おふくの方様 隠棲の地を訪ねて
-いんせいの地-
岡山・吉備中央町
高田城主 三浦貞勝--
岡山城主 宇喜多直家--
羽柴秀吉(豊臣秀吉)と3人の武将をささえた「おふくの方」様
絶世の美女といわれた「おふくの方」様は
13歳の若さで作州高田城主・三浦貞勝に嫁ぎ、正室としてささえていたが
永禄8年(1565)
戦に破れ、落城の憂き目に遭い、貞勝は自刃、
「おふく」は貞勝との間に生まれた桃寿丸を連れ、
備前国 下土井の縁故先に逃れ、ひっそりと住んでいました。
その後
美しい女性と評判の「おふく」は
岡山城主の宇喜多直家の知るところとなり、正室として迎えられています。
23歳だったといいます。
二人の間には八郎のちの秀家を授かりますが、
宇喜多直家は天正9年(1581年)の末頃、岡山城内で病死してしまいます。
備中高松城 水攻めで岡山入りしていた羽柴秀吉は
「おふく」の美貌にひかれ、秀家と共に大阪城に召され、秀家を養子としたのです。
このとき おふくは35歳
母おふくの尽力により宇喜多秀家は
24歳の若さで、徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝とともに
世に言う豊臣家五大老へと破格の出世をし、
岡山の礎を築いた宇喜多家の名声を後世に残した。
当地ゆかりの「おふくの方」様は後に円融院などと呼ばれ、
戦乱の世に咲いた咲いた名花として後世に伝えていきたいものです。
隠棲の地にある看板より
地図
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zdBJK-I_sfz8.kkxQBzpTDq0s
作州高田城跡は現在の真庭市勝山にあります
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戦国ロマンの高田城
画像上をクリックしてご覧ください
顕彰会代表の
中山良二さんからお話をお伺いいたしました。
平成25年9月14日
顕彰碑
おふくの備前焼レリーフ
中山良二さん製作
最後までご覧頂きましてありがとうございました。
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