コギト‐エルゴ‐スム
「我思う、ゆえに我あり」
と訳されるデカルトの言葉
簡単に言うと、たとえ全ての世界がまやかしで、
自分自身の知能すら確実に信用できないものだと
しても、今そういうことを考えている
主体は存在するはずだと言うのだ。
このデカルト以降
哲学は神中心から人間中心となった
同時にデカルトは
神の存在証明をもしているのだが
人々はまるで親から解放されたティーンエージャー
のように喜々として人間精神の独立を謳った
そしてデカルトの最初の論は素晴らしいが
後のものは未熟な考えだと取捨したのだ
こうして何とか神からの脱却を図ったは良いが
今哲学はどこへ向かっているのか。
「真理は何か」を探究することを諦め
「人間とは」には上辺でしか答えていない
普遍的なことなど何一つ無く
混迷に混迷を重ね
ただの方法論に成り下がった
難解なことを難しい言葉で解説し
知の樹海を押し広げてはみたものの
自分が何を主張したいのかさえ
自分がどこにいてどこへ行きたいのかさえ
理解していないではないか
暗くなり道に迷いひもじくなっても
ティーンエージャー達は
親元に帰る気はないのだろうか
「我思う、ゆえに我あり」
と訳されるデカルトの言葉
簡単に言うと、たとえ全ての世界がまやかしで、
自分自身の知能すら確実に信用できないものだと
しても、今そういうことを考えている
主体は存在するはずだと言うのだ。
このデカルト以降
哲学は神中心から人間中心となった
同時にデカルトは
神の存在証明をもしているのだが
人々はまるで親から解放されたティーンエージャー
のように喜々として人間精神の独立を謳った
そしてデカルトの最初の論は素晴らしいが
後のものは未熟な考えだと取捨したのだ
こうして何とか神からの脱却を図ったは良いが
今哲学はどこへ向かっているのか。
「真理は何か」を探究することを諦め
「人間とは」には上辺でしか答えていない
普遍的なことなど何一つ無く
混迷に混迷を重ね
ただの方法論に成り下がった
難解なことを難しい言葉で解説し
知の樹海を押し広げてはみたものの
自分が何を主張したいのかさえ
自分がどこにいてどこへ行きたいのかさえ
理解していないではないか
暗くなり道に迷いひもじくなっても
ティーンエージャー達は
親元に帰る気はないのだろうか