アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第14章 道 ⑤グル

2011-07-22 06:46:40 | 第14章 道
前回説明した通り、恩寵の第二の現れはグルであると言われている。そこで、これまでに読んだ書籍の中から、グルに就いて記載された部分を拾い読みしてみた。
『ラーマクリシュナの福音(要約版)』を読んだ限り、彼はグルについて殆ど語っていないが、良く考えて見ると、彼自身がグルであり、自身に就いて語ることについては憚りがあったのかも知れない。一応筆者が改めて眼を通してみたところ、以下の部分が、信者達に向かい、唯一グルに就いて彼が語っている部分だと思う。

「単なる聖典の研究では何も判りはしない。聖典に書いてあることは、云わば玉石混淆だ。砂の中から砂糖をより分けるのはたいへんに難しい・・・先ずグルから聖典の真義を学び、それから修行を実践すべきだ。霊性の修行を正しく行えば、人は直接に神を見る。人が身を挺して飛び込んだ時に初めて、その修行は正しく行われると言うことが出来る。聖典の言葉について推理するだけで何が得られるものか。・・・」

ここでラーマクリシュナが言っていることは非常に重要である。その一つは、聖典の真義はグルから学ぶべきこと、もう一つは、霊性の修行を正しく行えば、人は直接に神を見るという部分である。この後半部分、即ち「霊性の修行を正しく行う」という部分が重要なポイントであり、この為にもグルが必要なのであろう。

ところで、グルはどのように定義されるものなのだろうか。それは、『人間の永遠の探求』に於いて、次のように書かれている。

「guru 霊的な指導をする教師。グルという言葉は、しばしば外面だけを見て濫用されることがあるが、真のグルとは、自己統御を完成し、遍在の神(キリスト意識)との合一を達成した師をいう(筆者註:通常大師、或いは英語ではマスター)。そのような師は、弟子たちをも神との霊交に導く力をもっている。求道者の心の、神を求めたいと言う真剣な願望が高まると、宗は彼にグルを送り、そのグルの、教えと、悟りと、知性と、英知を通して彼を導かれる。弟子はグルの教えと訓練に従うことによって、神を知りたいと言う魂の叫びに応えて彼を神のもとへ導くよう神によって任命された真のグルは、普通の教師ではなく、道に迷った魂たちを永遠の故郷である神の家に連れ戻すために神が用意された迎えの車である。神は、グルの霊性と、考えと、言葉と、体を通して、魂たちを導く。グルは、聖典の真理の体現者であり、この世の束縛から解放されたいという信仰者たちの願いにこたえる為に神が任命した救いの代行者である。」

ここで、『ババジと18人のシッダ』(同書)に記載されたグルの系譜(P38)を紹介しておきたい。
この18人のシッダの最初に出てくるのが、ナンディー・デーヴァルという大師なのであるが、彼の名前は日本においては殆ど知られていないようで、インターネットで検索してもその素性は良く判らない。但し、彼のグルはシヴァ(神)ということになっているので、若しかしたら伝説上の人物なのかも知れない。彼の弟子には、パタンジャリ(ヨーガスートラの著者)やティルムラル(『ティルマンディラム』の著者)が挙げられている。もう一人の、シヴァをグルとする大師はアガスティヤであり、以前本ブログでも紹介した通り(第12章⑤‘ババジとは’を参照)彼はババジのグルであり、又、そのババジのグルであるボーガナタルのグルでもある。即ち、ババジのグルは、アガスティヤとボーガナタルということになる。そして、このババジからラヒリ・マハサヤ、シュリ・ユクテスワ、パラマハンサ・ヨガナンダと連なる系譜があり、さらにヨーギー・ラマイア、マーシャル・ゴーヴィンダンへと連なる系譜がある。
以上は、同書のプロローグにおいても、次のように説明されている。

「『シヴァ・プラーナ』には、シヴァ神が太古の昔からチベットのカイラース山に座して瞑想する話が繰り返し述べられている。シヴァ神はヨーギーたちに主神として崇められているだけでなく、あらゆる神々からも至高の神として崇拝されている。シッダの伝統の起源は、数百万年前、カシミールのヒマラヤ山中にあるアマルナートの大洞窟で、シヴァ神が妻(シャクティ)のパールヴァティーに“クリヤー・クンダリーニ・プラーナヤーマ”(呼吸を統御する科学的な技法)を伝受した話に求めることができる。ヨーギーとしてのシヴァは、後にチベットのカイラース山で、アガスティヤ、ナンディー・デーヴァル、ティルムラルなどに教えを授けた。後にババジに教えを授けたのはアガスティヤである。・・・タミル地方のヨーガ・シッダたちは、霊的次元において、神、即ち至高の実在との“合一”(ヨーガ)を果たした後に、恰も塩で作られた人形が大海に溶け込むように、知性体、メンタル体、生気体、そしてついには肉体の変容を順次体験した。彼等は完全な悟りの域に達することで、人間の本性そのものの聖なる変容を実現したのである。シッダたちの偉業は人知を超えるものだが、こうした人々の生涯や著作を比較・研究することで、我々は人間の潜在能力に就いての貴重な洞察を得ることが出来る。18人のシッダとババジが達成したことは、“神”(シッダ達はこの存在をシヴァ、ムルガン、ヴィシュヌ、シャクティなどと呼んだ)の恩寵と神性の降臨を実現するために用いられた、低次の体を整える為の技法(すなわち“クリヤー”)の賜物であった。こうした技法は総合的に“クリヤー・ヨーガ・シッダーンタ”と呼ばれる。それは神(真理)に至る為の最終的な完成をもたらす実践的なヨーガの技法である。」

ここで、著者がババジのクリヤー・ヨーガを伝受された時の記述を紹介しておきたい。

「1970年6月初旬にジョージタウン大学を卒業してから間もなく、私はヨーギー・ラマイアからクリヤー・ヨーガのイニシエーションを受ける為にニューヨークに向かった。イニシエーションはマンハッタンのロウワー・イーストサイドにある、・・・ある建物の一階の小さなアシュラムで行われた。部屋は20名程の参加者で一杯だった。私は4日間連続で6段階のクリヤー・クンダリニ・プラーナヤーマや7つの基本的な瞑想法を丸一日かけて学んだ。その次の週末には、同じアシュラムでひらかれた4日間に亘る静修の集い“アンタル・クリヤー・ヨーガ”(通称‘リトリート’筆者註:本ブログで紹介した第二イニシエーションに相当する)に参加した。そこで更に多くの呼吸法を学び、断食や丸一日間の沈黙行を行った。アパートの一室にあったそのアシュラムの中央には間に合わせの煙突が付けられており、その下で燃やされた儀式用の“マントラ・ヤグナ”の日の傍らで、私はシェールと共に“オーム・クリヤー・ババジ・ナマ・アウム”のマントラを朗唱した。ヨーギー・ラマイアは、クリシュナとババジのマントラを伝受する前に、私がつい先ごろまでグルとして信奉してきたヨガナンダに敬意を表するように求めた。私はヨガナンダに意識を集中した。すると突然、まるで彼に抱きしめられているような感じがした。このときほど私はヨガナンダの存在を身近に感じたことはなかった。以降はババジとヨーギー・ラマイアに尽くしていくことに対して、私はヨガナンダの祝福を元めてこれを得たことを感じた。・・・このイニシエーションの数日前に、SRFのブラザー・モクシャナンダから、私の手紙を受け取った旨を知らせる返事が送られて来た。ヨーギー・ラマイアに師事する意向を、私はSRFに書面で伝えていたのだった(筆者註:著者はこれ以前にSRFを訪問し、修道会に入る許可を求めたが、それが本当に著者の真意なのか、一年間良く考えるようSRFから求められていた)。ブラザー・モクシャナンダ(彼はヨガナンダの死後数カ月後にSRFに来た人である)は私宛の返事の中で、生けるグルの存在が如何に貴重であるかについて述べていた。」


このように著者は、ヨーギー・ラマイアを自身のグルとして師事することに決めた時の模様と、その際SRFに対して手紙でその意向を前もって伝えていたこと、そしてSRFが著者の判断を尊重し、その根拠として生きているグルに出会うことが如何に得難いことであるかを伝えてくれたことを述べている。
また、著者はアニー・ベサント博士の著書、『大師たち』を引用してシッダ達の活動を次のように紹介している。


「大師たちは数限りない方法で人間の進歩を助けている。彼らは最も高い領域から全世界に光と息吹を注ぎ、その光は吸収され浸透する。物質界が太陽を通して神の命を吹き込まれているように、処々の宗教に関わりの深い大師たちは、彼らが注ぐ霊的なエネルギーの貯蔵庫として宗教を使い、そのエネルギーは正統な[恩寵の手だて]を通して各宗教の誠実な信奉者に与えられる。次の段階では、偉大な英知の活動が行われる。大師達は高度な英知を様々な思考形態として発信する。これらは天才的な人物によって受信され、同化された後に世界へ伝達される。大師達はこの段階において自分達の望みを弟子たちに発信し、弟子たちに彼等が着手すべき課題を告げる。次の段階では、低次のメンタル界での活動が始動する。ここでは現実的な精神に影響を与えて、世界にとって有益な活動を行うように導く思考形態が発信される。またこの段階では、天界に生きる存在への指導も与えられる。次には中間的な世界における広範な活動、所謂[死者の魂]に対する援助、若輩の弟子たちに対する導きの一般的な方向付けと監督、さらには無数の要求に対する援助がこのレベルで行われる。物質界においては、そこで起こる出来事の傾向を監視し、法の許す範囲で邪悪な動きを是正及び緩和し、進化を助ける力とそれを阻む力の均衡を常に図り、更には善の強化と悪の弱体化に向けた活動を行う。また大師たちは諸民族の天使たちと協力して、他の存在たちが物質界を導く一方で、霊的な諸力を導いている。」

こうしてみると、グルの恩寵は限りなく広く、且つ深いように思えるが、最後に、『インテグラル・ヨーガ』から恩寵としてのグルに関する記述を引用しておきたい。

「・・・だが心が純粋になってしまえば必ず誰かが現れて、我々にそれらの本当の意味と為すべきことを教えてくれる。“弟子の用意が整うと、グルが現れる”というのは良く知られたヒンズーの諺である。受信機がうまく調整されると、音楽が入って来る。こちらから来て下さいと言う必要はない。我々がしなければならないのは自分自身を調整することだけだ。そうすると、一秒のズレもなしに、グルが何らかの形で現れる。もしこちらの準備が整っていなければ、周りに何千人のグルがいたって何にもならない。グルは我々に何も押し付けることはできないからだ。我々の方に受け取る用意が無ければならない。丁度、ラジオの中に音楽はあっても、ラジオがスピーカーを無理やり振動させて音楽を出させることが出来ないのと同じである。だからその準備が、つまりヤマとニヤマのような徳性を培うことが非常に大切になってくるのである。」

即ち、アーサナ、プラーナヤーマ、マントラジャパ等の習練を日々実践することも含め、前回ふれたヤマ(禁戒)とニヤマ(勧戒)を地道に実践すること、それは取りも直さず、 “恩寵としての真我”に従って行動することでもある訳だが、そうして自身を純化して行くことこそが、グルとの出会いに至る為の王道なのであろう。

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