--- サイド・バイ・サイド(1) からの続き---
映画『サイド・バイ・サイド』が取り上げている「フィルム映画からデジタルシネマへの移行」は、音楽制作現場で起こった「録音システムのコンピュータへの移行」と、実はよく似ている。
たとえば今は、パソコンが1台あればマイクをつないで歌声や楽器の音を取り込み、サウンドファイルとしてHD(ハードディスク)に記録することができる。自宅でコツコツ録音しているアマチュアのクリエイターも、いわゆるメジャーな音楽スタジオでエンジニアと大規模な録音を行っているプロも、基本的には同じ作業を行っていると言っていい。
しかし、かつての録音とは磁気テープに記録する作業だった。SONY PCM3324のようなレコーダーの出現で「デジタル化」は一足先に始まっていたものの、それでも音はテープというメディアに記録されていた。ところが80年代末からコンピュータが録音メディアに使われるようになり、音楽制作の様態は激変した。
音楽の場合は映画と違って「アナログからデジタルへの変化」よりも「テープ録音からコンピュータ(ハードディスク)録音への変化」の方が、さらに革命的だった。この「革命」以降を、ここでは「DAW時代」と呼んでおこう。
音楽制作におけるこの劇的な変化を、『サイド・バイ・サイド』で様々な職能のプロフェッショナルたちが語っている映画界の変化に、僕もまた「並べて(サイド・バイ・サイド)」比較してみようと思う。
1. 制作システム
映画 フィルムはとにかく高価。しかしデジタル化でコストが大幅に削減された。その結果、学生や若者、志を持つ個人が映画を作る可能性がものすごく広がった。
音楽 音楽のマルチトラック・テープも高価。さらにレコーダーやミキシング卓、エフェクタといった録音機材がまた高価でメンテナンスが必要なため、「業務用」のスタジオはアマチュアとは全くレベルの違う世界だった。だがDAW時代以降、それらもプラグイン・ソフトで事足りるようになり、安価な初期投資で録音制作ができるようになった。また結線や機材の扱いなどのエンジニアリング知識がなくても、凝った録音作業ができるようになった。結果として、経験は少ないが面白い音を作る若者や、全てを1人で作りあげる個性的なトラックメイカーが、どんどん作品を発表している。
2. 収録現場
映画 フィルム撮影の結果は、現像を経た翌日のラッシュ(試写)まで観られない。またフィルム交換などの物理的制約で、撮影はしばしば中断される(その間に監督が思考を深める時間の猶予があるとも言える)。俳優としては「フィルムだと待ち時間に集中力が途切れてしまう(マルコヴィチ)」という意見もあれば「デジタル映画はぶっ続けの撮影になりがち。休ませてほしい(ロバート・ダウニー・Jr)」という意見も。
音楽 DAWでは録音終了の0秒後には録った最初から聞き直すことができるが、テープ録音の時代は数十秒以上かけてテープを巻き戻す時間が絶対に必要だった。時間はかかったが、今にして思えば気分を変えて「音」に集中するのに、そのちょっとした沈黙の時間が役立っていたようにも思われる。今でも間をとれば良いだけのことだが、不思議なもので、すぐに聴くことができるのにあえて間をとるという行動は人間なかなかできないものだ。
総じてデジタル技術は、あらゆる場面を効率化し作業スピードを速くしている。その結果、操る人間の側も無意識に思考のスピードを上げざるをえない。熟考よりも反射的な行動の方が多くなっているのではないか。(文章や発言にも言えることだ)
映画 『スラムドッグ・ミリオネア』では、バックパックに機材を詰め、小型カメラを抱えてカメラマンも疾走しながら撮ったため斬新な映像ができた。重くて大型のフィルム機材では不可能な、こうした表現の可能性がデジタルシネマにはある。
音楽 小型で高音質なデジタル・レコーダーを野外に持ち出して録音するフィールド・レコーディング。とっさの思いつきをスケッチのようにサッと録音して、そのまま最終的な音源に使用する制作方法。コンパクトでイージーな方法で音質の良いサウンドを収録できるからこその、様々な表現の可能性が音楽にもある。
3. 職人芸
映画 フィルム時代、撮影監督だけがファインダーを覗く事ができた。その技術は神聖な「匠の技」だった。ところがデジタル時代、レンズが捉えている映像はリアルタイムにモニターに映し出され、皆がそれに口をはさむ。そこに「神秘」はもはや無い。
音楽 巨大なミキシング卓でエンジニアが何をやっているかなど昔のクライアントにはなかなかわからなかったが、DAWの画面なら今なにが行われているか一目でわかる。結果、エンジニア以外の大勢がモニターを囲んで「この波形の、ここの部分は切っちゃったら」「この部分だけピッチ下げて」とかワイワイ口出しする光景もありふれたものとなった。
4. 質感
映画 デジタルには劣化が無いので、何度でも複製し加工することが可能。『シン・シティ』や『アバター』のような、現実にはありえない虚構の世界を望むままに作れるようになった。一方では、今なお「フィルム独特の映像美や質感」にこだわり続ける監督や撮影監督も多い。しかし全体としては、フィルム撮影は高価で贅沢な「監督のこだわり」の世界になりつつある。
音楽 DAWでは、テープの時代と違ってノイズを増やすことなしに無限の演奏を多重録音することが可能になった。また、秒どころかビット単位までこだわってタイミングやボリュームやピッチといった要素が操作できるようになったので、かつてと比べ物にならないほど緻密な編集ができるようになった。映画監督と同じく、独特の質感にこだわって今もアナログ・テープに録音するアーティストもいるが少数派。また一種の「エフェクター」として時にわざとアナログ・テープを使う場合もある。
5. 鑑賞
映画 フィルムの場合「個体差」が大きい。映画館やプリント、映写機などのファクターで上映の質には大きなばらつきが生じるため、制作者が理想とする均質な上映は難しい。一方でデジタルシネマは、地域差も館による差もほとんどなく、理想の状態で見せることができる。しかし同時に、映画は特別な体験ではなくなった。デジタルデータになってからは、日常的にモバイルで小サイズの映画を観る人が多くなったので、制作者としてはがっかりすることも。
音楽 音楽では「鑑賞のデジタル化」は、DAWに先んじて80年代初頭のCD発売から始まっているため、映画と同様「特別な体験ではなくなった」状態が既に何十年も続いている。鑑賞環境はむしろ劣化(かつては家庭用オーディオやラジカセで聴くのが普通だったが、今やパソコンの内臓スピーカーやイヤフォンで聴かれる方が多いのではないか?)しているが、インターネットを通じたクラウド化などの様々な変化は、まさに進行中。
6. 保存
映画 デジタルでは再生の規格がころころ変わるし、再生機器が販売中止になれば作品はすぐに観られなくなる。一方、フィルムは1909年から規格が変わってないため、100年前の映画を今も鑑賞する事ができる。さらに、フィルムは物理的に残るがデジタルシネマには適切な保存方法がない。HDに保存してディスクが壊れる前に複製を作り続けるしかないが、実際問題たいへん困難だ。
音楽 保存については映画以上に問題がある。アナログ・レコードはレーザーで読み取ってでも再生できるが、カセット、DAT、MD、CD…全ては再生機に依存しているため、多くの録音物が短期間に聴けなくなってしまっている。サウンドファイルをデータとして残すのも、映画と同じく困難だ。
……と、まあ、まだまだ色々あるが、このぐらいにしておこう。
個人的には
「全ての人に紙と鉛筆を持たせたからといって、秀逸な物語が生まれるわけではない」(デジタルだから新しい作品が作れるとは限らない。大事なのは内容だという意見)(デヴィッド・リンチ)という発言と
「フィルムは100年の歴史を経て既に頂点を極めた。デジタルはまだ生まれたばかりの赤ん坊なんだ」(いま判断してもしょうがない。どんどん育てていくべきだという意見)(ジョージ・ルーカス)という発言に深く共感した。
どちらも、音楽についても同じことが言えると思うからだ。
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