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三鈷の松

空海さん伝説の三鈷の松ネットワーク

温泉山 稚児落としの滝

2006-07-21 00:10:37 | 史跡名所
 稚児落としの滝は、現在オシドリの池からの流水が下方で滝となっています。稚児落とし滝園地から車で3分程下った場所から、道無き急斜面沿いに4分程山林にいった所にあります。案内がないと危険な場所です。その昔はダムも無かったので「加持川」の下流となりますが・・・、
 伝説では、謡曲に「稚児が一羽の白い雀を争い、内乱が起こり、その乱の原因となった稚児をこの滝へ投げこんだ・・・」と・・。しかし、この乱はキリシタン伝道にからむ対立・内乱だったという説が当時の史料などで有力視されています。
ONE MORE THING
 田舎に住んでいると買物も大変です。都会の店まで行く時間と探す手間を考えるとインターネットによる購入は非常に簡単・便利です。大型電器店よりネットが、圧倒的に安く早く便利です。書籍もDVDも、音楽は欲しい曲を1曲だけダウンロードで「ipod」で・・。

温泉山大黒天アップ

2006-07-19 00:11:46 | 史跡名所
 大黒天のアップ画像です。ダムの堤防近くの「稚児落としの滝園地」の駐車場から中央部へ12分程歩いた場所にあります。ダム周回歩道は整備されており、散策コースとして最適です。「大黒天」はサンスクリット語で「マハーカーラ」といい、マハーは大、カーラは黒で「大黒天」になったそうです。仏教では、毘盧遮那大仏の化身とされています。
 このダムができる前には、畑やプールがあったそうです。小生が中学生の頃に犬を連れて周回走っていました。
ONE MORE THING
 司馬遼太郎の「街道をゆく」がワイド版シリーズで再販?されている。興味ある場所から次々読んでいるが圧倒的に面白い!17の「島原・天草」では「島原の乱」について詳しく書いてあり・・・、しかし何故か雲仙には来ていない・・?

温泉山の大黒天様

2006-07-18 16:45:17 | 史跡名所
 温泉街から少し離れた所に「オシドリの池」があります。貯水ダムですが冬場になると、多くの冬鳥(カモ類)が渡ってきて湖面を賑わしています。
 オシドリが長崎県の鳥なので、この名がついたようです。大黒天磨崖仏は、このダムの工事のときに発見されたと昭和40年の新聞記事にあります。大黒山が昔の名称として残っており、巨大な岩の固まりに「大黒天」彫られています。400年程前に彫られたという話です。
ONE MORE THING
 京都議定書CO2削減で、環境省の建物の情報館等も節電を徹底しています。館内の電灯を抜く、エアコンは使わない、他の電気も使わない・・。自宅はソーラーを屋根につけ、IH、夜間電力の利用・・、極力家族は一つの部屋に集まりエアコン、電気を使わないようにしていますが・・手遅れでしょう? 

温泉山の八十八ヶ所巡り

2006-07-17 18:55:29 | 史跡名所
 温泉山八十八ヶ所巡りがあります。雲仙山満明寺の庭から上の児童公園へとお地蔵様が、八十八体がずっと並んで安置されています。
 歴代住職が四国の八十八ヶ所を廻ったときに、そこの土を集めてこられたそうで、その土が地蔵様の下に埋めてあるそうです。
 それで・・・約15分で廻れる八十八ヶ所巡りです。
ONE MORE THING
 液晶を付けてデジカメ普及のきっかけをつくった、カシオのQV10Aから、今使っているリコーR2まで5台目のデジカメとなった。30万画素の49,800円から500万画素2万円となった。当初からプリントはせず、パソコン内にアルバムを060716家族長崎・・というファイル形式で保存してきた。

温泉山麓、小浜町にある鬼石

2006-07-16 00:36:57 | 史跡名所
 温泉山麓の小浜町にある巨石「鬼石」です。案内板によると島原半島一の巨石といわれ、長さ12m幅11m厚さ6m、表面は平坦で四体の地蔵が安置してあります。
 伝説では、仏罰をうけた鬼が温泉山登山をしていたが、あまりの重さに耐えかねて捨てたものとか、この石の廻りを3回廻ると鬼がでるとか・・。里人は、この石には霊魂が宿り石材にする者はいなかったと・・。
 現在、石の上におられる観音菩薩は昭和52年に建てられたそうです。たまたま、この撮影のときも、近くのおばあちゃんが、お参り来られており花を供えていました。
ONE MORE THING 
 車は軽がいい、小回りが良く狭い道でも運転が楽だ。維持費が安いし省エネ、なんと言っても税金が安い!7,200円 購入時期は9月・3月が決算期で安くなる。

雲仙山満明寺

2006-07-13 11:07:35 | 史跡名所
 温泉山の釈迦堂は明治30年に当時の護摩堂から出火し、釈迦堂・諸仏一体も残らず焼失しました。ときの住職・檀家を中心に島原半島内外より浄財を募り、明治43年大仏建立に着手、大正3年に大仏殿完成、大正6年に開眼に至りました。
 大仏様は、京都より海路で運ばれ、南串山京泊港に寄港し小浜町の北村より登山されたそうです。高さは約5m、純金箔になっています。奈良の大仏(盧遮那仏)の3分の1くらいの大きさです。
 奈良の大仏も当初は金箔でしたが、当時の金箔工法のとき水銀を大量に使用し平城京住民が水銀中毒に・・それで「たたり」?と。わずか72年で長岡京へ遷都の理由ではと云われています。
 あー、庶民は造るのに非情な労役を課せられ死んでいき、そして造った後も・・・。

行基洞第三洞窟

2006-07-12 13:46:45 | 史跡名所
 そして、いよいよ最後の三つ目の洞窟ですが、なんと、そこには何もない!仏像が安置されていたと思われる場所はあるのですが・・・?
 盗まれたのでしょうか? 最近では雲仙地獄の大叫喚地獄そばのお地蔵さんが無くなってしまい、誰かが持っていったようです。(地獄周辺歩道には、首無し地蔵、首が新たに付けられ地蔵が多い、キリスト教へ転宗し神社仏閣を破壊した、島原藩主の有馬晴信によるものか、明治政府の愚かな廃仏毀釈によるものか?)
 この三つ目の洞窟は広く、窓みたいな岩の裂け目があり明るくなっています。行基洞まで、辿り来るのは大変ですが、温泉山の貴重な歴史的史跡です。秋には行基洞案内ツアーを実施予定です。

一切経の滝

2006-07-05 09:40:59 | 史跡名所
 小地獄の一切経入り口から、ゆるやかな坂道を約15分下っていくと、一切経観音堂があり、今も信者の方がお参りされています。そこから急な道を2分程おりると滝が姿を現わします。高さは約7mでさほど大きな滝ではないですが、深山幽谷の地にあり、まわりの風景と溶け込み、心落ち着く場所になっています。特に夏期は、標高も700m程あり涼しく快適な場所です。
 雲仙お山の情報館では、夏のイベントに「雲仙歴史ガイド:一切経ツアー」を毎週月曜日に実施し小生が案内をしています。