おはようございます。
今朝は8:30頃起床する。カーテンを開けても部屋が暗い。
天気は曇り。天気予報によれば今日は昼前から雨の予報。
朝食はウイダインゼリーとコーヒー。朝の薬をお茶で飲む。
午前中はFMを聴きながら、PCでネット三昧する。
・マイクロソフト、4月の月例パッチはIEの脆弱性とEolas問題に対処。
11:00頃から雨が降ってきた。
11:30頃カップラーメンで昼食を取る。
ここの店の味をカップラーメン化したもので、私はとても美味いと思う。
外は雨天なので、自宅の部屋が日中でも暗い。
暗いと眠くなる。
昼の薬を飲んで、しばらく横になる。横になっているうちに寝てしまう。
・・・
一眠りした後、まだ14:30だがカーテンを閉めて、部屋の灯りを点けて明るくする。
羽田空港14:30のMETARは
RJTT 050530Z 03017KT 5000 -RA BR FEW006 BKN012 BKN015 10/10 Q0997 RMK 1ST006 6SC012 7SC015 A2946 MOD TURB 5000FT 10NM S OF KISARAZU VOR BY B772 AT 0518
気温10度、湿度100%、気圧997Hpa、大気は不安定でウインドシアーが観測されているようだ。
午後もFMを聴きながらのんびりする。
コーヒーが美味い。
今日はインターネットで新聞を見ても、特に重要な記事は無いようである。
コラムに挑戦。^_^;
写真撮影について。--------------->
私が写真を本格的に始めたのは1989年頃である。目的は当時行っていた山岳旅行の記録撮影のためである。山には以前から登っていたが、「山は動かないからまた来れば良い」的な発想で、まったく画像としての記録を取っていなかった。今考えれば非常にもったいない事をしたと思う。
写真を本格的に始めると、最初はネガフィルムだったのが、ャWフィルムを使用するようになり、白黒からカラーへと使うフィルムも変化していった。1993年頃からはすべてャWフィルムで撮影するようになった。そしてついに山岳以外の撮影に出かけるようになってしまったのである。
なぜそうなったのかといううと、私の心が「写真する事がとても楽しい」と思うようになったのである。写真するという目的を持って集中して物を見る事によって、山岳中に今まで気がつかなかった小さな花を見つけたり、微妙な山の表情の美しさに気がついたりするようになり、世界の美しさや人々の生き様に触れる事で「それらを感性で感じ取って楽しむ」事の楽しさを知ってしまったのである。
1994年頃から私が撮影する主な被写体が航空機や鳥に変化していった。自分が本質的に空を飛ぶものを自由の象徴として捉えていたのかも知れない。これらの被写体の撮影に集中する時、私の心がその間開放される快感を感じていた。奮発して望遠レンズを購入し、必死にMFで動体を追いかける日々が続いた。
時々出来た写真がマンネリ化する事もあった。鳥は自分が考えたように撮影するためにはたびたび長期戦となり、休暇を無駄に使うこともしばしばであった。長期戦の挙句途中で撮影をあきらめてしまい逆にストレスになる事もあった。航空機は単体ではなかなか写真作品にはならないため、気象条件や背景処理のためのロケハンなどに時間を費やす事が多かった。また撮影機材の重さに耐えかねて、撮影に集中できない事もあった。この時期の写真を見ると、気持ちに余裕のない自分がいるのが分かる。
この頃は本業も非常に忙しく、
体調も万全ではなかったので、そのせいもあると思う。
2000年頃から個人でデジタルカメラを使うようになった。仕事では1995年頃から発展途上のデジタルカメラを触っていたが、コンシューマ向けのデジタルカメラの価格が下がったので購入した。私の場合デジタルカメラを手にした事によって撮影スタイルが変ることは無かった。しばらくフィルムカメラのお供に持って行き、主に日常スナップを撮影していた。
2001年、私が所有していた撮影機材のメーカーがフィルムカメラから撤退する事が決まった。すべての撮影をデジタル化するのには時期早々と考えていたが、時代の流れには逆らえないという事で、フィルムカメラ機材をほとんどすべて売却して、大枚をはたいてデジタル一眼レフカメラを購入した。その機材は撮影手順はフィルムカメラと同じだが、新しい概念であるデジタルに特化した機能も多数搭載していた。私は本業の関係もありほぼ抵抗無く移行する事ができた。しかしある程度予想はしていたが、このメーカーのデジタル一眼レフカメラはレンズは高価なズームを選択しなければならず、レンズの焦点距離が1.5倍に伸びてしまうなど、欠点も多かった。しかしデジタル一眼レフが発展途上である事は良く分かっていたので、撮影中はあまり気にしないようにした。
写真撮影をデジタル化する事によって、撮影画像の現像から印刷まですべて自分で出来るようになった。一種のカルチャーショックを受けている自分がいた。フィルムカメラの時には現像はプロラボへすべて任せていたが、自分で現像できるようになった。写真による自己表現の幅が広がったと言えると思うが、フィルムとは異なるデジタル特有の発色、色空間やラチュードの違いに最初はかなり悩まされた。
デジタルで撮影を続けていくうちに、私の中では常に「これでいいのだろうか」という不安感がつきまとっていた。写真をデジタル化して保存し続ける事への疑惑感のようなものである。フィルムは長期間保存できるが、デジタルはどうなのか。デジタルは複製が簡単に作れるが、著作権を守るにはどうしたらいいのか。デジタルは加工できるが、加工した画像は写真と呼べるものなのか。
今私の撮影手法はフィルム時代とまったく変っていない。撮影機材はフィルムに発色が近い新しい機材に変ったが、基本的には何も変っていない。趣味であれ仕事であれ、作品表現はまず「自分ありき」であると思う。人の評価に左右されず、自分の内側から湧き出る「美しい」とか「感動した」とかそういった自己否定できない気持ちを、どんな僅かでも大事にしてシャッターを切る。自分はそうありたいと思う。写真は撮影者の心の状態をそのまま映し出す。今口先だけのデジタルうんちく家、プロカメラマンが蔓延し、山のようなデジタルハウツー本が書店に並んでいる。プロカメラマンは撮ってなんぼの世界。ちゃんとしたデジタル作品があるかどうかは重要である。「口先だけのカメラマンには」注意しましょう。
---------------------------------> コラム終了。^_^;
18:30頃夕食の買出しのため外出する。
2日前に購入したいくらが沢山余っているので、全部使っていくら丼を作ってみる。
美味い。(^.^)
明日の天気は晴れのち曇りの予報である。最高気温14度。天気がよければ外出したいな。
今日は在庫から1枚。「りんかい線開業10周年」
E-500+SIGMA18-50mm