なんとか朝5時に起床し、メンバーの車で更別村へ。
十勝インターナショナルサーキットに着いたのは、午前9時を少し回ったところだった。
ゲートで入場料1,000円を支払い、荷物を抱えてサーキットに入る。
ピットで先発隊と合流する。
先発隊は車検を済ませ、ピットに一番近い場所に休憩テントを、トイレに一番近い場所にキャンプスペースを確保していた。
ピットは1チームあたり3m×2.5mしか割当てがないので、全員は入りきれない。
必然的に休憩テントとを往復することになるため、休憩テントがピット前に取れたのはありがたかった。
参加誓約書に署名し、リストバンドを装着すれば選手登録完了となる。
遅れたが、我々のチームを紹介しよう。
ゼッケン 109番
チーム名 バルコ札幌自転車部赤ワイン
クラス Over350(選手全員が30歳以上で、合計年齢が350歳以上の8~10人のチーム)
解説 ツール・ド・北海道市民レース経験者を2名擁する本気チーム。私はこっち
ゼッケン 110番
チーム名 バルコ札幌自転車部白ワイン
クラス ママチャリ(標準的なクラス)
解説 プロの料理人やプロのカメラマンなど、異種混合ここに極まれり(女性2名含む)。タイム度外視のお遊びチーム
午前11時、レースが始まった。
レースを先導するのは、Openクラスの数台。
Openクラスはカゴ付きロードバイクのようなマシンなので、異次元の速さである。
無改造3段変速のママチャリでは、プロライダーでも付いて行けまい。
13周目、ついに出番が回ってきた。
前走者からママチャリを受け取り、いざサーキットへ飛び出していく。
初めて乗る自転車に、初めて走るコースである。
コース図は頭に叩き込んでいるが、実際にどれくらいまで攻められるのかは未知数。
1周目は様子見といいながらも、レースは始まっている。
気持ちだけが先走り、ヒヤッとする場面もあったとかなかったとか…。
13周目と14周目を走り切り、次走者へバトンタッチする。
ラップタイムは6分台の後半。
1周が3.4kmなので、平均時速は30km超である。(←ママチャリの速さではない)
なのに、チームメイトよりかなり悪いのだ。
走る前までは自分が引っ張る気でいただけに、ショックは大きかった。
というか、ママチャリレースを甘く見ていた。
12時間耐久レースとか言うから、持久系だとばかり思っていた。
まさか、6.8km(バルコチームは2周1セットが基本)のスプリントだったとは…。
子どものころから短距離走は下の下であった私。
それは今も変わらない。
ところで、F1などと違い、バトンタッチはコースのピットウォールサイドで行う。
なので、走り始めてすぐに本物のピットレーンが合流してくる。
むろん、そこにはホワイトラインがあるわけで、ついつい踏んではいけない気がしてしまう。
しかしそれは、1コーナーへの距離を大きくロスするだけなのであった。
1周でも試走できていればと悔やまれる。
レース開始から5時間が経過。
ここで天気予報どおり雨が落ちてくる。
予報では1mm未満だったはずなのに、かなり激しい。
しかし、レッドフラッグは出ない。
レース続行である。
ずぶ濡れになって戻ってくる仲間からママチャリを受け取り、コースへ出ていく。
こうなればやけくそだ。
前方車両の泥はねなど気にもせず、ピッタリとスリップにつく。
コーナーだけは少し余裕をもって曲がり、直線は激走。
結果、ラップタイムはそれほど下がらなかった。
ウェットコンディションでは、多くのチームがペースダウンする。
その中でラップを維持できれば、自ずと上位が見えてくる。
実際、この時間帯に順位が1つ上がったらしい。
テントで仮眠を取ってピットに戻ると、ナイトレースになっていた。
全車、ヘッドランプ2灯、テールランプ1灯の点灯が義務付けられる。
コースは要所要所に投光器があるものの、基本的に真っ暗。
しかも雨ときたら、ヘッドランプが2つあったとしてもほとんど何も見えない。
それでも出番はコンスタントに回ってくる。
前方車両の真っ赤なテールランプと縁石上のパイロンだけを頼りに、体力が続く限りこぎ続ける。
距離感がつかめないから、たまにスロー走行車がライン上にいたりすると危なっかしい。
夜、雨の中、時速30kmで走るママチャリ…。
危なくて当然である。
午後9時、レース開始から10時間が経過。
12時間耐久レースも佳境である。
自称監督(最初は選手だったはずだが)の采配もせわしくなる。
というのも、チームの半分近い人たちが、レース後のバーベキューの準備のためにピットから抜けてしまったからだ。
残されたメンバーで2時間を回さなければならない。
これまで90分に1セット出走すれば済んだものが、にわかに60分1セットになる。
だが、ここで生来の持久力がものをいいはじめる。
残り36分、最終ランが回ってきた。
監督の計算は、1周7分でチェッカーギリギリで5周を消化し、6周目でチェッカーだ。
ここまで6分台後半から7分台前半の私。
ここが正念場。
私が6分台で繋げば、後ろはツール・ド・ホッカイダー(?)の2人。
間違いなく6分台で走ってくれる。
とにかく我武者羅に走った。
途中の記憶はほとんどない。
1周目の最終コーナーを立ち上がったところで、残り30分のアナウンスがあり、7分×4周=28分…5周目ギリギリとか計算したのだけは覚えている。
2周を終えてバトンタッチ。
タイムは2周とも6分台の後半だった。
役目は果たした。
後は任せたぞ。
午後11時、チェッカーが振られ、12時間の長いレースに幕が下りた。
監督の采配どおり、我がチームは残り1分でコントロールラインを通過し、6周目に入れた模様である。
最終結果は108周、クラス別4位、総合22位。
惜しくも表彰台は逃したが、チームメイトには笑顔があった。
それが、充実感から来るものなのか、この後に控えているバーベキュー&ワインへの期待からなのかは、知る由もない…。
【本日走行距離C】47.6km(3.4km×14周)
【積算走行距離】3171.2km(3123.6+47.6)
※「C」はママチャリ(シティサイクル)での走行距離を表します。
※積算走行距離は、MTBとママチャリの積算走行距離の合計値です。
(2014.10.26追記)
打上げで配布されたタイムカードにより、実は16周走っていたことが判明した。
これにより、3.4km×16周=54.4km(6.8km増)となるのだが、遡っての修正はしないことにする。