黒田孝高 (黒田 官兵衛・岡田准一)の曾祖父(黒田高政)は
黒田家発祥の地である近江(長浜市木之本町黒田)に住んでいたが、
足利幕府の勢力争いに巻き込まれ、
長男・黒田重隆(黒田官兵衛
の祖父・竜雷太)をつれて
当時、商業の町として栄えていた
備前福岡(瀬戸内市長船町福岡)に移ってきた。
黒田家の礎を築いた黒田職隆(黒田官兵衛の父・柴田恭平)は
備前福岡で生まれた。
黒田重隆(祖父・竜雷太)、黒田職隆(父・柴田恭平)は
備前福岡より播州に移り、小寺政職(御着城主・片岡鶴太郎)に仕官する
黒田孝高 (黒田 官兵衛・岡田准一)の長男 黒田長政(松坂桃李)は
関が原の戦いで大きな戦功を挙げた事から
筑前名島に52万3000石を与えられ九州 福岡藩初代藩主となった。
高政(曾祖父)
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重隆 (祖父・竜雷太)
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職隆(父・柴田恭平)
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孝高(黒田官兵衛・岡田准一)
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長政(長男 福岡藩初代藩主・松坂桃李)
紫文字はNHK軍師官兵衛に登場する俳優名
備前福岡の地は、
山陽道と吉井川が交わる交通と流通の要衝であり、
人、物が集まるところでした。
国宝「一遍上人絵伝」に描かれた「福岡の市」は
鎌倉時代の市場の賑やかさを今に伝える貴重な資料で
その市があった「備前福岡」は中世随一の商都に発展しました。
官兵衛の子、
長政が筑前の新たな城地に「福岡藩」と名付けるほど大切なところでした。
駅もなく、街道からも外れながら密集した人家が二百ばかり
その中を真直ぐに走る道路の広さに驚かされる
南北に2本、東西に4本、
その間を結ぶ狭い道も基盤の目のように整然としている
備前福岡の街並み
七小路、七井戸と語り伝えられ
整然と区画された町であった
古備前派、国宗派、福岡一文字派、
ここ備前長船は名刀の里
曾祖父(黒田高政)が眠る妙興寺
お墓がありましたが写しておりません
仲崎邸住宅
大正ロマンという時代の声が聞こえる家
明治時代末期から大正時代へと10年もの歳月をかけて建てられた。
左にある柱は屋久杉
この一本で家が建つ値段だそうです。
右にある柱は上と同じもの
この部屋は名棟梁のもと最高の技と素材が集結
この窓が大正ロマンの雰囲気を漂わしています
この屏風の作者 岸駒 は虎、竜で有名とか
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おきてがみは左サイドにあります