写進化・ヲアニーの徒然日記

秀峰大山を中心に山陰地方の風景等を掲載。(※古い記事の画像は、削除しているのもあります。)

丘灯至夫さん逝く

2009年12月01日 | 童謡唱歌・懐メロ
11月24日、「高校三年生」などを作詞された丘灯至夫さんが亡くなられた。92歳だったそうです。
岡本敦郎の歌う「高原列車は行く」は好きな歌だが、失礼ながら「高校三年生」を作詞された人は、私は知らなかった。

先日、この詩をつくられた丘灯至夫さんに敬意を表して、米子市内の高校巡りをしてきました。
米子市には、東西南北を冠した高校がありますので、その順番に紹介します。

TOP画像は、県立米子東高等学校です。1960(昭和35)年の春の甲子園選抜野球大会で準優勝したことがあります。


次に県立米子西高等学校ですが、これは西高に行く途中の登り坂から撮った下界の風景です^^;
以前は公会堂近くの市内錦町にありましたが、20年ほど前でしょうか、郊外に移設されました。
私の高校時代はほとんどが女子生徒で、男子生徒は少なかったのですが、今は男子生徒も多くなり、硬式野球部もあります。


3番目は、県立米子南高等学校です。
村山内閣で官房長官や建設相を務めた野坂浩賢氏を輩出しました。


4番目は、東西南北を冠した学校で唯一私立の米子北高等学校です。


県立の米子工業高等学校です。
元巨人の角投手、夫婦漫才の宮川大助さんを輩出しました。

米子市には更に、県立の米子高等学校、米子白鳳高等学校、私立の米子松蔭高等学校、米子北斗高等学校、国立米子工業高等専門学校がありますが、今回は割愛させてもらいました。

「高校三年生」が流行ったのは、私が小学生のときでした。
舟木一夫のつめ襟の学生服に憧れ、中学生になって着たときは、少しは大人になった気分でした。
でも、歌詞に勘違いをしていたところがありました。
♪クラス仲間は いつまでも~
→「暮らす仲間」と思っていました^^;
小学校では同級生が30人で、1学級しかなかったものですから(笑)

♪ぼくら フォーク・ダンスの手をとれば 甘く匂うよ 黒髪が~
これは小学生のときでも、その気持ちがわかりましたね。
今でも何だか胸がキュンとなりそうですよ^^;

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 友人からのいただき物 | トップ | [安来市]清水寺の紅葉 »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (nasuka)
2009-12-02 12:06:45
あっ、母校が写ってる(笑)
懐かしい・・・(って、近いから毎日見てるけど(爆)
西高は、以前はふれあいの里のところでしたね。
もう移転してから20年も経つんですか・・・年取るはずです。

勤め始めてから、家の整理をしていたら高校のセーラー服が出てきて、
その時は25歳くらいだったのでまだいけるだろうと思って着てみたら、
なんと、似合わないんですよ、コレが!(爆)
やっぱり、青春はあの年頃のもんですね(笑)


返信する
nasukaさんへ (ヲアニー)
2009-12-02 21:31:54
こんばんは(^^)
25歳のころにセーラー服を着てみたのですか。まだまだお似合いだったでしょうに(笑)
確かに青春時代はとっくに過ぎましたが、ブログを続けていることは、今でも青春の心を持っている
からかもしれませんね。

nasukaさんの母校が写ってますか。
私が高校を卒業したのは、もう○十年も前ですから、どこが母校が忘れました(爆)
ただ、中学の担任の先生に西高も勧められたのですが、あのころは西高はほとんどが女学生でした
から、持て過ぎて勉学に勤しめないだろうと、そこはお受験はしなかったのは確かです~
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。