アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第14章 道 ⑭初めてのサマーディ?

2011-09-23 06:10:09 | 第14章 道
筆者がパタンジャリのヨーガスートラ(『インテグラル・ヨーガ』スワミ・サッチダーナンダ著、以下、著者)を読んで最も難解であった個所は、サマーディ・パダの第17節以降である。そこには、サムプラジュニャータ・サマーディ(有想三昧)とか、アサムプラジュニャータ・サマーディ(無想三昧)など耳馴れない言葉が解説されている。少し引用してみたい。

17節 サムプラジュニャータ・サマーディ【区別ある三昧】(有想三昧)には、論証性【尋】、反射【伺】、歓喜【楽】、及び純粋な我―性【我想】が伴う。

18節 心の作用の完全停止が確固不抜に修められることに依って、後に残るのは印象【サンスカーラ、行】のみとなる。これが今一つのサマーディ【アサムプラジュニャータ・サマーディ、区別なき三昧】(無想三昧)である。

無論各節の後、著者の解説が続くのであるが、それを読んでも難しい。そもそもサマーディを経験したことの無い人が読んでもそう簡単に判る筈は無いと思うのだが、筆者の知人の中にはそれを経験してなくても或る程度は理解出来る人も居るようなので不思議である。しかし、若し我々一般人でもそこそこ理解出来るのであれば(最初、筆者には全く判らなかったが)、例えば本章⑧‘最澄と空海’において説明した最澄の場合はどうだったのであろうか。すなわち、最澄は筆授という日本古来の仏教導入のしきたりに最後まで固執したことをそこで述べたが、常人には無理でも、彼は若しかしたら経典を読んだだけで、本当にその境地にまで到達できていたのかも知れないなどと思ってしまう(恐らく最澄は菩薩級の高級霊が地上に転生してきたものであろうから、前世での経験を記憶していたという可能性は大いにありそうである)。

いずれにせよ著者は、このサマーディに到達することが如何に大変であるのか、次のように解説している。

「若しあなたが“サマーディ”を今すぐ修めたいと思っているならば、サマーディは集中と瞑想が完成した後でなければ可能とはならないということを知っておくべきである。そのときの心は、一点集中を得て完全な制御下に置かれていなければならない。サマーディを修めるには心の全てが用いられねばならないからだ。」

ところで、自己実現に到る道程としてサマーディが先か或いはクンダリニ覚醒が先か、筆者は明確な解を持ち合せていなかったが、いずれもそれ無しに自己実現(大悟解脱)はあり得ないと断言できるほど重要なマイルストーンである。ところが『ババジと18人のシッダ』(以下、同書)を読み返していたところ、“クンダリニの覚醒と修行の諸段階”という、この点に関連する記載があったので引用しておきたい(一部は既に以前引用済みで重複も有るかも知れない)。

「クンダリニを覚醒させる前の段階において、イダーとピンガラーの両ナーディ(筆者註:背骨の両脇を垂直に通っている気脈)の浄化と、チャクラやスシュムナー(背骨に沿って流れる気脈)の覚醒を実現するためには、様々な技法を段階的に実践することが極めて重要である。これを怠ると、困難な問題や否定的な影響が生じるからである。もしクンダリニが覚醒する以前にチャクラが開いていないと、エネルギーの流れがいずれかのチャクラにおいて滞ってしまい、そのチャクラに結び付く行動様式が増幅されることになる(12章⑥参照)。・・・こうした事態は、結果的に数多くの性的・神経症的な問題を生む。同様に重要なことは、チャクラを徐々に目覚めさせることである。チャクラが余りに急速に覚醒すると、人は激情、恐怖、不安、貪欲、憂鬱、過去世の記憶などに圧倒されてしまうであろう。この為に、クンダリニ・ヨーガの実践の第一段階においてすべきことは、アーサナ、バンダ、ムドラー、そして後にプラーナヤーマの実践によってナーディを浄化することである。またヨーガの実践者は菜食をして、いかなる刺激物(筆者註:酒、タバコなどを指すと思われる)の摂取も避け、イダー、ピンガラーの両ナーディを交互に通過するプラーナの流れに不均衡を生じさせる過食、不規則な食事、否定的な態度を避けるべきである。」

「瞑想を実践することは、この段階にあるヨーガの実践者が、自身の否定的な傾向を取り除いて、穏やかな気付きを得ることを助ける。ババジのクリヤー・ヨーガにおける第一番目の瞑想法(筆者註:第一イニシエーションで伝授される)は、旧来の性癖や否定的な態度の根源である“チッタム”即ち潜在意識の浄化に焦点を当てている。更にプラーナの流れを上位のチャクラに上昇させるためには、他者への無私の奉仕、聖者の生活や霊的・形而上学的な事柄を題材とする書物の研究、更には、献身的な活動を初めとする諸活動に携わることも大切である。」

「準備の第二段階に於いてはチャクラの覚醒を行う。・・・チャクラを覚醒させる方法は数多くある。最も望ましいのはチャクラを徐々に覚醒させる方法である。こうした方法に、アーサナ、ムドラー、バンダ、ビージャ・マントラがある。チャクラに焦点を当てた瞑想法にも大きな効果がある。・・・」

「準備の第三段階では、スシュムナー・ナーディを覚醒させる。イダー、ピンガラーの両ナーディのエネルギーを均衡させると、第三のナーディであるスシュムナーの覚醒は自動的に起きる。しかし通常これは一時的で散発的な覚醒となる為に、この状態を定着させる為には、イダーとピンガラーの両ナーディのエネルギー・バランスを保つ為に、呼吸法や瞑想法などからなる特定の技法を実践することが重要になる。・・・イダーとピンガラーの均衡が持続しているときにのみ、クンダリニは爆発的な勢いで目覚めて、スシュムナー経由でサハスラーラ・チャクラへと到るのである。」

「チャクラが覚醒すると心地よい体験や、時には創造を超えるような体験が次々と起こる。多くの場合、これらは非常に美しく至福にみちた体験となる。このような体験はいつでも起こり得る。チャクラの覚醒に伴って、性器、肛門、臍、心臓、額等のチャクラに対応する肉体の部分に熱や冷たさを感じることもある。こうした体験が起きたならば、それは“タパス”、すなわち長期にわたって集中的にヨーガを実践することが、その人にとって望ましいことを教えている。ヨーガを集中的に実践する場所は、ヨーギ、聖者、賢人またはシッダによるヨーガの修行によって浄化された所で無ければならない。」

「・・・クンダリニの覚醒にはいくつかの段階がある。初期の段階においては、一般的に眉間のセンター、即ちアジュニャー・チャクラに大いなる光を見るようになる。これは長い時間をかけて徐々に起こる。心は以前よりも静まって食欲が減退する。イダーとピンガラーの両ナーディの均衡がとれて、何日間も持続して両鼻孔から同時に呼吸をするようになる。そしてついにクンダリニが上昇すると、それは電気ショックのような爆発的な勢いで脊柱の基底部から頭頂部のサハスラーラ・チャクラにまで上昇する。・・・」

「一旦クンダリニ体験が安定してくると、ヨーガではサマーディ(三昧)、仏教ではニルヴァーナ(涅槃)と呼ばれる普遍的な愛のビジョン、強烈な至福感、そして自己実現を体験する。この状態においては、呼吸や心拍が数時間からときには数日間も停止することがある。この状態にある人は死んでいるように見えるが、もし瞼を開けてみれば、その人の眼がプラーナのエネルギーによってダイヤモンドのような輝きを放っていることが判るだろう。サマーディの状態にある人は、ことの次第を知らずに埋葬や火葬を望む家族や公的機関から守られる必要がある。もしサマーディに入ってから21日以内に意識が現実に戻らない場合には、肉体に意識を戻すことを本人に優しく促すべきである。・・・」

ここまで書いたので、この先に何があるのかも同書から引用しておきたい。

「サマーディの状態から現実に戻った人は、通常の生活を営むことが出来るが、以降は終生にわたって、随時、高次の意識と繋がることが出来る。こうして高い三昧の境地を繰り返して体験することによって、クンダリニが上昇して自己の変容が起きる。霊的な次元におけるサマーディの状態を通して、二元性のない“至高の実在”を体験した後には、この聖なる意識とそれに属する崇高なエネルギーが下降して、これより下位にある知性体、メンタル体、生気体、そしてついには肉体にまで浸透する。これによって神聖な特性や卓越した才能が顕現するようになり、自我意識は徐々に融解する。“神性”が霊体において顕現すると人は聖者となり、更にそれが知性体に顕現すると賢者に、次にメンタル体と生気体に顕現するとシッダに、そして最後に肉体に顕現すると“マハー”と呼ばれる最高のシッダとなる。最終的には肉体細胞も神聖な不滅性で満たされるようになり、この聖なる意識に従うようになる。こうして肉体は、事実上神の殿堂となり、この状態に特有の黄金の輝きを放つようになる。・・・このような境地に到ることは極めて稀であり、幾度もの転生を通して霊的な進歩を重ねなければ実現することはない。・・・この境地に到る秘訣は、下降して変容をもたらす“神性”に対して自己を全面的に明け渡すことにある。シッダたちが自己を神に明け渡すことを最高の理想としているのもこのためである。・・・」

前置きが長くなったが、このようなサマーディに到る技法を3種類、第三イニシエーションの9日目に教えて貰えるということで、筆者の期待はいやが上にも高まった。更に師からは、このサマーディの状態に到達した証しとして、呼吸が止まるので、その状態を良く意識しておくように前もって告げられた。

ここでいつも繰り返している言葉を再三書かなければならないのは心苦しいのだが、筆者はこれらの技法に就いて詳細に語ることは許されていないので(それらを明かさないという誓約書を差し出している)、便宜上それらの技法に夫々ABCを付けて区別すると共に、概要のみ説明しておきたい。

技法Aは、呼気と吸気の際に、夫々ある言葉を念ずることで、無呼吸の状態に導くものである。
     前述の第17節に対応する。
技法Bは、瞑想を通じて、金色の光を体験するサマーディである。呼吸は停止しない。
技法Cは、意識を体の特定の部位においたまま行う瞑想法である。前述の第18節に対応する。

これらの技法3種類は、それを実施する直前に、かなり長い間プラーナヤーマ(それも二種類)を行う必要があるので、夫々一時間位の間坐り続けていなければならない。しかしこの合宿も既に9日目に達し、その間技法の伝授をうける間、或いは講義を聴く間、筆者は殆ど床に座っていたので、腰痛に悩まされ始めると共に、足の痺れや痛みが随分と気にはなっていたが、とにかくあこがれの境地、サマーディに到達できるという最も重要な技法なので、意を決してこの技法に臨んだ。

技法Aの概要が師から説明され、皆で先ずプラーナヤーマを開始する。このプラーナヤーマは2種類あるが、最初のプラーナヤーマは、第一イニシエーションで伝授されたもの、次のプラーナヤーマは第二イニシエーションで伝授されたものを行う。更に続けて技法Aに進むのであるが、これは或る意味でマントラと呼吸法と更に瞑想を三つ組み合わせたようなものである。
技法Aに進んでどの位の時間が経過したのであろうか、おそらくは15分から20分程は経過していたものと思う。一向に呼吸停止の状態にならないので、半ば諦めかけていたところ、眼の前に月の表面のような映像が映しだされ、意識状態が変わりつつあるように感じ始めたところ、突然小さいながらも明るく、金色に輝く光が目の前に広がり、その金色の光がどんどん大きくなっていったかと思うと、筆者は突然宙を飛んで別の建物の中にいるような感覚になった。そこは壁も、天井も、柱も金色に輝く宮殿のような大きな建物で、その天井近くを浮揚しながらゆっくりと旋回しているような感覚である。間もなく師が瞑想の終わりを告げるチャイムを鳴らし、現実の世界に引き戻された。その後、師から皆に対して、その瞑想での体験を発表するように指示があり、何人かは実際に呼吸が止まったことを話していた。筆者も挙手して、自身の体験(上記)を話したが、皆の体験とは全く異なっていた。師からは、呼吸が止まったかどうか聞かれ、正直余り意識していなかったが、呼吸が止まったという意識は無かったので止まらなかったとのみ答えた。師はその時何も云わなかったが、今にして思えば、筆者は技法Bの意識状態を体験していたのかも知れない。

その後技法B、技法Cを夫々実践した後、第三イニシエーションの9日目は終了したが、残念ながらその日、筆者は遂に呼吸停止状態を体験することが出来なかった。最後に師から、呼吸停止を経験した者は挙手するように云われたが、手を挙げたのは16名の参加者の内、7-8名程度であった。師は、通常であれば、参加者は全員呼吸停止を経験する筈なのに・・・と言いながら、仕方が無いので最終日の朝、その日は本来であれば朝食を済ませた後昼前に解散になる予定であったが、5時半に研修ルームに集まり、朝食前にもう一度全員でこれらの技法を試して見ようということになった。

翌朝は5時半開始なので、少なくとも5時には起きなければと思いながら10時半頃に眠りについたが、起きてみると時計の針は2時半を指している。本当はもう少し眠って、最後のレッスンに臨みたいと思っていたのだが、意識はかなりはっきりしていて再度眠りに入ることは出来そうにない。その時、ふと思ったのは、こんなに早く起きると言うことは、若しかしたらハイアーセルフからのメッセージなのかも知れないということで、思い切ってそのまま起床することにした。ミーティングルームに入ると、さすがに誰も起きていない(通常は4時位から早く目を覚ました参加者がめいめい瞑想したりしている)。筆者は正面に飾ってあるババジの写真に礼拝し、独りでアーサナを行うことにした。確か18種類全て行ったので、2時間近くを要したと思う。然しそれでも5時半までは大分間があるということで、バンダかマントラ・ジャパを行ったように記憶している。しかし流石にエネルギーが切れたような気がしたので、そこで白湯に蜂蜜をとき、それを飲みながら一息いれた。

5時半に師が所定の場所に座り、いよいよ最後のレッスンが始まることになった。この最後のレッスンは、2種類のプラーナヤーマを実施したのち、技法A→技法B→技法A→技法Cの順に続けて行うものであったと記憶している。従って技法Aは二回行うことになり、都合1時間半ほどは坐り続けていたのかも知れない。

いざレッスンが始まったが、最初の技法Aでは呼吸停止は経験できず、仕方なく技法Bに進む。しかし、前日のような鮮やかな輝く金色の光ではなく、眼の前が黄金色に輝いている程度の状態であった。そして再度技法Aに戻ったのであるが、なかなか呼吸停止は起こらない。今回も失敗かなと諦めかけていたところ、徐々に呼吸のペースと量が落ちて行き、自然に呼吸が止まる状態を経験することができた。ところが、未だ完全なサマーディでは無いためか、徐々に呼吸が苦しくなり、次に心臓の辺りが痛くなってきたので少し体を動かしてその状態を一旦解き、息が楽に出来る状態に戻した。又この時体が非常に熱くなるのを感じた。苦しかったので少しの間呼吸を整え、次に技法Cに進むことにした。ここでは、何故か目の前が真っ白になり、まるで冬山の中で一面雪に覆われているような光景が眼の前に広がり、想念をかなりはっきり制御できるような意識状態(ヨーガニドラーで体験したトゥーリヤと呼ばれる第4の意識状態と同じように感じた、第13章⑩を参照)を経験することが出来た。かれこれ一時間半近くも坐り続けていたのではないだろうか、瞑想を止めて呼吸を整えていると、間もなく師が瞑想の終わりを告げるチャイムを鳴らした。その後、師から各自の体験を発表するよう求められ、何人かが自身の体験を発表した後、筆者もその時の様子を前述の通り説明したところ、それらはサマーディの初期段階で経験する現象や状態と一致しているとのコメントを頂いた。

これで筆者も何とか、サマーディの初期段階に到達することが出来たようであるが、同書に書かれたクンダリニの覚醒(上述)は未経験であり、より深いサマーディの状態に到るまで、この先未だ暫くは修行が続きそうである。

尚、このブログは書き込みが出来ないよう設定してあります。若し質問などがあれば、wyatt999@nifty.comに直接メールしてください。


最新の画像もっと見る