこそ監督も堂々と作品として発表出来るのである。そういう視点から映画を見ると、皆が作り話と思っている作品(特に映画)の中に意外な真実が潜んでいるので実に面白いのだが・・・。ということで、多少寄り道をしてしまったが、次週こそ本題であるアセンションについて発表することにする。

尚、このブログは書き込みが出来ないように設定してあります。若し質問などがあれば、wyatt999@nifty.comに直接メールしてください。筆者が直接回答するか、或いはQ&Aの欄で、質問の内容共々回答させて頂くか検討致します。


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