写進化・ヲアニーの徒然日記

秀峰大山を中心に山陰地方の風景等を掲載。(※古い記事の画像は、削除しているのもあります。)

[平田:木綿街道(4)]本石橋邸にて

2015年03月24日 | デジ亀散歩

再び、木綿街道をUPします。

交流館の担当者に、隣接の「本石橋邸」を案内していただきました。
ここの見学料は200円です。平日とあってか観光客は見かけず、私と家人とで独り占め・・・いや、二人占めでゆっくりと案内してもらうことができました(笑)


本石橋家はこの地の大地主で、木綿街道の町並みの象徴する存在です。
国登録有形文化財に認定され、その際の「本石橋家住宅調書」には「宝暦年間」となっています。
建築年代を確定する資料は確認されていませんが、270年ほど前の建築との説が定着しているそうです。
木綿街道を散策されるなら、まずは交流館に行って館内を見てから、この邸宅を見学するのがお勧めのコースです。


雲州木綿の集荷を中心とした荷宿を営み、江戸後期から昭和初期にかけて隆盛を誇りました。


「石」と書かれた箱の中には提灯が畳んで入っています。


箱を開けて、使い方やしまい方を見せてもらいました。


本石橋家は明治初期には自宅を開放して学校を開き、後に衆議院議員となった石橋孫八、その子息で東京帝大法学部を卒業後、県議会議員や平田町長を務めた石橋正彦などを輩出し、地域の発展に貢献されたそうです。


ここの奥座敷は、江戸時代に松江藩主の御成座敷としてつくられました。





見学したときは、ちょうど庭師の方が剪定をされていました。



茶室は、中央部に中板を配した三畳中板の様式で、出雲地方に特徴的な構造となっているそうです。
また、通常の茶室は「にじり口」があるのですが、ここはありません。東、南の二面に障子を設け、北側に丸窓を配置した開放的な造りが特色のようです。





松平不昧公の掛け軸もありますね。
「冬枯れのもりの朽葉の霜の上に 落たる月のかけのさやけき」
と書かれています。エヘン!(^^)!
と、左側に説明書きしてありました





かつての平田の様子が、入口付近に写真で掲げられています。
木橋は、桁を双方から引いて船の通路をつくり、そこを船が通ったそうです。

木綿街道の滞在時間は3時間近くでしたが、もう少し散策して、少し遅い昼食を食べて帰路に就くとしましょうかね。
続く・・・

[カメラ:OLYMPUS OM-D]


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