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安倍首相がデマ拡散、菅直人に訴えられた名誉毀損裁判で不当判決! 抗議の意味を込め安倍の捏造歴を暴露する!

2015-12-04 16:51:04 | 言いたいことは何だ
安倍首相がデマ拡散、菅直人に訴えられた名誉毀損裁判で不当判決! 抗議の意味を込め安倍の捏造歴を暴露する!

2015.12.03. リテラ

つい先程、唖然とするような判決が下された。菅直人元首相の福島原発事故対応について安倍晋三首相が自身のメルマガで事実と異なる記事を掲載、名誉を毀損されたとして菅元首相が安倍首相を相手取った訴訟で、東京地裁は菅元首相の請求を棄却したのだ。

 
安倍首相は問題となったメルマガで、2011年5月20日に「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と題し〈やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです〉〈これが真実です〉と断言。しかも翌日には読売新聞と産経新聞が同じ内容の記事を一面で報じ、22日には再びメルマガで〈海水注入を一時間近く止めてしまった責任はだれにあるのか?菅総理、あなた以外にないじゃありませんか。真実は明らかです〉と再び攻撃した。
 
だが、これはすでに明らかになっているように、まったくのデマだ。海水注入を止めるよう指示したのは東京電力の武黒一郎氏であり、故・吉田昌郎所長はその指示を無視して海水注入を継続させたのが“真実”だ。これは吉田所長も証言している。
 
安倍首相がデマを撒き散らしたという事実はもはや言い逃れできないものだが、この菅元首相の訴えを東京地裁は棄却した。しかし問題は、その判決理由だ。


永谷典雄裁判長はこう述べたという。
「注入を中断させかねない振る舞いが菅氏にあった」
「記事は事故対応の詳細が判明する前に発信されていた上、菅元首相の資質や政治責任を追及するもので公益性があった」(「産経ニュース」より)

 
思わず目を疑ってしまうが、つまり、別の事実があっても「かねない」という可能性さえあれば、そして「詳細が判明する前」であれば、名誉毀損は成立しないと、裁判所が判断したわけである。
 
しかし、だとしたら、週刊誌や新聞の報道が政治家や企業から訴えられた名誉毀損訴訟で、なぜ、メディア側が次々と敗訴判決を受けているのか。明白な物的証拠を提出しても、ほんの少しのデータの違いなどで、信憑性がないなどと判断され、名誉毀損という判断をつきつけられているのが、最近の傾向ではないのか。


「今の裁判所の名誉毀損裁判判決の流れから見ると、明らかに異常な判決です。おそらく、裁判所としても、現役の総理大臣に対して、違法との判断を下すわけにはいかない。そういう政治判断なのでしょう」(司法担当記者)
 
まさに司法が安倍首相の権力に屈服したといえる、今回の判決。しかしだからといって、安倍首相が嘘を振りまいていたという事実は変わらない。
 この不当な判決に抗議する意味を込めて、本サイトが過去に報じた、これまで安倍首相が垂れ流してきたデマやでっちあげ、嘘などの「捏造」歴についての記事を再掲したい。
(編集部)

********************
「慰安婦問題の誤報で多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられた」
 
朝日新聞が慰安婦問題などの一部誤報を取り消した件について、安倍首相はこんな発言を繰り返している。要は「反日朝日の捏造記事」が「日本を貶めた」と騒ぎ立てる右巻きメディアと同じ思考回路ということだろう。
 
だが、ちょっと待ってほしい。過去に数々の「ニセ情報」を発信して政策を捩じ曲げ、「捏造」によって「日本の名誉」を傷つけてきたのは、むしろ安倍首相ご本人だったのではないか。

 
誰でも知っている話だと思って放置していたが、いつまでたっても、マスコミも野党も追及しないので、改めて、その捏造歴をきちんと指摘しておこう。
 
まずひとつめは、朝日が批判を浴びた福島第一原発事故の吉田調書で明らかになった例の“捏造”だ。

 
事故からまもない2011年5月20日。当時、民主党政権下で野党の座に甘んじていた安倍は、メルマガで次のような一文を配信している。


〈福島第一原発問題で菅首相の唯一の英断と言われている「3月12日の海水注入の指示。」が、実は全くのでっち上げである事が明らかになりました。
 

複数の関係者の証言によると、事実は次の通りです。
 12日19時04分に海水注入を開始。同時に官邸に報告したところ、菅総理が「俺は聞いていない!」と激怒。官邸から東電への電話で、19時25分海水注入を中断。実務者、識者の説得で20時20分注入再開。実際は、東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入しようと考えており、実行した。
 

しかし、やっと始まったばかりの海水注入を止めたのは、なんと菅総理その人だったのです。そしてなんと海水注入を菅総理の英断とのウソを側近は新聞・テレビにばらまいたのです。
 

これが真実です。菅総理は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべきです〉(抜粋。誤字などは原文のママ)
 
これを受け、読売新聞が翌日、5月22日付の一面トップで「首相意向で海水注入中断」「震災翌日、55分間」という見出しをつけて報道するのだが、内容は安倍のメルマガそのままだった。菅首相が現場を混乱させた張本人だったという批判が一気に盛り上がった。
 
だが、吉田調書の内容が明らかになると、事実は安倍が喧伝したものとはまったくちがっていることが判明したのだ。
 
吉田元所長は、19時4分に海水注入した直後、首相官邸にいる(東電の)武黒フェローから「四の五の言わずに止めろ」と指示があったが、吉田氏はこれを無視して注入を続けていたと明記している。つまり、海水注入の中断そのものが「なかった」のだ。
 
しかも、「菅首相が激怒して、官邸が東電に電話を入れて止めさせた」というのもでっち上げだった。


吉田所長は官邸にいた武黒フェローから「官邸の了解がとれていない」と説明を受けたと証言しただけで、菅首相や官邸関係者が東電に電話を入れた事実はない。


また、海水注入の措置命令は17時55分に海江田万里経産大臣から出されたまま変更された形跡はなく、18時からの菅首相、経産大臣、班目原子力安全委員会委員長、そして武黒フェローもまじえた打ち合わせでも、海水注入に反対する意見が出ていないことが確認されている。海水注入中断の指示はむしろ武黒フェローの独断だった可能性が高いのだ。
 
たしかに、原発事故における当時の菅首相のヒステリックで場当たり的な対応が現場を大混乱させたというのは事実だが、少なくとも、この海水中断に関する部分は明らかなガセ、安倍による政敵をおとしいれるための捏造なのだ。ところが、こんな信じ難いニセ情報をばらまいたことがわかっても、安倍首相は今に至るまで訂正も謝罪もしていない。
 
もちろん、これは氷山の一角だ。安倍は他にも、重大な政策決定の場面でニセ情報を拡散させたことがある。
 
2001年、9.11テロを受け、ブッシュ米政権がアフガンへの報復攻撃を開始。当時の小泉政権が、米軍の攻撃を自衛隊が後方支援する方針を表明し、テロ対策特措法などを成立させた。この際、米国が日本に協力を迫るキーワードとして流布されたのが「ショー・ザ・フラッグ」という言葉だった。アメリカから、金だけでなく、自衛隊を派遣することで「旗を見せろ」と迫られたという報道がかけめぐった。
 
発言の主はアーミテージ米国務副長官(当時)とされ、柳井俊二・駐米大使(同)との会談で発せられたと伝えられたのだが、実際にはそんな言葉などなかったことが後に判明している。これは、当時、小泉政権で官房副長官をつとめていた安倍がマスコミにウソをリークしていたのである。
 
この問題を追跡したテレビ朝日『ザ・スクープ』は、01年10月20日の放送で内実を暴いたが、チーフディレクターだった田畑正氏は放送後記でこう記している。


〈私たちの掴んでいるところでは、日本で最も早く「ショーザフラッグ」という言葉を口にしたのは安倍晋三副長官である。では、安倍副長官が一体誰から「ショーザフラッグ」という言葉を聞いたのか。私たちのインタビューに対して安倍は「柳井氏の公電を読んだのはだいぶ後になってからだ」と答えた。因みに柳井氏からの公電には、言葉としての「ショーザフラッグ」は出ていない。誰かが安倍副長官に意訳して伝えたことになる〉
 
一連の情報操作は、安倍と、安倍が親しくしていた当時の外務省ナンバー2、高野紀元外務審議官(当時)の合作だったといわれているが、いずれにしても、ニセ情報を拡散させたのが安倍だったのは疑いなく、結果的には超タカ派の安倍の思惑通りにテロ特措法が成立する要因となった。
 
しかし、安倍首相を長くウォッチしている人間にとっては、こういうことはなんの不思議もないらしい。全国紙の政治部記者がこう語る。
「安倍さんって、マスコミを裏で動かすのが意外にうまいんだよ。しかも、自分に都合のいい情報を、ウソも交えて巧みにリークする。そもそも彼が注目を集めた拉致問題のときからそうだった」
 
一時、40代後半の若手政治家だった安倍が世の注目を集め、政界の階段を駆け上がる契機となったのが北朝鮮による拉致問題だったのは周知の通り。日朝首脳会談をめぐっても安倍の「勇姿」はしばしばメディアで描かれた。たとえばこんな調子だ。


〈小泉首相と金総書記との間で交わされた「日朝平壌宣言」をめぐり、拉致被害者の多くが死亡していたことが分かったため、安倍官房副長官と高野紀元外務審議官が一時、「宣言の署名を見送るべきだ」と主張していたことが複数の政府関係者の話で明らかになった〉(『産經新聞』02年9月18日付朝刊、一部略)


〈昼食を一緒に食べようという北朝鮮側の提案を断り、日本側は控室で日本から持参した幕の内弁当を食べた。だが、首相はほとんど手を付けなかった。
 

安倍が首相に迫った。「拉致問題について金総書記の口から謝罪と経緯の話がない限り共同宣言調印は考えた方がいい」
 決裂もありうる──。緊迫した空気が周囲を包んだ〉(『毎日新聞』同19日付朝刊、一部略)

 
総書記の謝罪がなければ席を蹴って帰国しよう──。北朝鮮への「強硬姿勢」を売り物にする安倍にとっては最大の見せ場ともいえるシーンだろう。
 
だが、どうやらこんな事実はなかったらしいのだ。日朝首脳会談の立役者で会談に同行していた田中均アジア大洋州局長(当時)が後にフリージャーナリストの取材に対し、安倍の署名見送り進言があったことをはっきりと否定している。田中氏はその際、そもそも金総書記が拉致を認めて謝罪しなければ平壌宣言に署名できないのは会談関係者全員の基本認識だったから、わざわざそんなことを言う必要もなかった、という趣旨の解説もしていたという。


「署名見送り進言」はまさに、安倍をヒーローにみせるためのニセ情報だったのだ。しかも、このニセ情報、発信源は安倍だった。当時、帰国後のオフレコ懇談で安倍官房副長官が各社に「僕が首相にいったんだよ。共同調印は見直した方がいいって」と語っていたことは複数の記者のオフレコメモからも確認されている。
 
もう十分だろう。メディア報道や他人の発言を「捏造」「でっち上げ」「ウソをばらまいた」と声高に批判する安倍だが、その安倍こそが過去に数々のニセ情報を捏造し、発信し、大ウソを拡散させてきた。それは時に自らのイメージ向上が目的であり、重要場面で日本の外交や政策がしばしば捩じ曲げられた。ありもしない「海水注入の中断」を内外に発信したのは、まさに「日本の名誉」を大きく傷つける行為ではなかったか。
 
そう、こんなご都合主義者にメディアの誤報をエラそうに非難する資格はなく、安倍こそ過去のウソや捏造を訂正し、謝罪すべきだろう。

安倍首相の根深い学歴コンプレックスを父親の番記者と大学の恩師が暴露! 何の勉強もせず保守主義を叫んで…

2015-12-04 12:24:38 | 言いたいことは何だ
安倍首相の根深い学歴コンプレックスを父親の番記者と大学の恩師が暴露!何の勉強もせず保守主義を叫んで

2015.12.02.
 リテラ


これまで本サイトでは、安倍首相の政治姿勢やその背景にある母方の祖父・岸信介への妄信、逆に反骨の政治家だった父方の祖父・安倍寛への無関心ぶり、幼少期からの嘘つきなど、様々な角度から批判、検証を行ってきた。

 
そんな中、安倍首相に関する興味深い本が出版され話題となっている。それは、元共同通信記者で政治ジャーナリストの野上忠興による『安倍晋三沈黙の仮面』(小学館)だ。安倍首相の父親・晋太郎時代から40年以上安倍家を取材し続けたジャーナリスト・野上による安倍首相の評伝だが、そこに描かれる幼少期からの性格、数々のコンプレックスは現在の安倍首相の政治姿勢を考える上でも示唆に富んでいる。
 
安倍首相は祖父・岸信介に強固な憧憬、そしてコンプレックスを抱いていることはよく知られた話だが、しかしそれ以外にも安倍首相は、様々なコンプレックスを抱えてきたという。
 
そのひとつが「学歴コンプレックス」だ。安倍首相の家系である岸家、安倍家には東大出身者が多数存在した。


〈安倍・岸家はいわば『東大法学部』を宿命づけられた家系といえる。祖父の岸は東大法学部時代に、後に東大名誉教授となる法学者の大家・我妻栄と首席を争った秀才で、大叔父の佐藤栄作、父方の祖父寛、父の晋太郎も東大法学部出身だ〉
 
安倍首相と同じく成蹊小からエスカレートで大学までいた兄の寛信も、成蹊大学卒業後、東大大学院に進んでいる。
 
だが、幼少期から勉強が好きでも得意でもなかった安倍首相は、父・晋太郎に「東大へ行け」と尻を叩かれ、時には分厚い漢和辞典で頭を叩かれても、反発するだけで一向に勉強をするわけではなかったという。
 
それどころか、「政治家への思いと名門家系の誇りに胸をふくらませ、一方では思うようにならぬ勉学に羞恥心とルサンチマン(自分より強い者に仕返ししたいという鬱屈した心情)を募らせていた」のだ。
 
それは大学に入っても変わらなかった。大学時代の恩師の興味深い証言が本書には紹介されている。「安倍君は保守主義を主張している。それはそれでいい。ただ、思想史でも勉強してから言うならまだいいが、大学時代、そんな勉強はしていなかった」
 
安倍首相に政治家としての思想などないことはわかっていたが、本書では、ただ幼い頃刷り込まれた祖父・岸の「教え」を盲信したまま、なんの成長さえしていないと批判されているのだ。
 
さらに、である。この恩師は「ましてや経済、財政、金融などは最初から受け付けなかった」とまで語っている。また、学友も安倍首相の大学時代を「政治家になる気はなかったのではないか」と証言している。


「本当に後を継ぐ気であれば、もっといろいろな知識を吸収して、将来、日本はこうあるべきだといったモチベーションがあってもよかった。でも当時の安倍君には、そういうビジョンは感じなかったし、その片鱗を語ることもなかった」
 
憲法改正やアベノミクスを高らかに謳う安倍首相のビジョンなき底の浅さが証明された形だが、しかし問題は勉強が苦手で、努力もしなかった安倍首相が、現在でもそのコンプレックスを引きずり、その歪んだ思いを首相として現実に政治へ投影していることだ。
 
本書では安倍内閣に東大出身者が歴代内閣の中でも極端に少ないことを指摘した上で、安倍首相と付き合いの長い議員の証言を紹介している。


「晋ちゃんは東大出身者とエリート官僚が嫌い。議員でも東大出身者とは肌が合わないのか敬遠する傾向がある」
 
自らの学歴コンプレックスに加え、好き嫌い、敵か味方かで政治を執り行う安倍首相だが、最終学歴を経歴からカットするという驚くべきこともやってのけている。それは2006年に上梓した『美しい国へ』(文藝春秋)には存在した「成蹊大学法学部卒業、神戸製鉄所勤務を経て、82年に父・晋太郎外務大臣の秘書官に」という略歴が、13年にリニューアル刊行された『新しい国へ』(美しい国へ 完全版)ではそっくり削られてしまっているという。
 
安倍首相のコンプレックスはそれだけではない。意外なことに岸家の養子となった5歳年下の実弟・岸信夫議員(元外務副大臣)に対しても複雑な感情、コンプレックスを抱いており、それが政治家となるひとつの動機として存在することだ。
 
安倍家の3男として生まれた信夫だったが、生後すぐ子どものいなかった岸信介の長男夫妻の養子に出されている。


「長男の寛ちゃんは安倍家の跡取りとして見られていたし、総理大臣の岸家は弟の信夫君が継ぐことになった。子供心にもやっかみがあったのではないでしょうか」(安倍・岸家を長く支えた関係者)
 
同書はこんな証言を掲載した上で、このような風景を描き出す。


〈岸の愛情が内孫である信夫により多く注がれるようになったという身辺の変化を感じ取っていたのかも知れない。実際、信夫が生まれたあと、南平台の岸邸には、安倍がおじいちゃんを弟に奪われたと感じる光景があった〉
 
安倍首相が政治家になると言い出したのは、その頃からだったという。
大好きなおじいちゃんを取られた。自分は安倍家と岸家の跡取りではない。ならば自分が父や祖父の後を継いで政治家になる。幼少期の思いとはいえ、その動機はコンプレックスに満ちあふれている。

 
また本書では、安倍首相が大学を卒業した後アメリカに留学したのは「単なる遊学」であり、極度のホームシックから月10万円ものコレクトコールがあったこと、神戸製鉄での工場勤務や相部屋の寮生活に耐えられず、こつ然と姿を消したことなど、数々の興味深いエピソードが綴られる。
 
さらに自分の意見と違うことを言われるとキレることや、反対意見に耳を塞ぐルーツ、またかつては「弱い人たちに光を当てるような政治家になりたい」「(岸時代の安保への反発に対して)政治家がうまく国民に説明していないからじゃないか。自分ならもっとうまく説明できるのに、とも思っていた」という現実とは正反対な発言など、突っ込みどころ満載の評伝でもある。
 
努力もしないのにネガティブな学歴コンプレックスやルサンチマンを持ち、辛いことがあるとすぐ逃げ出すお坊っちゃま。これが現在の日本の総理大臣・安倍晋三の本質だ。そんな幼稚なメンタリティを持ち続けた挙げ句、祖父の「悲願」「教え」をただただ追随し、平和憲法を改正しようと躍起になっているのだ。この事実には改めて、恐怖を感じずにはいられない。