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池上本門寺みたま祭・盆踊り大会_20190804

2019-08-04 19:00:00 | Leisure

今日は夕方になってから自転車に乗って池上のカプリチョーザに食事に行った。カプリチョーザは僕が大学生の時に初めての食べに行ったお店で、当時は奈良にとてもお洒落なお店ができたのが話題になり、いつも行列ができていたのを覚えている。大皿の器からパスタを取り分けるスタイルに斬新さを感じたものだった。



食後に自転車に乗って帰ろうとすると、浴衣姿の人が歩いていて、その他の人達も何となく同じ方向に向かっている様子を感じた。恐らくこの近くなら池上本門寺でお祭か何かだろうと思って行ってみたら、年に一度の盆踊り大会が催されていた。

夕暮れの中、街の人達がお寺の境内に向かって歩く姿は、真夏の季節感と人々の高揚感のようなものを感じた。



池上本門寺の急な階段を登って境内前の広場に着くと、櫓が組んであって、二階部分に浴衣をきた人達が、中央の太鼓を叩く人を囲むように踊り始めた。僕は息子を抱っこして、その光景を見ていると、なぜか涙腺が弛んできた。初めて息子と散歩らしいことをしたのがこの本門寺なので、息子の成長を改めて実感した部分もあるが、それに加えて、世の中の大きい時間の流れのようなものが感じられた。
ありきたりな表現で言うと、昔からの日本文化に触れて、改めて自らの日本文化に感動したのかもしれない。

盆踊りは、祖霊になった人々との別れを惜しむ踊りであり、人の出会いや別れとともに過ぎ行く夏を惜しむ踊り。子供達は無邪気にはしゃぎ、大人達は様々な思いを胸に踊る。そのためか、楽しいだけではなくなぜか切なさを感じられるのかもしれない。

たぶん100年以上前から、このお寺で祭が催されて、その時代、時代の人が色んな思いでここで盆踊りをしてきたのだろうと思うと、何となく何百年も前の人達と思いを共有できた気分になっていた。デロリアンに乗らなくても、瞬間的に過去の時間軸に戻ることができた。

息子は初めての光景にやや戸惑っている様子だった。けれど、恐らくこの真夏の夕暮れの空気感を肌で感じてくれていると思った。それが言葉では説明のできない家族の絆に繋がっていくのかもしれない。

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